第22話 石原と山本の極秘会談

 石原莞爾は連合艦隊総旗艦の戦艦『長門』に正々堂々を纏って入城した。陸軍の人間が海軍の艦艇に乗り込むことは特段珍しいことでなく、陸海軍の打ち合わせは地上で開いても構わないが、壁に耳あり障子に目ありと言うように漏洩を危惧する。軍艦は周囲を海に隔てられる上に信頼のおける水兵が警備した。下手な基地や旅館・ホテルよりも情報漏洩対策が敷かれている。


 そして、今日は何と言っても、山本五十六連合艦隊司令長官と面談した。長門を会場と指定された故に側近中の側近である護衛の兵士を数名程を連れる。海軍陸戦隊の兵士が唸らされる気迫に助けられた。正々堂々を終始崩さない。案内役の士官に通された部屋は質素な会議室で山本五十六長官と三和主席参謀、源田航空参謀が待っていた。


「石原陸軍大臣は正気なのか?」


「香港の解放を突きつけた?」


「武力進駐を厭わないとまで?」


「浅間丸の一件は存じ上げているはず。英国政府の態度に怒りを覚えた。中華民国政府も同様である。関東軍は友邦と共同して香港の返還を要求した。東亜の植民地時代に終焉を告げるため」


 他愛もない話を入れる間もない。


 日本の抱える国際問題に切り込んだ。先月に日本の商船である浅間丸が英国海軍から臨検を受け、臨検自体は国際法に基づく行為であるが、乗客のドイツ人や中国人が身柄を拘束される事件が発生する。第二次世界大戦に中立を貫く日本に対する挑戦状と見受けられた。


 日本は局外中立の方針から太平洋は未だ平穏を保っている。民間の船舶がヒトとモノを絶えず運んだ。特にアメリカと日本を結ぶ航路は本数こそ減れど活発に変わりない。太平洋航路は大西洋に比べて何十倍も安全と多くの旅客に溢れた。英国海軍の臨検に伴う身柄拘束が冷や水を浴びせる。いくら国際法に則った合法的行為と雖も浅間丸は警告射撃を受けるなど一方的が過ぎた。


 日本政府は重大な懸念を表明する。英国を外交から徹底的に追及した。日英関係は悪化の一途を辿れど戦争状態にはない。英国政府は海軍強国を敵に回すことを避けた。身柄を拘束したドイツ人と中国人を全員解放して太平洋における臨検活動の自粛を約束する。


「そのようなことをしたら。米国が乗って来るに違いない」


「その米国と事を構えようとしてハワイを痛撃すると言い出した。連合艦隊がそれかね?」


「仮に香港進駐をやるにしても時機到来を待たねばなるまい。地上からの力押しで勝てるだろうか。英国を甘く見てはならない」


「私も英国の実力は理解している。海軍の支援をお願いしたい」


「なんだと! 関東軍の独断専行に巻き込むと言うのか!」


「満蒙大空戦に試製艦上戦闘機を嬉々として送り出しておいて何を仰られる」


 中華民国政府は日本政府よりも怒りを覚えると憤怒に達した。英国は日本への謝罪と臨検自粛で終わったと認識したが、中華民国政府は日英交渉に外されたことに遺恨を生じさせ、独自に香港返還を主張して一切譲らない。ただの一事件に対して香港の返還を求めるとは過大と思えようが、彼らの背後には関東軍という強大な組織が立った。


 日本政府は中華民国政府による香港返還要求を関知しない。吉田茂外相は自慢の弁舌術を以て英国を翻弄した。英国も目の前の大火事の対応に追われている。東亜の国際的な重大事態の優先順位は下げざるを得なかった。日中交渉を引き延ばして収束を図る。


 ここで時間稼ぎを図ることは悪手と評価した。


「勝機がおありで?」


「中華民国陸軍は大師団を集中させている。関東軍も精鋭の栗林師団を派遣した。陸地と洋上から包囲すると香港は勝手に干上がった。それこそ自慢の空母艦隊から艦載機を飛ばしてみれば良かろう」


「そんなことに航空艦隊を動員できるか!」


「そう言うと思った。陸軍航空隊の重爆隊が待機中にある。彼らは無差別爆撃を躊躇なく行う。東亜連邦の敵は悉くを滅ぼさなければ」


「それが世界終末戦争論が導き出した答えか」


「私もできることならハワイを焦土にしたいがね」


 日中政府に限らない誰もが交渉決裂を予想した。中華民国は英国の蛮行に苦汁を飲まされてきた過去があって強硬手段を厭わない。関東軍という中華再統一を支援してくれた最高の親友が助力を申し出てくれた。日本政府はおろか海軍も関東軍の独断専行に飽き飽きしたが、陸軍大臣は石原莞爾本人が務めており、陸軍の主権は満州派が握り込む。


 仮に香港を解放するとしても高度に要塞化された都市を攻略することは至難だった。英国が弱体化していることは事実だが列強の最上位に座する。複雑な地形に強固に作られた要塞を攻め落とすためには敵軍の三倍以上の戦力を要した。中華民国軍と共同戦線を張ると言うが多大な損害を出すことは自明の理である。


 山本五十六以下は勝てる戦いでも無駄な消耗を嫌った。英国と事を構えようとする異常事態を切り捨てる。彼らは将来的に米国と衝突することを見越して色々と準備を重ねてきた。そんな時に英国と衝突なんて先走られては冗談でも済まされない。石原莞爾の「さも当然」と言わんばかりの弁論を明確に拒絶した。


「せめて洋上から艦砲射撃をお願いしたい。香港だから老齢な戦艦で事足りた。例の超大型戦艦を出せとは言わん」


「戦艦1隻を貸し出すだけでも高くつきますが?」


「私は海軍の内乱も鎮めて長谷川さんや堀さんを復帰させた」


「恩を忘れたか。そう言いたいのだな」


「平和的に進めるためにも海軍の支援は必須である。私も無駄な戦いは嫌った。ただ単に東亜へ無茶苦茶を犯してきた英国にお灸を据えたい。山本さんも傍若無人ぶりに嫌気がさしているのではありませんか」


 香港に圧力を加えるためにも海軍の支援は必須である。一発も撃たなくとも艦隊が海上包囲ないし海上封鎖を敷けば干上がることは間違いなかった。香港の入り口は中華民国軍と関東軍が封鎖する。艦隊が海上の封を閉じることで綺麗な包囲の完成だ。ナチス・ドイツの暴走も含めて考えると香港の返還は安上がりになろう。


 もっとも、香港解放を仕掛ける時期は選ぶ必要はあるものだ。石原莞爾も今すぐにとはいかない。海軍の支援を得ることを前提に置いて好機を窺わざるを得なかった。山本は石原莞爾から助力の要請を蹴ろうと思う。しかし、ノモンハン事変で試製艦上戦闘機を試したり、条約派で穏健派の長谷川や堀を連れ戻したり、石原莞爾の影なる応援は否めなかった。


「やむを得ない。その時は艦隊を派遣するが、大和を送らせていただく」


「長官!?」


「ほう…」


 これには三和主席参謀と源田航空参謀も驚きを隠せない。香港への圧力に艦隊を動員することは良いとした。艦隊に秘匿の塊たる大和型戦艦を送り込むことは常軌を逸する。山本長官は大和型戦艦を一気に解放することで虎の子の航空艦隊を隠す意図を伝えた。香港解放時に大戦艦の姿を認めると「日本海軍は戦艦を主戦力にしている」と勘違いしてくれるかもしれない。


「貴方は連合艦隊司令長官に相応しい。それでこそ、山本五十六連合艦隊司令長官」


「香港を確保することは海軍にとっても好都合だ。英国海軍が使用する港を新たな拠点にできる」


「ハワイを攻めるための拠点ですかな?」


「あなたはどう思っている」


「ハワイへの奇襲攻撃は実に荒唐無稽で意味のない行動だ。ハワイに敵艦を沈めても直ぐに復旧される。それならば東亜を地道に解放すればよいだけのこと。いきなりハワイなんぞ攻めない。近場から攻めていき本土に上陸すれば自然に講和を引き出せた」


「敵艦隊が来襲した時は?」


「私共の航空隊を動員して迎撃するだけ」


 山本五十六連合艦隊司令長官と石原莞爾陸軍大臣の密会は数時間に及んだ。


 ここに日本の行く末が決まる。


続く

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