一日目 貴族に料理はハードルが高いと思いますけど 2
「お米と、ジャガイモと人参とお肉と玉ねぎと……トマトと蜂蜜も隠し味で追加っと」
わたしが夕食作りに使う食材リストに丸を付けていると、隣で見ていたお兄様と、それから対面からわたしの手元を覗き込んでいたアレクサンダー様が引きつった顔をした。
「マリアは一体何を作るつもりなのかな? 大量の怪しげなスパイスにも丸をつけているし、毒薬でも作るつもりなのかなあ~?」
なるほど、カレーを作ったことのないお貴族様には、わたしがチェックをつけた食材や調味料をあわせると毒薬になるように思えるようだ。
「米を選択したと言うことはリゾットでも作るのではないか? ……私は未だかつて、リゾットにジャガイモやニンジンなどが入っているのを見たことはないがね」
え~、それは勘違いですよアレクサンダー様。見えないようになっているだけで、例えばお野菜のブイヨンを使う時なんかには、それこそたくさんのお野菜を煮込んだで出汁を取りますからね。
なーんてことは言えるはずもないので、わたしはにこりと微笑んでおく。
「リゾットではありません」
「そうか。まあいい。食べるのは私ではないからな」
アレクサンダー様は考えるのをやめたようで、自分が食べる生食用の野菜に丸をつけていく。
残る二人の新入生の女の子たちも、アレクサンダー様を習って生食を選択したようだ。
リストの中に唯一「リンゴ」という果物の名前を発見して心の底からホッとした顔をしていたけど……あら、貴族のご令嬢はリンゴをまるかじりできるのかしら?
わたしを基準に言わせると、リンゴを生で食べる時も、食べやすいように一口大に切って出されていた。丸のままかじるなんて選択は、今まで一度もしたことはない。
……ってそうそう、リンゴもカレーの隠し味になるのよね。
追加でリンゴに丸をして、怪訝そうな顔をしているお兄様にリストを差し出した。
「お兄様、これでお願いします」
「……うん、マリアがそれでいいなら、お兄様は構わないよ。ちょっと想像していたのと違ったがね」
お兄様はきっと、威勢のいいことを言ったところで所詮わたしなので、肉を切って焼くくらいなものだろうと思っていたに違いない。
想定外に丸を付けた材料が多かったのでびっくりして不安になって来たのだろう。
しかし、お兄様は気を取り直したように、艶やかな笑みを浮かべた。
「私の未来の妻が手料理をふるまってくれるというのだ、おにちゃまも覚悟を決めようじゃないか。それで死ぬなら本望だ」
ちょっと待て‼
やけに綺麗な笑顔を浮かべると思ったら死ぬ覚悟をしていたのか‼
……悔しい! こうなったらとびっきり美味しいカレーを披露して驚かせてやるんだから!
わたしの部屋に食材が届けられたので、続き部屋のキッチンで作業開始だ。
アレクサンダー様たちは生食だからすぐに食べられるが、食べるには早い時間だからか、それとも生野菜だから気が進まないのか、届けられた食材を放置してわたしが料理をするのを観察していた。
アレクサンダー様はともかく、二人の新入生たちはくすくす笑っていたので、わたしが失敗すると思っているに違いない。
お兄様はわたしの背後に立って、興味津々に手元を覗き込んでいる。
「お兄様、そこに立たれると邪魔です」
「そうは言うが、マリアだけに作業させるわけにもいかないだろう? お兄様も手伝ってあげるよ」
「……そうですか?」
お兄様でも、お米や野菜を洗うことはできるだろうか。
手伝ってくれるというのであれば断る理由はない。
これはオリエンテーションのイベントの一つで、本来は、班の全員が協力して当たる試練なのだから。
「それで、これを洗えばいいのかな?」
「はい。お願いしま――お兄様‼ 野菜やお米を洗う時に洗剤を使ってはダメです‼」
こんなべたなことを本当にやる人がいるとは思わなかったよ‼
わたしが大慌てでお兄様の手から洗剤を奪い取ると、お兄様は不服そうに口をとがらせる。
「マリア、しっかり洗わないと汚いじゃないか」
「綺麗だとか汚いとか以前の問題です‼ 死ぬ気ですか⁉」
洗剤まみれのお米や野菜を、わたしは絶対に食べたくない。
お兄様は危険だ。早々に退場願おう。
わたしは隠しに使う分のリンゴを取り置いて、残りをささっとカットすると、お兄様に押し付けた。
「これをあげますから、アレクサンダー様たちのようにあっちに座って食べていてください」
「マリア、おにいちゃまは感動したよ。お前、刃物の扱いがとても上手いじゃないか」
刃物……。
うん、まあ、包丁も「刃物」ではあるけれど。
お兄様が言うと、なんだか違う意味に聞こえてきて、ちょっと物騒な気配がするのは何故だろう。
……わたしは、剣とかナイフなんていう武器は扱えませんからね!
リンゴをもらったお兄様がご機嫌でソファに移動する。
これで、お米や野菜を洗剤まみれにしようとする危険人物は去った。
この世界にはカレールーなんてものは販売されていないので、わたしは届けてもらったスパイスをブレンドしてカレー粉を作る。
……ふっふっふっ、自慢じゃないけど、わたしはカレーにはうるさいのですよ。
前世でわたしが一番好きな食べ物はカレーだった。
それはもう、ご当地カレーを取り寄せて食べつくし、国外のカレーも(レトルトではあったけど)、発売されているものは全種類網羅したほどのカレー好きだ。
そして、食べつだけにとどまらず、作ることにもこだわった。
スパイスのブレンドなんて、わたしにはお茶の子さいさいなのである。
あとは今世の「マリア・アラトルソワ」のスペックだけが心配だが、今のところ、多少の手つきのおぼつかなさはあれど、致命的と言うほどでもなかった。これならば細かい作業を必要としないカレーならば作れるはずだ。
玉ねぎをあめ色になるまで炒めて、スパイスを投入。その後すりおろしリンゴとトマトを投入してさらに炒める。小麦粉は入れない。何故ならしっかりととろみがついたカレーを作ると、あとあと食器や鍋を洗うのが面倒くさいからだ。この世界の洗剤は「頑固な油汚れもオッケー」みたいな性能のいいものではないのである。
カレールーの代わりになるものが出来上がったら、別のなべてお肉を炒める。そしてジャガイモやニンジンなどを投入し、水を加えて煮込んでいく。
「……魔女の料理を見てるみたい」
ぽつり、と呟き声が聞こえてきて顔を向けると、キッチンから少し離れたところに座っている女の子二人が青ざめた顔をしていた。
アレクサンダー様も眉間にしわを刻んでいる。
お兄様はリンゴを食べながら不思議そうな顔をしていた。
「ねえマリア、そろそろ何を作っているのか教えてくれないか?」
そう言えば、何を作るのか伝えていなかった。
「カレーですわ、お兄様」
「カレー……?」
「お兄様は食べたことがないかもしれませんけど、庶民は普通に食べている家庭料理です」
「へー」
お兄様は何とも気の抜けた返事をした。
「その庶民の家庭料理を、お前はどこで見聞きしてきたんだろうね。まさかおにいちゃまに黙って市井をふらふらしていたのかな? うむ、そんな危ないことをするなんて、これはお仕置きが必要だろうか」
なんでだ‼
お兄様が不穏な単語を口にしたので、わたしは青ざめて慌てた。
「や、や、邸の使用人が教えてくれたんですわ‼」
よし、今度公爵家に帰ったら適当な使用人を一人か二人買収して口裏を合わせてもらおう。
……うぅ、お兄様ってこんなに妹に干渉する人だったかしら? もしかして結婚することになったから? でも、あれは契約結婚で本当の結婚じゃないのに‼
「お前、使用人とそんなに仲がよかったっけ?」
「もちろんですわ!」
「ふーん」
お兄様は訝しそうだが、それ以上追及するのはやめたようだ。わたしを動揺させると鍋が焦げ付くと思ったのかもしれない。
最初は心配そうにこちらを見つめていたお兄様だが、カレーが出来上がるにつれて立ち込めてきたいい匂いに少し安心を覚えたらしい。
……お鍋でご飯も無事に焚けたし、わたしにしては大成功ってところかしら?
来年入学してくるヒロインのリコリスは、この料理イベントでどこの宮廷料理ですかと言わんばかりの素晴らしい料理の数々を披露するのだが、わたしにはそれほどの料理スキルはない。
でもまあ、生で野菜をかじるよりはマシなものができ違ったのではなかろうか。
あとはお兄様の口にあうかどうかだけが心配である。
リンゴを食べ終わって手持無沙汰なお兄様がふらふらとキッチンに近づいてきた。
わたしの背後に立って、鍋の中身を覗き込む。
「またずいぶん独創的な色をした料理だねえ」
独創的。なるほど、カレーを見慣れない人にとってはこの色は独創的な色に見えるのか。
「味は大丈夫だと思いますけど」
何度か味見したし、問題ないはずだと、わたしは小皿にカレーを取って口に含む。うん、美味しい!
「マリア、あーん」
「え?」
振り向けば、お兄様が「あーん」と口を開けて待っている。
くっ、可愛い! そしてただ口を開けているだけだというのに、色気が……!
わたしは不覚にもドキドキしながらお兄様の口にカレーを載せたスプーンを入れる。
お兄様が、ぱちくりと紫紺の瞳を瞬かせた。
「驚いた。美味しいじゃないか」
「そうですか? よかったです」
カレーはお兄様のお口にもあったらしい。
「ああ。お兄ちゃんはお前を見直したよ。……ちょうどいい時間だ。食事にしようか」
お兄様が部屋の時計を確かめて言う。
わたしはお皿に炊き立てのご飯とカレーをよそって、長方形の食卓の上に置いた。
お兄様とわたしがカレー、そしてアレクサンダー様と新入生の二人が生野菜(リンゴあり)である。
……なんかこれ、いじめている気になるんだけど。
しかし、生食を選択したのは三人だ。ここでお節介にも「食べますか?」なんて訊けるはずもない。きっとアレクサンダー様にはまた「私に死ねと言いたいのか」とでも言われてしまうだろう。
なんとなく視線が突き刺さる中、わたしはカレーを口に運ぶ。
わたしはとてもいたたまれないのに、お兄様は三人の視線どころか存在をまるっと無視する勢いで、ご機嫌でカレーを食べていた。お兄様の図太さがうらやましい。
「マリア、これ、本当に美味しいよ。少しばかり不思議な味だが、悪くない」
「ほ、本当ですか? よ、よかったです……」
喜んでくれるのは嬉しいですけどね、アレクサンダー様達の視線がどんどん険しくなっていくことに、思うところはないんでしょうか?
もちろん、ぺろりとカレーを平らげてお代わりまでしているお兄様には、思うところはないのだろう。本当に、びっくりするくらいに気にしていない。
前世の記憶を取り戻した今、わたしは以前のように図々しい悪役令嬢候補ではないので、この状況に胃がキリキリしてきますよ。
わたしは上機嫌でカレーを食べているお兄様と、そして兎のようにもしゃもしゃと生野菜を食べている三人に挟まれるという息の詰まりそうな空気の中、何とか夕食を取り終えた。
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