オリエンテーション開始 2

 オリエンテーション初日。


「「きゃー‼」」

 同じ班の女子学生たちが黄色い歓声をあげていた。

 わたしは三歩くらい下がって、その様子を眺めるに徹している。というのも……。


「ジークハルト様とアレクサンダー様と一緒の班なんて、幸せですわ~!」

「どうか魔物からわたくしたちを守ってくださいませ~」


 きゃあきゃあ騒がれているのは、わたしの兄と、それから攻略対象の一人であるアレクサンダー・ナルツィッセ公爵子息である。

 アレクサンダー様は今年十九歳の四学年に在籍している学生で、若葉のような緑色の髪に琥珀色の瞳の美男子だ。

 そして、もちろん、わたしが追いかけまわしていたイケメンのうちの一人でも、ある。


 ……最悪だわ。なんだって、たくさんいる学生の中で、お兄様とアレクサンダー様の二人を引き当てたの、わたし……。


 もちろん、班分けは教師たちが決めることを知っている。

 目的は魔物討伐なので、戦力に偏りがないように班分けされているのも、わかっている。

 お兄様は言わずもがな、アレクサンダー様も学園内ではトップクラスの魔法の使い手だ。

 この二人が揃っている時点で戦力は充分すぎるので、言わなくともわかるだろうが、この班の女子たちは、わたしを含めてお荷物要因と言うことである。


 ……わたしは初級の魔法でさえ失敗するようなダメな子だし、残り二人の女の子は新入生だもんね。まだ魔法は習ってないから……。


 学園に通う前に家庭教師について魔法を学ぶこともあるが、それは将来、魔法騎士団や魔法研究所に入ることを想定する人がほとんどだ。

 普通は、魔法は学園に入学してから学びはじめる。

 女の子たちが「守って」と口にしていることからもわかるように、彼女たちは魔法が使えないと考えていいだろう。


 ……お荷物三人を抱えるなら、そりゃあ実力者が必要でしょうよ。しかもわたしは公爵令嬢だし。


 わたしが残念な子であっても、公爵令嬢であることには変わりない。

 公爵令嬢がオリエンテーション中に怪我をしたら大問題に発展するので、先生方としても万全を期してこの二人を同じ班に組み込んだというところか。だって、初級魔法ですらおぼつかないわたしは、当然、自衛もできないもんね~。


 お兄様が新入生の女の子二人にきゃあきゃあ騒がれているのを眺めていると、わたしはふと強い視線を感じて振り向いた。

 アレクサンダー様が、探るような目でじっとわたしを見つめている。

 どうしたのだろうかと首をひねると、アレクサンダー様はカツカツとわたしに近づいてきた。


「マリア・アラトルソワ公爵令嬢、一つ忠告しておく」

「は、はい……」


 険しい表情にごくりと唾を呑む。

 背の高いアレクサンダー様は、じろりとわたしを睥睨している。その視線からも、嫌われていることは明らかだ。


「オリエンテーションで、不本意にも君と同じ班になってしまったが、私は君に対してこれっぽっちも好意を抱いていない。オリエンテーション期間中、妙な勘違いをしてまとわりつくことだけはやめてくれたまえ。いいな?」


 その、氷のような声に、わたしはひうっと息を呑んで固まった。

 アレクサンダー様がわたしに対して、そう言いたくなる気持ちはわかる。

 わたしは去年から、アレクサンダー様をはじめ、イケメンを見ると片っ端から声をかけ、まとわりつき、強引に迫っていた。

 しかも態度は傲慢で、わたしに好かれたのだから感謝しなさいと言わんばかりの上から目線。

 嫌われて当然なのだが、さすがに面と向かってそのようなことを言われると、心が痛くなる。


 わたしはどうしようもないダメな子だが、アレクサンダー様をはじめとする攻略対象たちは、前世のわたしの心の支えだった。

 恋人もおらず、仕事場と家を往復する日々。

 職場もホワイト企業とは程遠い、残業なんて当たり前、目の前に大量の仕事を積まれて、片付いていないなら帰るなと怒鳴られるような会社だった。

 毎日体力的にも精神的にもくたくたになっていたわたしの癒しは、「ブルーメ」の攻略対象たちがささやく甘い言葉だけで、つらい日々を支えてくれていた彼らがわたしを毛嫌いしているという事実は、どうしようもなくわたしの心を傷つける。


 もちろん、破滅したくないので彼らには近づかないようにしようと思っていた。

 思っていたが、それとこれとは、別なのだ。

 何も言い返せずアレクサンダー様を見つめていると、背後からくすっと笑い声が聞こえてくる。

 くすくすと無邪気に笑っているのは、新入生の女の子二人。


「やだあ、マリア様ったら、可哀想~」

「アレクサンダー様にそのような厳しいことをおっしゃられたら、わたくしなら立っていられませんわ~」


 くすくすくすくすという嘲笑に、わたしはかあっと頬を染めた。

 わかっている。これは自業自得だ。わたしが招いた結果だ。

 でも――


「おやおや」


 きゅっと唇を噛んでうつむいたとき、能天気な声がして、わたしの肩が引き寄せられた。

 びっくりして顔を上げる。

 わたしを引き寄せたのは、新入生の女の子たちにきゃーきゃー言われていたはずのお兄様だった。


「私の可愛い妹に、手厳しいご忠告感謝するよアレクサンダー」

「ジークハルト」

「おっと、ここは学園だ。私のことはジークハルト先輩、もしくはジークハルトさんと呼ぶんだね。先輩は敬わなくては」


 アレクサンダー様はムッとしたように眉を寄せる。

 けれども言い返したりせず、はあ、と息を吐き出した。


「私の声が聞こえていたのならば話は早い。君は兄なのだから、妹の面倒は兄の君が見てくれたまえ、ジークハルト先輩?」

「言われなくともそのつもりだがね、アレクサンダー。私はずっと、君のことは紳士だと思っていたのだけどね。いやはや少し見ないうちにだいぶ雰囲気が変わったようだ」

「……どういう意味だ」

「どうもなにも、今日がはじまってから今まで、マリアは君に一言も話しかけてはいないし、近づいてもいなかった。そんな女性を捕まえて、好意を抱いていないだのまとわりつくなだの、君はずいぶんと失礼な自意識過剰な男になったのだなと、私は感心しているんだよ」


 はははは、とお兄様は笑う。

 アレクサンダー様が眉を跳ね上げた。


「自意識過剰も何も、彼女は去年一年間ずっと――」

「去年は去年、過去は過去だ。過去の行いをいつまでも引きずるなんて、男として女々しいとは思わないのかね。もし、過去の行いを現在まで引きずりそれに対して延々と責め続けられるというのならば、アレクサンダー、君も責められてしかるべきだな。知ってるかい? マリアのここには、まだ傷跡が残っているんだよ」


 お兄様がわたしの金髪をさらりとよけて、耳の後ろを指す。

 アレクサンダー様がぎくりと肩を強張らせたのが見えた。


 ……お兄様ったら、十年も前のことを持ち出さなくてもいいのに。


 わたしはすっかり傷ついていたことを忘れて、あきれ顔になる。

 アレクサンダー様はナルツィッセ公爵家の嫡男だ。

 わたしもお兄様も公爵家の人間なので、幼いころから親密とまでは言えないまでも、少しくらいは交流はあった。


 アレクサンダー様は幼いころから魔法研究所に入るのを目標としていて、学園に入学前から家庭教師をつけて魔法の訓練をしており、わたしが七歳くらいのころ、それを披露してくれたことがある。

 そのときにちょっとした事故――簡単に言えば魔法の暴発が起きて、わたしは左耳の後ろを数センチ切るケガをした。

 自分では見えないところなので気づいていなかったが、いまだにうっすらと傷跡が残っているらしい。


 アレクサンダー様が動揺したように視線を彷徨わせる。

 お兄様はわたしの頭をなでなでしながら、アレクサンダー様に挑発的な視線を向けた。


「それからねえ、マリアをいじめていいのは私だけの特権なんだよ」


 ……ちょっと待て‼


 かばってもらって感動していたわたしは、その一言にギョッとする。

 わたしはいじめられて喜ぶ趣味なんてないので、お兄様にもその特権を渡したつもりはこれっぽっちもないのですけど⁉


「私はいじめたのではなく忠告を――」

「ああ、面倒くさいからいちいち訂正は結構だよ。それにね、まとわりつくな、だったかい? 安心するといい。マリアは今後一切君にまとわりついたりなんてしないよ。今回のオリエンテーション期間も、マリアのお守は私がする。君は残った二人の女の子のお守をすればいいよ。私は可愛いマリアで手いっぱいだから、他まで手は回りそうもないからねえ」


 お兄様はそう言って、新入生二人をアレクサンダー様に押し付けてしまった。

 二人が不服そうな顔をしてわたしを睨んでいるけれど、わたしを睨むのはお門違いじゃあなかろうか。だってそれを決めたのはわたしではなくお兄様なのだから。


「ほらマリア、そろそろ転移魔法陣の順番が回ってきたようだから、向かおうか」


 お兄様がわたしの肩に手を回したまま歩き出そうとして、思い出したようにアレクサンダー様を振り返る。


「そうそう、そのうち噂で聞くと思うけれど、マリアはね、私との結婚が決まったんだ。だから、マリアにつき纏わられている、なんて勘違いは、今を限りにやめてくれたまえよ」


 直後。


 いやあああああああ、という大きな悲鳴を上げて、新入生二人が泣き崩れた。


 ……「歩く媚薬」恐るべし。


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