「神々の泪」の三つの目の素材 1

「ひゃあああああああ‼」


 ああっ! もう、わたしってどこまでおバカさんなのかしら?

 アレクサンダー様が本に集中している間に、こそっと七段目の本棚から「神々の禁忌」を取ってこようと考えたわたしは、意気揚々と梯子を半分ほど登ったところで、見事に足を滑らせた。

 後ろからひっくり返るようにして落下したわたしは、痛みと衝撃を覚悟してぎゅっと目をつむる。

 だが、激痛を想像していたわたしは、訪れた衝撃があまりに小さかったことに首をひねった。

 恐る恐る目を開くと、近くにアレクサンダー様の顔がある。


「ひやああああああ‼」


 わたしは、違う意味でまた悲鳴を上げた。

 だって、アレクサンダー様の見目麗しい顔がすぐ近くにあるのだ。息もかかるほどに、近くに!

 いったい何事かと思ったわたしは、そこで自分がアレクサンダー様に抱きかかえられていることに気が付いた。

 いわゆる、お姫様だっこである。


 ……え⁉


 目を剥くわたしに、アレクサンダー様はあきれ半分、怒り半分という目を向けてきた。


「君は、何故このように突拍子もないことばかりするんだ? オリエンテーションの山火事のときといい、今といい、人がダメだと言ったことに逆らわないと気がすまない性格なのか? 私は、危ないから君は梯子に昇るなと、そう言わなかったか? それとも君は、破滅願望でもあるのか?」


 ありませんありません! 破滅なんてしたくありません!

 まさかこんなところに、悪役令嬢としての破滅ルートがあるんですか⁉


 わたしがぶんぶんと首を横に振ると、アレクサンダー様がこれ見よがしなため息をつく。


「それから、いくらここが閉架書庫で他に人がいないと言っても、書庫で大きな声を上げるものじゃない」

「……すみません」


 でも、普通はさ、梯子から落っこちそうになったら悲鳴の一つくらい上げると思うよ?

 という言い訳はこの場では逆効果な気がするので、黙っておくけどね。


「最後にもう一つ。そのようなドレス姿で梯子を登ったら、誤ってドレスの裾を踏んで梯子から落ちるのは当然の帰結だ。以後はもう少し自分の格好に目を向けるんだな。そもそも、婦女子がドレス姿で梯子に昇るのははしたないと思うがね」


 ……おっしゃる通りでございます。


 アレクサンダー様に床に下ろしてもらって、わたしは考えなしの自分にしょんぼりする。


「それで、君は何が気になったんだ? わざわざ梯子に昇ったからには、気になる本があったんだろう?」

「それは……」

「どんな些細な事でもいいから言いなさい。君の直感は、まあそうだな、ほんの少しくらいは、当てにしている」


 ほんの少しなのね。

 まあそうだろうなと思いつつ、わたしは「神々の禁忌」と書かれた本棚の七段目の左端の本を指さした。

 すると、アレクサンダー様の顔がさらにあきれ顔になった。


「余計なお世話かもしれないが、梯子が右側にあるのに、どうやって左端の本を取るつもりだったんだ? 手を伸ばしたところで届かないだろう?」


 ……ああ! わたしのばかあ‼


 もう、情けなくてぷるぷる震えちゃいますよ。

 顔なんて真っ赤です。

 恥ずかしい‼


 わたしが両手で顔を覆ってうつむいている間に、アレクサンダー様は梯子の位置を調整して、本棚から「神々の禁忌」の本を取ってきてくれた。


「また怪しげなタイトルだが、君が気になったのなら読んでみるといい。何かヒントがあるかもしれない」

「ありがとうございます……」


 わたしは分厚い本を受け取って席に着くと、アレクサンダー様が手元の本に視線を落としたのを確認してから、ぺらぺらとページをめくった。

 この本に「神々の泪」について書かれているのはわかっているけれど、どこのページなのかはわからない。

 厚さ五センチ以上ある本の中から該当ページを見つけるだけでも大変だ。


 ……くぅ! 前世で速読習っとくんだったあ‼


 早く探さないと、マリアの残念スキル(?)で十五分後には寝落ちしちゃうわ‼

 何を隠そう、お勉強嫌いのマリアには、小難しい本を読みはじめると十五分で脳がシャットダウンをはじめて眠りにつくという、とんでもないスキル(?)が備わっているのだ‼

 どこまで怠け癖が身についているのよ、わたし!


 脳が自動的にシャットダウンをはじめて強制終了する前に、何としても該当ページを見つけなければならない。

 急いでページをめくっていると、ページをめくる音に気が付いたのかアレクサンダー様が顔を上げる。


「君、そんなに早くページをめくって、内容が理解できるのか?」

「だ、大丈夫です!」

「そうか。だが、時間はまだあるんだ。ゆっくり読んでもいいと思うが……」

「いえ、わたしには十五分しかないんです! 難しい本を読むと十五分で眠りつくというスキルというか呪いが!」

「……そのような呪いは聞いたことがないが、そうか、君も……うん、大変、なんだな」


 ああ、あきれていらっしゃる!

 でも、アレクサンダー様に言い訳をしている暇はない。まあ言い訳する言葉も思いつかないが、とにかく、十五分のタイムリミットが来るまでに該当ページを見つけるのだ!


 もともとアレクサンダー様はわたしを戦力として見ていなかったようで、わたしの行動には期待していないようである。

 必死になってページをめくり続けること十分。

 わたしはようやく、目的のページを発見した。


「アレクサンダー様!」

「なんだ?」

「ここ、これを見てください!」


 とにかく「神々の泪」を作る方向へアレクサンダー様を誘導しなくてはならない。

 ページを開いてアレクサンダー様の方へ向けると、彼はそのページを見て、ぐっと眉を寄せた。


「『神々の吐息』に触れて眠りに落ちたものは『神々の泪』をもってのみ目覚める……君はこれが、アグネスを目覚めさせる調合魔法薬ではないかと、そう言うのか?」

「はい! だって、エリクサーで目覚めないなら、エリクサー以上の薬が必要でしょう? これ以上のものがあるとは思えません!」

「簡単に言ってくれるが、この調合魔法薬がアグネスを目覚めさせる薬だとして、どうやってこれを作るつもりなんだ? はっきり言って、三つの材料のうち、エリクサー以外の二つは、この世界に存在しているとは思えない。『光の妖精の翅の鱗粉』『黄金のリンゴ』……この二つを、どうやって入手しろと?」


 ……くっ。すでに「光の妖精の翅の鱗粉」はハイライドがいるから、彼にお願いすれば何とかなりそうなんだけど、ここでそんなことは言えないわよね。


 そして、黄金のリンゴがある場所も、わたしは知っている。


 黄金のリンゴは、イズンの滝の滝つぼの近くに生えているリンゴのことだ。

 イズンの滝はここからずっと北にある、グウィルナー国にある。

 そして時間をかけてグウィルナー国のイズンの滝にリンゴを取りに行かずとも、なんとその黄金のリンゴは、リッチーのお店にあるのだ。


 珍しいものを見つけると何でも購入する収集癖のあるリッチーは、二年前にたまたま王都の市場で黄金に光るリンゴを発見した。

 キラキラ光るリンゴが気に入ったリッチーは、そのリンゴを、時を止める魔道具の箱の中に入れて大切にしまっている。

 光の妖精の翅の鱗粉の方は今の段階でしゃべるわけにはいかないが、黄金のリンゴの方は半年くらい前にリッチーから見せてもらったからわたしは知っているので、これは口にしてもいい情報だ。


「アレクサンダー様、その二つのうち、黄金のリンゴは、ええっと、なんとなくですけど、それっぽいものをわたしは知っています」

「なんだと?」

「リッチーのコレクションにあるんです」

「は⁉」

「何でも、二年前に市場でたまたま入手したとかで、時を止める魔道具の中に入れて大切に保管してありますよ。見せてもらったことがあるので知ってます」


 アレクサンダー様は唖然とした顔になって、それからこめかみを押さえた。


「……叔父上の収集癖にも困った……いや、この場合は助かったと言った方がいいのか? しかし、普通は黄金のリンゴなど買わないだろう。光るリンゴなんて気持ち悪いじゃないか」


 まあ、その気持ちはわからなくもない。

 珍しいけれど、食べろと言われて差し出されたらわたしも躊躇するだろう。


「しかし、なるほど。叔父上のコレクションのリンゴが該当のものだとしたら、あと一つの『光の妖精の翅の鱗粉』を手に入れれば材料は揃うのか。……だが、妖精だぞ? そんなものをどうやって探せと」

「そ、それについてはおいおい考えるとして、とりあえず、この『神々の泪』を作る方向で考えませんか? この薬を作ることができれば、アグネス様も目を覚ましますよ」

「……少々眉唾な感じもしなくもないが、今のところこれが一番有力な手掛かりかもしれないな。正直、わたしが読んでいた本には手掛かりになりそうなものはなかった」


 アレクサンダー様は持って来ていた紙に『神々の泪』の生成方法を書き写す。あとでホルガー侍医長に見せるらしい。


「妖精については、何か情報がないかツテを当たってみることにしよう」

「わ、わたしも、ツテを当たって見ますね!」

「君のツテか。……いや、なんでもない。助かるよ。正直、君がここまで親身になってくれるとは思っていなかった。ありがとう」


 あ、アレクサンダー様、今「君にツテなんてあるのか?」とか言いかけてやめたわね。

 でも気づいても気づかなかったふりをしてあげるのも優しさよね!

 アレクサンダー様がまさかわたしに「ありがとう」なんて言うとは思わなかったから、なんだか気恥ずかしくなってくる。

 照れ隠しに「へへへ」と笑うと、アレクサンダー様が虚を突かれたような顔をして、それからほんのりと頬を染めた。

 そして、意味不明なことを言う。


「君は……、天使なのか悪魔なのか、私には正直わからない」


 いや、わたし、天使でも悪魔でもなく、人間ですけど?

 手掛かりが見つかった喜びで、アレクサンダー様ってばおかしくなっちゃった?


 ……アレクサンダー様~、わたしの背中には、天使の真っ白い羽根も、悪魔の真っ黒い羽根も、どちらも生えてなんていませんよ~? そんなもの、どこにも見えないでしょ~?




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