第三章
後日、
伯父の説明の
「薬の副作用のせいにして、アベルを窓から
伯父は取り調べで、そのような説明をしたという。つまり、あの
「自分自身をあれほど強く殴りつけることができるとは、それほど強い意思を持っていたのでしょう」
伯父の怪我を
一歩
ちなみに、伯父の
しかし殿下はにやりと笑い、「何を馬鹿なことを」と言うだけだった。やはり私は、この世界でも悪役としての生を
あの事件から一ヵ月が経過し、ようやく父も自力で起き上がれるまでに回復した。父が
そんな父に「話がある」と呼び出された私は、父のベッド
「……私が長らく飲まされていた薬は、血圧を下げる効果があるものだったそうだ」
伯父から聞かされていたのとはまるで違うその薬の内容に、父の
「
父によると、伯父は長男である自分が
「私を殺して、この家を乗っ取ろうとしていたんだよ。タマルと
そう言う父は、かつてないほどに怒りに満ちた顔をしていた。
「今後、やつが外に出ることは二度と
本来ならば死罪に処されても不思議ではない行いであったけれども、伯父の薬学者としての功績は本物だった。国としても、薬学者としての伯父を
父の話が終わるのを待って、私はずっと気になっていたことを
「……主治医は、どうなるのでしょう?」
彼に責任が全くない、とは思わない。しかし、これまでの我が家への
「責任は負わねばならないだろうが、私からも
そう言って父は力なく笑うと、「加害者が主人の兄であり、薬学に精通する人間であったとしても、彼は私の主治医として、この事件を未然に防ぐ責任があったのだ」と続けた。
主治医を
父の痛みに思いを
――ラルフ。
その名を見て、
「エリス!? どうしたんだ!?」
書類から目を
「……すみません、少し考え事をしていました。ところで、そちらの書類は?」
推測するに、おそらく伯父に関する報告がまとめられた資料なのだろう。
そう思って尋ねてはみたものの、自分の
「ああ、あやつに関する報告書だ。やつは
……なるほど。だからラルフは〝次期公爵〞で、〝エリスの義弟〞だったのか。『ガクレラ』の本編で、エリスの過去について
そのことに思い至り、改めて目の前に父が生きていることに感謝する。
「……お父様がご無事で、本当によかった」
その言葉と共に
「これからもエリスの成長を見守ることができて、私も
父のその言葉は私に喜びをもたらすけれど、しかし同時に
ゲームと比べて、
「……お父様、私の考えをお聞きいただけませんか?」
気がつけば私は、そう口走っていた。
「ああ、なんだい?」
「その子を、スピアーズ家で引き取ることはできませんか?」
「もちろん、その子が望まなければ無理矢理に連れてくる必要はありません。ですが、父親が罪人になってしまったのです。その子が今まで通りに生きていけるとは思えません。生活費を伯父に
「加害者の
私の話を聞いた後、父は何かを考え込むかのように押し黙り、私もそれに
やがて父は大きく息を
*****
日々慌ただしく過ごしているうちに、私は十一歳の誕生日を
例年であればささやかな誕生パーティーが
「きちんと祝うことができず、申し訳ない」
父はそう言って悲しそうな顔をしたけれど、全くもって問題はない。
「お父様とお母様がお元気で、私が生まれた日を祝ってくださること以上に、幸せなことなどありますでしょうか」
実際、『ガクレラ』の設定通りに進んでいたならば、目の前に座るのは父ではなく伯父だったのだ。どれほど
まもなく、あの事件から半年が
しかし、以前とは大きく違う点が一つある。両親に抱きしめられながら目線を前に向けると、そこには私の義弟が座っていた。
ラルフ・スピアーズ。私の伯父であるカインと、庶民の女性との間に生まれた子。
ゲーム内では、母親を
そのため、ラルフははじめ、スピアーズ家の養子になることを
この世界において、貴族の養子になる際には実親との関係を解消する必要がある。実親との交流そのものが禁止されることはないが、公爵家の跡取りとなった人間が気軽に会いに行くことも、現実的には難しい。
そこで父が提案したのが、ラルフの母親を我が家で
「親子として関わることはできないが、今よりも
父のその言葉を聞いて、ようやくラルフは首を縦に
この話を聞いた時、私はひそかに胸を
そしてもう一つ、思い出したことがある。『ガクレラ』の【ラルフルート】において、ラルフは私の悪行を明らかにした上で、ヒロインと
正直なところ、私はヒロインに対しては悪い印象を持っていない。【ジェラルドルート】のヒロインに対しては、「婚約者がいる相手に……」と思わなくもないが、彼女がラルフを選ぶのであれば、その
ただしそれは、ヒロインにとって
しかし私は、ヒロインが本気でラルフを愛し、公爵夫人としてやっていこうという思いを持って努力するのなら、彼女にも幸せになってほしいと思っている。そのためには、ヒロイン本人の血の
ラルフが貴族社会の中で
もちろん、ヒロインはラルフを相手に選ばないかもしれない。そうであったとしても、スピアーズ公爵家の跡取りであるラルフが一目置かれる存在であることは、私にとってもメリットがある。
父が生きているこの世界で、王太子が一方的に私に婚約破棄を言い渡したとして、おそらくスピアーズ家は王家に苦言を
従って、不義理を働いた王太子を
》り込むためにも、ラルフには王家に認められるだけの力を付けてもらう必要があるのだ。
もう一度、目の前のラルフに意識を向ける。両親と私が抱き合う中、
「ラルフ、いらっしゃい」
今はまだ、口うるさく言う必要なんてない。我々はラルフを家族として受け入れているのだと伝えることが、今の私達がすべきこと。
私のその言葉に、おずおずとこちらにやって来たラルフを、私は正面から抱きしめる。
「お父様とお母様だけではないわ。ここにあなたがいてくれることも、私は嬉しいのよ」
未来の我が
おそらくこの子は、たくさんの
「エリスの言う通りだ。私達にとって特別なこの日を、ラルフと共に迎えられて嬉しく思うよ」
父はそう言うと、私の
「今後、公爵家の当主として、厳しいことも言わねばならない。けれども、それは
父の言葉に、ラルフの身体の力が
「……はい、お父様」
そう答えるラルフの声は、僅かに
「スピアーズ公爵の
一週間ぶりに会うジェラルド殿下は、私の顔を見るなりそう尋ねた。ラルフを我が家に迎え入れて以来、ずっと心配してくれていたのだろうかと思うと、私はちょっぴりこそばゆい気持ちになる。
「はい、おかげさまで。
私がそう言い直すと、ジェラルド殿下の
「すまない。そうだな、もう弟なのだな」
そう言う殿下は、心なしか嬉しそうだ。
「彼がエリスに害をなすことがあれば、すぐに私に教えてほしい。厳正に対処する」
私がそのようにどうでもいい思い出に
不思議に思ってジェラルド殿下の顔を見つめると、彼は僅かに|頰《ほお
》を染めた後、軽く
「しかしスピアーズ公爵は、その子を跡取りとして育てるのだろう?
「と、言いますと?」
真面目な表情で告げられたその言葉がどういう意味なのかを問うと、ジェラルド殿下は気まずそうな顔をした。
「……生みの親は
ジェラルド殿下のその言葉に、私は静かに息を
伯父から十分な金銭も
かん》であるということは、
ジェラルド殿下がスピアーズ家を本気で心配してくれていることはわかっているし、「彼女の前職をなるべく伏せたい」という我々の思いを尊重して、人払いをしてくれたことにも感謝している。
けれども、だ。
「ジェラルド殿下、その言葉ですよ」
彼に悪意がないからこそ、その言葉はこの上なく
「以前殿下は、『平等な社会を作りたい、差異は単なる差異にすぎない』とおっしゃっていたでしょう? では、仮にラルフの生みの親が八百屋を営んでいたとして、殿下は『八百屋の子で大丈夫か?』とお聞きになりましたか?」
私のその言葉に、ジェラルド殿下がはっとした表情を見せる。
「庶民の職業と言っても、その中にもさらに階級があるのです。殿下がおっしゃったように、おそらく娼婦はその中でも最下層に位置する職業の一つでしょう」
これに関しては、前世でも似たようなものだった。「職業に
も見えない真っ暗
「しかしだからと言って、彼女達を
娼婦として働く人間が、なぜその職を選んだのか。自ら望んでその職に
そしてジェラルド殿下は、自身が無意識に彼女達を見下していることに気がつかなければならない。なぜなら、彼は平等な社会を作ることを目標としているから。庶民の中でも
「……すまなかった。やがて国王になる私が、口にすべき言葉ではなかった」
私が言わんとしたことが伝わったのだろう。ジェラルド殿下はそう言うと、両手で自身の顔を
「エリスの言葉に、私は気づかされてばかりだ」
力なく発せられたその言葉に、私は
人は、知らないことに関しては、想像すらできない。ジェラルド殿下がそのように思うのは、前世の私が殿下の想像もつかないような世界で生きていたからだ。
「私の婚約者がエリスで、私はとても嬉しいよ」
いつの間にか私の真横に移動していたジェラルド殿下は、そう言って私の
「……そう言っていただけて、光栄です」
なんとか声を
政略結婚の相手でしかない私のことを心配してくれるところ、私の意思を尊重してくれるところ、自身の
沈黙と共に
「さあ、紅茶が冷めてしまっている。新しいものと取り
殿下はそう言うと、室内に人を呼び戻した。
最初の頃は
いずれ私は、ジェラルド殿下から婚約破棄を言い渡される運命にある。その時彼がどのような言葉で私を非難するのか、そしてどのような表情をヒロインに向けるのか、私はすでに知ってしまっている。
必要以上に傷つきたくないのなら、深入りしないのが身のためだ。そう自分に言い聞かせるものの、できるだけ長くこの関係が続けばいいなと、そんなふうに思ってしまった。
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