第5話
どれほどの時が経っただろうか。いや、そこまで経っていないかもしれない。しかし、私からすれば長く辛い時だった。
あの暗くよどんだ空気はどこかへと散り果てて、いまこの広間にはひとつの小さな社と、二人の少女がボロボロになって立っているのみ。
戦闘前はいくら照らせど明るくならなかったこの空間は、地下通路の入り口と同等に光を反射して我々の視界を照らしている。私は社に向かってじっと手を合わせ、最後の祈りを捧げる。
「夏野」
「うん。戻ろうか」
こうして、ボロボロになったリリスと共に、黒が取り除かれたこの広間を後にした。
「リリス」
「なんじゃ?」
「これから私はどうなる?」
ここから4時間の往路。いや、ボロボロになった私達はきっともっと掛かってようやく小さな社へと到着するのだろう。
ただ、そんな長い時間も別に苦痛ではないのだ。短く、長かった戦いは終わりを迎えて、また長い長い時が我々に訪れる。その合間の時間が今この時なのだ。
「そうじゃな。この地下道を抜けた先はもうそなたが暮らすいつもの世界じゃ。そこからは自宅まで歩いて帰ると良い。もちろん着ていた服は返すのじゃ」
「この服はどうすればいい?」
着ている服の横腹あたりをひらひらと摘まみ、そう問いかける。
「記念にでも取っておくのが良いじゃろう。それに、麓の大きな社へ持って行けば上等な待遇は期待出来るじゃろうな」
そうにひひと笑うが、別に私は上等な待遇など望んではいない。
「べつにいいよ。持ち帰れるなら十分だ」
これでもかというくらいにすがすがしい顔をしながら、一言そう言い放ってやった。後から思い出せば恥ずかしく感じるのだろうが、今はただ誇らしい。
「……そうか」
そんな私に見向きもせず、しばらくの沈黙の後、リリスはそうつぶやいた。
「そろそろじゃ」
長い沈黙の時もあれば、ひたすらに雑談をするときもある。そんな我々の往路もついに終わりを迎えた。目の前には冬特有のからっとした森林が広がっていて、木々の隙間からこぼれる光が地面をほんのり照らしている。あと数歩踏み出せば、この地下道を抜ける。それすなわち、別れの時がやってきたと言うことだ。
「2日も経ってないけど、長い長い冒険をした気分だよ」
「そうじゃな。今回は割と大変じゃった。……実を言うとな、普段は巫女が戦闘をするまでもなく短期間で祈りは終わるのじゃ。じゃが今回は違った。さすがに我も焦ったのじゃよ。きっとそなたが巫女じゃなければ今回の儀式は失敗に終わっていたじゃろう。本当に感謝しておる」
そう真面目な顔で言うと、深々と頭を下げだした。私はその下がった頭を優しく撫で、彼女の目線に合わせるように腰を下ろした。
「リリス、私を巫女に選んでくれてありがとう」
リリスは照れくさそうにふんっ、と返事をする。やはり神使ではなく、ただの見た目相応の女の子にしか見えない。
「ねえリリス、また会えるかな?」
「……そうじゃな。地下道の出入り口の社は我の家じゃ。すなわちそこに来ればいいのじゃが……、そなたの言う〝会う〟はそういうことじゃなかろう?」
「そうだね」
リリスが今言った〝会う〟は、神社にお祈りに行くようなもので、目で見えるわけでもなく、ましてや会話ができるというわけではない。
私が質問した〝会う〟は今この状況のように、私の目の前にリリスがいて、触ったり、話したりできるような状況のことだ。もちろん彼女が神使であり、超常的な存在であることは十分に分かっている。しかし、これで一生のお別れというのはなかなかに悲しいことだ。
「御神渡りが現れたとき、我の世とそなたの世に通ずる道が開かれる。そのときが来ればそなたは導かれるかのようにまた我に出会うだろう。それまで待っておるんじゃな」
「わかった。絶対にまた私を呼んでね」
「ああ、もちろんじゃ」
そう言って、強固に手を握り合い、再会の約束をした私はついに外の世界へと向かって歩みを再開した。
「じゃあね」
「うむ。元気でな」
振り返るとそこにあったのは古びた小さな社。もう既にリリスの姿も、地下へと続く通路も存在していない。
あれほど生命の気配がなかったこの森も、今では鳥の鳴き声が響く生命のゆりかご。私はこの世界を守ったのだ。
今朝は雪が降っていた。あれほど濃かった朝霧も既に晴れ、見上げればそこには雲ひとつない快晴が広がっていた。
「……帰るか」
まだ冬は長い。長い冬が明け、夏を経て、また冬が来たときに彼女に胸を張って顔を合わせられるように。
『――神社は、今期の御神渡りの出現は厳しいとの見解を示し、明けの海になると宣言しました。明けの海とは御神渡りが出現しない状態のことであり、今年で6季連続です』
手元のラジオから流れたその文言。あれから毎年冬の時期になると公園のベンチに座って湖の状態を見るのが癖になってしまった。ただ、待てども待てども御神渡りは現れない。そんなこんなで6年が経過した。どうやら今年もダメだったようだ。
日課となっている散歩。こうして明けの海の宣言があった日は、毎年道中のコンビニに寄ってハンバーグ弁当を購入する。あれから毎月のように彼女の住まう社を訪れてはそのとき自分がハマっているお菓子を贈っているのだが、今日は特別だ。
あのときのことが事実であると示す唯一の証拠、あのボロボロの服は今でも大事に保管している。いつの間にか背も伸びて、出会ったときに着ていた服はもうどこかに行ってしまったけれど、あの服だけは大切にしている。
今日も今日とてあの山道を登る。相変わらずあの社は草臥れていて、今にも崩れそうだ。しかし、不自然なほどに姿の変わらないその社は、辛いことが会ったときの私の唯一のよりどころだった。そしてこれからも。
「おはようリリス。まだまだ再会はお預けだね」
厄災のない幸せな世界と、いつかまた会える日を願って。
ある冬の日の御神渡り べちてん @bechiten
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