一日目 貴族に料理はハードルが高いと思いますけど 1
順番になったので、わたしたちはブルーメ学園の転移魔法陣を使って、南の湖畔地帯に移動した。
大きな湖と山々が広がる自然豊かな王家直轄地の湖畔地帯には、真っ白な壁に湖のような碧い屋根の大きな城が建っている。
魔物討伐は二日目なので、一日目は移動と、それから班の親睦を深めることが目的だ。
……親睦を深めると言っても、移動前にしてすでにアレクサンダー様に関わるな宣言をされたに等しいわたしはどうしたらいいのだろうか。
って、落ち込んでも仕方がない。
嫌われようと関わるなと言われようと、オリエンテーション中に班で別行動はできないのである。
……それに、一日目は、恐怖の料理イベントがあるからね!
何度も言うようだが、ここは乙女ゲーム「ブルーメ」の世界である。
ゆえに、何というか、貴族社会では普通は考えられないようなとんでもイベントも発生する。
その一つが、オリエンテーションの魔の一日目と言われる「料理イベント」だ。
乙女ゲームの開始は来年なのだが、これは学園のイベントなので、もちろん来年だけのイベントと言うわけではない。
……貴族の子女に料理をしろとか、鬼だわ、この学園。
貴族の多くは専属料理人を雇っている。
中には料理ができる子もいないわけではないだろうが、貴族の八割が料理未経験者と言っても過言ではないだろう。
その状況で、学園はこのオリエンテーションの夕食は各自で作れととんでもない要求をしてくるのだ。
「上に立つものとして、下のものの気持ちを理解するため」ともっともらしい建前を述べているが、単純にこのイベントは、ヒロインが目立つためのイベントだ。
ヒロインは来年編入してくる隣国ロザリア国の王女リコリス殿下だが、彼女は妾腹の子で母親が平民のメイドだったため、しばらくは隠されるようにして市井で暮らしていた。ゆえに、料理ができる。その彼女を目立たせるためのイベント、それがこの料理イベントだ。
……去年はさんざんだったわね~。
この悪魔のようなイベントを前に、ブルーメ学園の生徒たちは早くも戦意を喪失している。
鬼のような先生たちは、この夕食作りというイベントに、各自の使用人の導入を許可しない。本当に、自分たちの手で料理を作らなければならず、その出来栄えによっては空腹を抱えて明日の朝までをすごす羽目になるのである。
……この料理イベントのために、各部屋にキッチンまであるのよね、このお城。さすが乙女ゲームの世界。なんでもありだわ。
わたしたちがお城に到着したのはお昼過ぎだが、特にすることはないので、この魔のイベント夕食作りについて作戦会議を開くことにした。
場所は、班の中で一番身分の高い女性――つまり、わたしの部屋である。
「夕方の五時までに、ここに書かれている食材の中で必要なものに丸をして提出する必要がある。……私としては、そのまま生でも食べられそうなものを選ぶべきだと思っているが、どうだろうか」
アレクサンダー様はすでに作る気がなさそうだった。生食というとてもワイルドな選択をなさっている。
……でも、生って言ってもね。
はっきり言おう。この中で生で食べられそうなものは野菜くらいなもので、他は無理だ。
ブルーメ学園の先生たちは容赦がないので、パンも支給してくれない。パンが食べたければ小麦粉から自分で焼けとばかりに、パンの材料が羅列してある。まさに、悪魔のイベント。
「はっはっはっはっ、生と来たか! いやいやアレクサンダー、せめて焼くくらいはできるのではないか? 候補にこの肉の塊を入れておこう」
お兄様は生食に追加で、「焼く」を選択した。
しかしアレクサンダー様は嫌そうな顔をする。
「安易なことを言うな。去年はそれでひどい目に遭ったんだ」
……逆に知りたいが、ただ「焼く」という選択で、どんなひどい目に遭うことができるというのだろうか。聞きたいような、聞きたくないような。
「では、野菜の丸かじりだけで我慢しろと?」
「それが一番の安全策だ。明日の朝、腹痛と戦いながら魔物討伐に向かうことになりたくはないだろう?」
本当に、ただ「焼く」だけなのに何があったと言うのか。
貴族の料理スキル、恐るべし。
新入生の女の子二人は、ブルーメ学園の恐ろしい洗礼に顔色を失くしている。
女子力の高い女の子なら、ここですかさず「わたしぃ、料理できますぅ」と頼もしいことを言ってくれるのだろうが、残念ながら貴族の女の子にはそれは当てはまらない。
そして、使用人の導入が不可能なため、一緒について来てくれたヴィルマは我関せずという表情で、荷物の片づけをしていた。
鬼な先生たちは、わたしたちが料理をはじめる時間になったら、各々が連れてきた使用人を一階のダイニングに集めてしまうため、ずるをしようとしても物理的に力を借りることは不可能だ。もっとも、貴族の侍女なんてほとんどが貴族令嬢なので、戦力になるのはごく一部だろうが。
……でも正直、野菜の丸かじりはちょっとな。
前世の記憶を取り戻したから、わたしは料理の仕方はわかる。
だが、この体に料理スキルが備わっているのかどうかはわからないので、作り方がわかっていても、きちんと料理になるのかどうかはわからない。
……元がゲームだからね、意外といろんなものが揃ってるのよね。スパイスとかお米とかもあるし。って言うかこれ、カレーを作れとばかりの材料じゃないの。「おすすめ☆」とか書いてあるし!
この世界にカレーと言うメニューは存在しているが、貴族の食卓には上がらない。
しかし、この場において、恐らく「カレー」を選択することが一番無難なものだというのは、なんとなくわたしにも理解できた。
わたしの料理スキルがどの程度かはわからないけど、いくら何でもカレーで失敗することはないだろう。切って炒めて煮込めばできるのだから。
……ただ問題は、わたしが作ったものを、アレクサンダー様や女の子二人が口にするとは思えないことね。
お兄様は怖いもの見たさで味見くらいはしてくれる気がする。
味見して食べられると判断すれば、食べてくれるだろう。
だが、他の三人は無理な気がした。
……でも、生野菜の丸かじりは、ちょっと…………。
わたしは悩む。
ここは空気を読んで、アレクサンダー様の提案を受け入れ生野菜の丸かじりで明日の朝まで我慢するか、それとも無難にカレーを作るか。
ううむ、と考え込んでいると、お兄様がわたしの方を向いて、こてんと首を傾げた。何その可愛い仕草! 「歩く媚薬」の誘惑⁉
「マリア、お兄様は生野菜が好きではないから、この肉の塊を焼くという選択肢を加えてもいいと思うのだが、マリアはどう思う?」
「……ついでに、切ると炒めると煮るを追加したらどうですか?」
試しに小声で提案してみると、お兄様がおやっと目を丸くした。
「おやおや、私の可愛い妹は、もしかしてもこの危機を脱する策を持っているのかな?」
「さ、策と言うほどのことではありませんわ。ただ、この中の材料を使って、作れそうなものを見つけただけの話です」
「ほほう?」
お兄様が面白そうに紫紺の瞳を輝かせた。
「いやはや驚きだ。料理どころかキッチンにすら足を踏み入れない我が妹に、作れそうな料理があったとは! おにいちゃまはお前の手料理と言うものにものすごく興味があるので、それはぜひとも作ってもらいたいところだな。アレクサンダー、どう思う?」
「お前は私に死ねと言うのか」
アレクサンダー様が即答した。
あー、うん、まあ、アレクサンダー様がそう言いたい気持ちもわかるよ。
ほかの貴族子女でも不可能なのに、万年落第生のようなわたしに作れるものなんてあるはずがないと、そう言いたいに違いない。
隣に座っているお兄様は、わたしの肩に手を回して、くるくるとわたしの金髪を指に巻き付けて遊びながら、挑発的な顔でふふんと笑った。
「なるほど、ではこうしよう。どちらにせよお前はさっき生と言ったのだかがそもそも料理をするつもりがないのだろう。だったら、生の野菜でもかじっていればいい。そして、誰も使わないキッチンで、マリアが私のために料理を作ったとしても、お前には関係のないことだ。違うか?」
「ほかの二人の女性はどうするつもりだ」
「もちろん、二人の選択に任せるとも。彼女たちが料理をしたいというのならば、それはそれで構わないのではないか? キッチンは広いのだ。マリアは私のために料理をする。君は生で野菜をかじる。他の女性は、料理をするか君に習って生食を是とするか選べばいい」
「オリエンテーション期間は、基本的に班で行動を共にし協力して過ごすと決まっているというのに、お前は早くも個人行動を推奨すると?」
「その言葉をそっくりそのままお前に返そう。ここに移動する前に、お前がマリアに向かって宣った言葉を、私は忘れたわけではないよ」
アレクサンダー様がひくっと頬を引きつらせる。
……どうでもいいけど、わたしが「お兄様のために」料理を作るのは決定なのかしら?
いつの間に「お兄様のために」といういらない修飾語がくっついたのかは知らないが、なんかもう、わたしが口を挟めそうな雰囲気じゃないわ。
アレクサンダー様はじろりとわたしを睨んだ。
「ああそうか。ならば好きにするといい。その結果、君たちが腹痛を訴えたとしても、明日の魔物討伐にはついて来てもらうぞ。魔物討伐には班の全員が揃うことが条件なのだからな」
……あの、なんか場の空気を乱したのはわたし、みたいな感じになってますけど、わたし、何もしてないよね? 睨まないでほしいなあ……。
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