デートと妖精 3
雑貨屋リーベで購入した水色のワンピースを身に着け、ナチュラルメイクを施したわたしは、お兄様と待ち合わせの場所――学園の正門前に向かった。
正門の門柱に寄り掛かるようにして立っているお兄様は、恐ろしく目立っていた。
青銀色のサラサラの髪。長い睫毛が影を落とす、切れ長の紫紺の瞳。
濃い紫色のシャツに、ダークグレーのズボン。シャツのボタンが上から三つくらいあいているのはお約束。
どこか気だるげに、しかしそれがまた艶っぽく、見る人(特に女性)の目を引き付けてやまない「歩く媚薬」の周りには、用もないのに大勢の女生徒がいた。
……あなたたち、今日はお休みなのに、お兄様の鑑賞ですか? いやまあ、気持ちはわかるけどね。
たとえが悪いかもしれないが、前世で、もし推しのアイドルとか俳優だとかが東京タワーの下に立っているよ、という情報を入手したら見に行きたいと思うだろう。それと同じだ。
お兄様が正門前に立っているよ、と聞けば、女の子たちが集まってくるのは必然なのである。
……うぅ、近づきにくいなぁ。
ここで近づいて行けば、きっとわたしは針の筵のように女の子の鋭い視線にさらされるのだ。
少し離れたところで躊躇って足を止めたわたしは、どうしたものかと悩む。
すると、お兄様がふと顔を上げて、わたしの方を見た。
……え? 気づいたの⁉
この距離で?
お兄様はわたしを見てふっと口端を持ち上げて笑うと、軽く右手を上げた。
「マリア、こっちだよ」
お兄様の呼びかけで、お兄様の周りにいた女の子たちの視線が一斉にこっちを向く。
……ひぃ!
人生初のデートの待ち合わせのキュンとかドキドキとかを味わう暇もなく、わたしは心臓が縮みあがりそうな思いで駆けだした。
こうなれば、一秒でも早くこの場から退散したい。
「マリア、そんなに走ったら転――」
「ほほほほほ! お兄様! さあ行きましょう!」
がしっとお兄様の手を掴むと、わたしはそのまま走っていく。
お兄様が「おやおや積極的だねえ~、嫌いじゃないよ、そういうの」などとふざけたこと言いながら、くすくすと笑って小走りでついてきた。
わたしは結構本気で走っているのに小走りって!
いや、リーチが違うのはわかってますけどね!
お兄様は背が高いのでその分足も長い。
子供のお遊戯に付き合うような生暖かい表情で、わたしを隣から見下ろした。
「それでマリア、どこに行くのかな? おにいちゃまとしては、王都で買い物でもと思っていたんだが、ほら、マリアが急ぐから馬車の前を通り過ぎてしまった」
「馬車があるなら先に言ってください!」
わたしは急ブレーキさながらに足を止めると、ぐるんとお兄様に向き直った。
「そうは言うが、話も聞かずに走り出したのはお前だよ。だから、お前が悪い」
めっ、とお兄様がわたしの額を指先で小突く。
くそう! その通りだけどなんか悔しい!
ほら行くよ、と手を差し出されて、わたしはお兄様と手を繋いで馬車が停めてある場所に戻った。
うん、気づかなかったわたしも大概だわね。アラトルソワの家紋が入った黒塗りの馬車が、思いっきり止まっていたわ。
戻って来たわたしたちを見て、顔見知りの御者が苦笑している。
御者が馬車のドアを開けてくれたので、お兄様の手を借りて乗り込んだわたしは、そこで「うん?」と首をひねった。
馬車の座席は向かい合わせになっている。
だというのに、なぜお兄様はわたしの隣に座ったのだろう。反対側はがら空きですよ~?
そしてそして、お兄様はさも当然のようにわたしの肩を引き寄せた。
ふわりと香る、ちょっとエキゾチックなお兄様のシャンプーの香りに、わたしの体温がぐわわっと上がった。
……お兄様、そんなちょっとエロい香りを漂わせているから「歩く媚薬」とか呼ばれるようになったのだと思います! 今すぐにシャンプーを変えるべきです‼
わたしの心臓が餅つきさながらに、どったんばったんと大きな音で騒ぎ出す。
……うぅ、恥ずかしくなってきた。相手はお兄様なのに。お兄様なのにぃ!
「マリア、どこか行きたい場所はあるかい?」
「い、いえ、とくには……」
「そうか。じゃあ、最初はお兄様のお買い物に付き合ってくれるかい?」
「も、ももも、もちろんです!」
もうどこへなりともついて行きますから、デート初心者を相手に耳元で囁くように話しかけないでください!
お兄様が座席から腰を浮かせて、御者台に続く窓を叩いた。
「ユヴェーレンに向かってくれ」
「かしこまりました」
御者への指示を終えて、お兄様がわたしの隣に座りなおす。
お兄様がきちんと座ったのを見届けてから、御者が馬車を発進させた。
「ユヴェーレンって、お兄様、宝石でも買うんですか?」
ユヴェーレンは、王都にある宝石商の中でも老舗の有名店で、大勢の貴族が御用達にしているお店だ。
アラトルソワ家にも、ユヴェーレンの外商が出入りしている。
お兄様は意味深な顔でふっと笑って、わたしの頬に手を伸ばすと、くすぐるように手の甲で撫でる。
「お前との結婚が決まったからね。すぐに結婚するから正式な婚約発表はしていないが、お前が私の婚約者であることには変わりない。私は婚約者に石の一つも贈らないような、薄情者ではないつもりだよ」
え⁉ つまりわたしのプレゼントを買いに行くってことですか⁉
驚きのあまり目をまん丸くしてしまったわたしに、お兄様が楽しそうに「なんて顔をしているんだい」と噴き出す。
「もちろんだ。婚約者にはきちんと、所有の証をつけておかなくてはね。首にも、指にも、耳にもね」
……あ、あのぅ、お兄様に言わせると、婚約者家の贈り物がなんだかとっても危険でかついかがわしいもののように聞こえてくるのですけど気のせいでしょうか?
買いに行くのって、宝石だよね?
呪いの何かとかじゃ、ないよね?
不安になって来たが、楽しそうなお兄様が止まるはずもない。
むしろ止めようとしたらわたしへの被害が増大する気配しかしない。
……わ、わたしは賢いから、なんか嫌な予感がしても気づかないふりしておとなしくしておくんだー。わー、お兄様からのプレゼント、楽しみだな~、あはははは。
お兄様、わたしとお兄様は結婚しますが、契約結婚ですよ。契約結婚ですからね? なんだか「首輪つけて繋いでおこう」的な危険な気配がぷんぷんしますが、絶対にやめてくださいね⁉
やっぱり、破滅回避のためにお兄様との契約結婚を選んだのは間違いだったのではなかろうか。
――よくわかりませんが、わたくしは、お嬢様はいつも間違っていると思います。
ふと、ヴィルマの声が脳裏に蘇る。
わたしは、脳内のヴィルマに向かって、八つ当たりのように叫んだ。
……うっさいヴィルマー‼ でも、わたしだって、わたしだって、そんな気がしてきたわー‼
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