第17話 ノモンハン事変の転換点4『禁じられた一手』

 この一手は正直を言うと採りたくなかった。


「それは中央司令部も看過できない。まさに、禁じられた一手でございます」


「勝てばよろしい。ソ連か米国か英国か敵は関係なく勝てばよい。タムスク要塞に対する航空襲撃を陽動にシベリア鉄道を完膚なきまで破壊するだけだ。すでに哈爾濱基地に試製重爆撃機が配備されている」


「せっかく重爆撃機を作ったのだから使わねば勿体無い。掩体壕に仕舞っておくというのか?」


「ソ連軍の補給線はシベリア鉄道である。これを破壊すれば交渉に応じるんだ。無駄に弾薬を消費して兵士も失う日々を過ごすよりも禁じ手を使って短期間で終わらせる方が良い。そうとは思わんのかね? 石原閣下の慧眼に敬服しないのか?」


 本土からはるばるやって来た連絡将校を人の数で圧倒する。彼には同情を禁じ得ない。関東軍はソ蒙軍の大進撃を受け止めて膠着状態に持ち込むことに成功したが、この間にも最前線は砲弾と銃弾が飛び交い、日中とソ蒙の兵士が命を落としている。このままノモンハン事変がズルズルと進んでいけば消耗し切った。もう日米決戦どころでなくなる。


「満蒙国境線を超えての攻撃は認められない。これは揺るぎません」


「私の知ったことではない。満州派の意向に従えんと」


「陛下が何とおっしゃられるか…」


「君が天皇陛下の名を出すことは負けを認めたに等しい。飛行場までお連れしなさい。本土までご安全にな」


 もう矢は放たれた。


 私の鶴の一声である。中華民国各地の前線基地と飛行場から戦闘機と爆撃機、襲撃機等々が飛び立った。ノモンハン事変において最大規模の航空攻撃は満蒙の国境線を超える。外蒙古のタムスクを目標に設定した。タムスクにはソ連軍の大要塞が建設されて戦闘機と爆撃機の飛行場も置かれる。


 関東軍としては戦闘の長期化を回避したい。ノモンハン事変の停戦交渉に持ち込むことが終着駅だ。フイ高地の孤軍奮闘と救援作戦による善戦と合わせてタムスクに大規模な航空攻撃を加える。さらに、タムスクへの航空攻撃を陽動にシベリア鉄道を爆撃する壮大な作戦を組んだ。


 ソ連軍の補給線はシベリア鉄道頼りが呈される。これを断絶することができれば最前線の部隊は忽ち干上がった。実際にソ連軍将校の一部はシベリア鉄道への攻撃を危惧する。タムスクとシベリア鉄道に対する攻撃を複雑な国際情勢を背景にして行い、ソ連政府に不毛な戦闘を1日でも早くやめるように促し、まずは停戦から原状回復の和平に持ち込むのだ。


「これで良いので?」


「あまり気乗りしない。やむを得ない。私が陸軍大臣に就任することは決定路線だから好き勝手できるわけでもないかな」


「現地指揮官を更迭する用意は整っています。トカゲの尻尾切りを」


「彼らは私が責任を持って面倒を見よう」


 満蒙国境線を超えての攻撃は本土の中央司令部が認めない。今は満州の局所的な衝突に止まれど、越境攻撃を契機に正真正銘の全面的な総力戦になるかもしれず、関東軍に自制を求める命令が多数も届いた。天皇陛下も越境攻撃を認めない節の発言をしている。石原莞爾という愛国者も軍人のためにフリーダムとはいかなかった。本人なりに考え抜いた結果は中央司令部の意向を無視する。


 越境航空攻撃を命じた。


 私が越境航空攻撃を命じたという非常につまらないことで左遷されては堪らない。中村や辻など腹心の部下と話し合った。トカゲの尻尾切りを以て追求を逃れることに決める。現地指揮官には予めに非情な口裏合わせを行っておいた。一定の処分は現地指揮官に押し付けて自身は保身に走る。もちろん、処分に該当した者はきちんと面倒を見ることを約束した。東亜連邦を作り亜細亜の真なる独立を勝ち取るまで表舞台から去るつもりは毛頭ない。


「誠に申し訳ない。シベリア鉄道はいくらでも爆撃して構わん」


 建物からは見えぬ空を見上げた。


=斉斉哈爾=


「石原閣下はシベリア鉄道の爆撃を直々に命ぜられた。腹に抱えた100kg爆弾は敵の生命線を断つ」


 斉斉哈爾は中華民国軍と関東軍の大拠点が置かれ、ここから地上部隊と航空隊が最前線へ向かうが、今日も今日とて戦闘機と爆撃機、襲撃機が飛び立つ。その中に埋もれることなく異様な巨人機が姿を現した。それは双発の高速爆撃機さえも子供に見える重爆撃機である。


「シベリア鉄道を正確に破壊する。高高度爆撃では爆弾が風に流される。一か八かの低空侵入から絨毯爆撃を行う」


「こいつは腕がなります。九七式高速爆撃機は味気なくて味気なくて」


「お前が腕を動かす前に撃墜されるかもしれん。機銃手各員の働きに期待しよう」


「20mmと13.2mmの弾幕に突っ込んでくる奴はいません。ロスケの戦闘機は玩具と話題です」


「海軍の試作戦闘機に踊らされるな。ソ連戦闘機は油断ならん強敵だ」


 日本軍の重爆撃機は九二式重爆撃機に始まった。九二式重爆は野心的が随所に詰め込まれて本格的な運用は見送られる。貴重な経験を積む材料と変えた。10機にも満たない極少数の生産機はプロパガンダに活用する。それから暫くは重爆撃機の開発に空白期間が生じた。DC4-Eのライセンス生産と独自改良した大型輸送機を挟んだり、ドイツからFw-200(旅客機仕様)を輸入したり、国家を挙げて大型機の開発に邁進する。


 遂に完全国産を自称する重爆撃機が誕生した。まだまだ姿勢の段階だが海軍航空隊の十二試艦戦と同様に本事変を好機と認識すると、陸軍航空隊は「ええいままよ」のぶっつけ本番で投入している。満州飛行機が斉斉哈爾まで出張して全面的なバックパックに控えた。現地で調整と称してエンジンからフラップ、機銃まで手を加えて回る。


「今日は10番を40発も投下する。シベリア鉄道は目と鼻の先だが、一度でも航法を誤れば、敵の母地に降りることになるんだ」


「私に任せてください。昨日から航法図を読み込んできました。シベリア鉄道を含めたソ連の全てが頭の中に入っています」


「それは言い過ぎだが、よく期待している」


「やっと滑走路が空きましたね。九七式高速爆撃機は一機も欠けることなく」


「呑龍の番が来た」


 重爆撃機は呑龍を自称した。


 呑龍は主翼に抱える4発のエンジンを轟かせる。重厚な機体をゆっくりと前進させた。こんな巨人機が飛ぶのかと不安になるが飛行試験を通過している。それ以前に欧米を追い付いて追い越した。日本の技術者が丹精込めて開発したのである。呑龍が飛ばないわけがなかった。


「補助推進装置始動!」


(火星の音が存外心地よい。ロケットの音はどうしても好きになれない)


「うっ」


「なんちゅう加速だよ。ロケットがあるから前線飛行場から離陸できると言う。中の人間のことも考えて欲しいねぇ」


「機銃がぶっ壊れないかヒヤヒヤしますんで」


「満州の技術者に言っておこう」


 呑龍を飛ばすエンジンは当時最大出力を発揮可能な三菱の空冷星型複列14気筒の火星を採用する。新式陸攻も採用(予定)の爆撃機向けエンジンとされた。大型で大重量ながら大馬力を発揮できる。四発機の巨体を飛ばすに丁度良かった。陸軍と海軍のわだかまりを解消する。両軍はお抱えを柔軟に融通し合う協定を結んだ。具体的には、陸軍からハ5やハ41、ハ109を提供する。


 しかし、火星のハイパワーを以てしても円滑に飛ばすことは難しかった。これだけの巨体を短時間に飛ばすことをメインのエンジンに任せることは酷だろう。よって、固体燃料式ロケットを使い捨て式補助エンジンに用いた。ロケットは高度など周囲の環境を問わず瞬時に最大出力を叩き出す。国家総動員体制に基づいてロケットの研究と開発に加えて大量生産も進んでいた。


 モクモクと煙を撒き散らす様子は圧巻である。


「さぁ、地獄に参ろう」


続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る