彼女は善か、それとも悪か

 アレクサンダー・ナルツィッセは、マリア・アラトルソワのことが苦手だった。


 だが、幼いころは、そうではなかったはずなのだ。


 アレクサンダーがマリアとはじめて会ったのは、彼が九歳になる年のことだった。


 公爵家はポルタリア国に五家しかない。

 上級貴族はその品位を守るために、上級貴族の中から結婚相手を選ぶことが多く、だいたいが幼いころに顔合わせが行われる。

 アレクサンダーもそう言う意味で、将来の嫁候補としてマリアに会わされることになった。


 公爵家を継ぐアレクサンダーの嫁候補に挙がるのは、侯爵家以上の家の令嬢、もしくは公爵家と縁のある伯爵家のご令嬢だ。

 その中で、アラトルソワ公爵令嬢であるマリアは、アレクサンダーの妻の最有力候補と言っても過言ではないだろう。

 もっとも、アレクサンダーの、というよりは、ほかの公爵家、それから王族を含めたすべての年の近い男子の最有力候補ではあるのだが。


 そう、マリアは、血筋だけを見ればこの国の頂点に君臨する尊い身分の女性だった。

 そして、互いの両親によりセッティングされた場で、アレクサンダーはマリアに会った。


 春生まれの彼女は七歳を迎えたばかりで、春の花のようなピンク色の可愛らしいドレスを着ていた。

 艶々の金色の髪は、同じくピンク色のリボンが結ばれている。

 ぷっくりとしたミルク色の頬に、大きな赤紫色の瞳。


 はっきり言おう。

 あの頃のマリアは、文句なしの美少女だった。


 アレクサンダーとの顔合わせなのに、どういうわけかマリアの側には、マリアと同じように、いやそれ以上に、びっくりするほどの美少年が張り付いていたが、二人合わせて神が遣わした天使かと見まがうほどに美しかったのを覚えている。

 マリアに張り付いていた美少年――マリアの兄(本当は従兄だそうだがそのときは知らなかった)ジークハルト・アラトルソワはどういうわけか最初からアレクサンダーに敵意を剝き出しにしていたようだが、そんなことも気にならないくらいの衝撃だったのを覚えている。


(この子が、将来、僕のお嫁さんになるかもしれないのか)


 なんて可愛らしいんだろう。

 間違いなく、アレクサンダーの初恋は、マリアに会ったあの時だった。


 だからだろう。

 将来自分の妻になるかもしれない女の子にいいところを見せたかったアレクサンダーは、覚えたての魔法をマリアに披露してあげたくなった。

 そして、カッコイイと言ってもらいたかった。


 その結果、マリアに怪我を負わせてしまう羽目になってしまって、それについては、アレクサンダーは今も悔やんでいる。

 そしてそのことが負い目となり、マリアに怪我をさせてからは、アレクサンダーが彼女に会いに行くことはなかった。


 だから去年、マリアが学園に入学する年になったとき、ちょっとわくわくしていたのだ。

 あの時の美少女は、どんなに美しく成長しているのだろうか、と。


 上級貴族のご令嬢が少ないため、アレクサンダーは、第一王子ルーカスが婚約者を決めるまでは婚約者を決められない立場にあった。

 本来はそのようなルールはないのだが、アレクサンダーはルーカスと年が近すぎるため、どうしても同年齢の女性はルーカスとの取り合いとなる。

 そのため、ルーカスが相手を決めるまでは、彼と年の近い上級貴族は婚約者を決めないことになっていたのだ。


 だから、今年になってマリアがジークハルトと結婚することが決まったと聞いたときは驚いたものだ。

 おそらくだが、ルーカスがマリアを毛嫌いしているため、マリアは相手には上がらないと判断されたのだろう。ジークハルトとの結婚は、とんとん拍子に決まったと聞いた。


 話を戻すが、去年、アレクサンダーはマリアが入学してくるのを心待ちにしていた。

 ずっと会っていなかった、幼い日の初恋の女の子。

 アレクサンダーの中の期待値は、会わなかったからこそ大きく膨れ上がっていた。


 だが――


 久しぶりに会った女の子は、記憶の中の彼女から大きく変質していた。

 さながら天使が堕天したかのように、悪い方に変わりすぎていたのだ。

 傲慢で、高慢で、他人の迷惑を顧みず、男と見ればすり寄っていく、高飛車な女王様。

 アレクサンダーが築き上げてきたマリアの想像図はガラガラと音を立てて崩れた。

 の、だけれど。


(……少し、変わった気がする)


 城の閉架書庫で、開いた本のページに視線を落としながら、アレクサンダーは考える。

 最初にマリアに変化があった気がしたのは、今年のオリエンテーションの日のことだった。

 マリアと同じ班にされたことに絶望したアレクサンダーだったが、マリアに以前のような高慢さがないことにはオリエンテーションがはじまってすぐに気が付いた。


 おかしいと思った。

 何か企んでいるのではないか、とも。


 だから警戒した。

 オリエンテーション中も、オリエンテーションが終わっても、彼女の本質を見極めようと観察した。


 もし変わったのならば、何が彼女を変えたのか。

 ジークハルトだろうか。

 女は結婚すると変わると、父が昔言っていた。

 結婚が決まったから、マリアは変わったのだろうか。


 そう思うと、なんだか面白くなかった。

 だからだろうか、つい、叔父のリックに乗せられて、本来ならば他人に教えるべきではないナルツィッセ公爵家の秘密――アグネスが目覚めなくなった件について、彼女に教えてしまった。

 そして今、彼女の提案に従って、城の閉架書庫に来ている。

 マリアを誘ったのは、そうすることが必然であるように思えたからだ。


 ニコラウス・カトライア先生がマリアが直感型の魔法使いだと言ったけれど、本当は、別にマリアの直感を信じていたからではない。

 マリアともっと一緒の時間をすごせば、彼女のことがもっとわかる気がした。


 彼女の本質は、どこにあるのか。

 彼女は善なのか、悪なのか。


 ――アレクサンダーの出会った頃の、あの天使は、まだ彼女の中に残っているのだろうか、と。


(馬鹿馬鹿しい。残っていたら何だというんだ。すでに彼女はジークハルトとの結婚が決まっていて、私には関係のないことだというのに)


 でも、もし、彼女がアレクサンダーの出会った頃の彼女だったならば。

 アレクサンダーは、脳裏をよぎった考えに、慌てて首を横に振る。

 何を考えているのだろうか。

 今は下らないことを考えてなどおらず、妹を救う方法を探すべきだ。

 そう自分を叱咤し、再び本に集中しようとしたとき、背後でガタンと大きな音がして――


「ひゃあああああああ‼」


 マリアの、甲高い悲鳴が響き渡った。



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