第4話

 いつの間にか閉じてしまっていた目を開くと、私の視界の大部分を占めていたのはリリスのニヤけ顔であった。

「おはようなのじゃ」

 どうやら彼女の背中を見つめていたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。彼女曰く、既に地上では太陽が昇っているようだが、この地下環境において太陽光というのは一切届かない。ただ私を照らすのはリリスの神力によって放たれる黄色い光のみ。

 そんなリリスはいつの間にか私の布団に潜り込んでは、じっと私の寝顔を見つめていたらしい。我は眠る必要がないから暇なのじゃ、だと。

「わるいがのぅ、この環境では食事がないのじゃ。炊いていない硬い米粒でも良ければあるのじゃが……」

「うん、大丈夫」

「まあ神力でなんとかしてくれなのじゃ。神力は多用途じゃからのう」

 神力はおなかを膨らますこともできるらしい。本当に便利だ。ただ、この後の戦闘で大量に消費するから、ほどほどにしておいて欲しいと言うことだ。朝はあまり食べない派なのが功を奏した。なお、私の最後の食事は昨日の昼食のおにぎり2つのため、家に帰ったらたくさん食べたい。


 ここに来るまでで泥だらけになってしまった白衣も、いつの間にか新しいものに替えられており、紅白のいわゆる巫女の服で身を包んだ私達二人は向かい合っては手を合わせて祈りを捧げる。

 厄災の元凶を鎮め、世の平和を守るのだ。

「いいか夏野、我は兄の封印されている場所に到着したらすぐに祈りを捧げる。その間、そなたは我のことを守るのじゃ。祈願を始める前は奴らは襲ってはこん。じゃが、祈りを始めた途端に一斉に襲いかかってくる。ここまで来る間、そなたは光を出す練習をしたじゃろう。それを細長く、刀のような形へ変化させるのじゃ。それで触れられさえすればとたんに奴らは消えていくはずじゃ」

 私に与えられたたったひとつの攻撃手段。どうにかして彼女を守らねばならない。彼女は死ぬことはないし、私も現実世界で死ぬことはない。しかし、もし彼女が重傷を負って祈りを捧げる体力、神力が足りなくなったとき、それすなわち彼女が回復するまで厄災が世に降り注ぎ続けると言うことを意味する。

 私は神の使いたる彼女から直々に選ばれ、ここまでやってきた。

「うむ。やはりそなたは逸材じゃ。そなたの神力は量、質共に一級品じゃ」

 光のイメージを刀に変え、しっかりと握りこむ。重量のなく実体の伴わない神力による刀は持っている感覚すらもないが、確実に私の手はそれを強固に握りしめている。

 軽く振ってみる。風切り音などはないが、確実にあたりに漂う闇を切り裂いたような錯覚を起こした。今の私なら行ける。

「よし、準備は?」

「いいよ。さっさと終わらせよう」

「そうじゃな」

 こうして私達は先の見えない暗い道へと足を踏み入れた。







「大丈夫か?」

「うん。ここまで来たんだからやってやるわ」

 暗く狭い道は真っ暗であり、あの夢の中で見た漆黒の空間にそっくりであった。あのとき見た暖かい光こそ、リリスの手に握られた神力なのだろう。追ってくる鈴の音が私達で、あのときの私の場所には厄災の元凶が眠っている。

 その道をたった10分歩くとすぐにまた大きな広間に出た。その広間の壁には御札がみっしりと張りつけられ、中央にはこの道の入り口にあった社よりさらに小さな社がぽつんと置かれていた。

 この部屋全体に黒く靄が掛かっているが、その小さな社の周辺はさらに強く、触れてしまえば最後、体の芯まで蝕まれてしまいそうな感覚を覚えた。

 リリスはその中央の小さな社に向かいゆっくりと近づいていき、その目の前で腰を下ろした。

「いよいよじゃ。準備は良いか?」

「もちろん。いつでもいいよ」

 長細く伸ばした神力を両手でしっかりと握りしめ、地面に膝を付くリリスの背中に私の背中を向ける。もう敵がどこから来てもおかしくない。両手を合わせて祈りを捧げ始めたリリスの体はほんのりと光り、彼女の周辺には淡く発光する雪のようなものがふわふわと舞いだした。

 そして、この広間一面を覆っていた黒が徐々に動き始め、波立っては壁の方へと打ち付ける。まるでこちらの出方を窺っているようだ。


 長い長いにらみ合いが続く。波立つ漆黒は徐々にその大きさを増し始め、影のように薄っぺらかった体が徐々に実体を持ち始めた。

 戦闘が始まる。その予感が脳裏によぎったその瞬間、波の中の1つが竜巻のように飛び上がるとリリスをめがけて飛びかかってきた。

(マズい!)

 攻撃が来るなら私の方にやってくると勝手に思っていた。そうだ。彼らの狙いは祈りを捧げるリリスなのだ。私はただ彼らとリリスの前に立ちはだかる壁であって、彼らの狙う的ではない。

 勢いよく動く竜巻へと体を反らせ、握った神力の刀でそれをぶった切る。刀が触れた瞬間にその漆黒は拡散し、静かに空へと散っていった。目に映った一連の動きとは相対して、私の手に伝わる感覚はただ無を切ったような感覚、それすなわち何かを切ったような感覚はしないということ。

 ただ、確かに私の刀に触れた彼らは散っていった。

(よしっ、これなら……)

 そう一喜する間も与えられず、次の攻撃はやってくる。それに立ち向かおうと刀を突き出す間も、その視界の端に新たな怪物が動き始めているのが見える。とにかく数が多い。

 しかしなぜだろう。この刀を握っている間、世界がゆっくりと動いているように見える。数は多いがそうやられるような強さではない。しかし、実際に戦っていて私が感じているのはなんとか倒せている状態もそう長くは持たないと言うこと。正直言って結構ギリギリだと思う。明らかにこちらの懐に入っているため、少し躓きでもすれば彼らの攻撃はリリスに命中するだろう。

「リリス! あとどのくらい?!」

「すぐ終わりそうにない。思ったより封印にガタが来ているみたいじゃ。頼むがもうしばらく耐えるのじゃ!」

「まじか」

 リリスの顔をチラリと見るが、先ほどまでの穏やかな表情とは打って変わり、明らかに額に汗が浮かんでいる。そんなリリスがぽつりと呟いたのは、敵の数も今までより多いと言うこと。つまり私が巫女になったタイミングはあまりよろしくなかったと言うことだ。

「リリス、祈りに集中して。敵は私でなんとかするから」

 そう焦りを浮かべるリリスの肩を軽く撫でる。リリスは小さく返事をし、手を硬く握り合わせた。


 私は理解した。確かに数は多いが、実体の存在する敵を戦うことと比べればおそらく相当簡単なはずだ。なんせ彼らは攻撃を当てることさえできれば勝手に消えていく。若干ではあるが部屋の漆黒がだんだんと薄くなっていることからも考えられるように、この局面はいずれ終局を迎える。つまりはそれまで耐えれば良いと言うこと。

 私を脅威と見なしたのか、リリスに向かって突進していた奴らはいつの間にか私を標的に捕らえ、私に向かって攻撃を繰り出してくるようになった。これは私にとっては好都合だ。

 しかし、そんな中でもリリスに攻撃を加える奴もいるため気は一切抜けないのだが。

 リリスに気を配りながら自身に襲いかかってくる敵を倒していくのは相当な集中力が必要だ。体を反らせ、一気に前へと突き出しては攻撃を避ける。そんな一連の動作で体温はドンドンと上昇している。しかし、この室内の高湿度な環境は、私の体から熱が抜けていくのを妨げる。


 どのくらい経っただろうか。ただひたすらに敵を倒し続けても、一向にリリスの祈りは終わらない。やはり長時間は持たない。私の足は立っているだけでも震えてしまうほど疲労が蓄積されていて、少し前からはやっとの事で敵に攻撃を当てている。

 天井から垂れる水滴によるものなのか、はたまた体から噴き出す汗によるものなのかは分からないが、先ほど着替えたばかりの服は既に濡れていて、それが皮膚に張り付いては動きを妨害する。


 そして、それに気を取られていたのか足下がおろそかになった私は、地面の小さな石に躓き体勢を崩してしまった。斜めに傾く視界が捉えたのは、このときを待っていたかのように楕円形の漆黒がリリスをめがけて飛びかかっていく光景であった。

 明らかに危機的状況だということを頭が瞬時に判断し、ほぼ脊髄反射のような形で、握っていた神力の刀は私の手からリリスの右上をめがけて放たれていった。その刀は見事狙い通り敵の頭部を貫通し事なきを得たのだが、私の周囲にはやはりこれまたこのタイミングを狙っていたかのように大量の漆黒が押し寄せてきていた。

「死ぬっ」

 なんとか力を振り絞り、地面に横たわる体を回転させ大多数の攻撃を躱したが、一部の攻撃は私の腕に当たってしまった。

 その瞬間、かつて感じたこともないような痛みが私の体を支配する。本当に痛いときは叫び声すら出ないのだと言うことを感じる。ただその負傷した右腕を押さえることしかできない。

 右腕を押さえた左手を見ると血がベットリと付着し、それが私の戦闘意欲を一気に低下させる。本当に死んでしまう。


「夏野! もういい、交代じゃ!」

 その瞬間、室内にそんなリリスの声が響いた。先ほどまで祈りを捧げていたリリスは勢いよく立ち上がると、二本の刀でもって周囲の敵をなぎ払いながらこちらへと近づいてきた。

「痛いじゃろう。じゃが安心せよ。ここからは我が引き受けよう。そなたは我の代わりに祈りを捧げるんじゃ」

 リリスは地面に横たわる私の体を片手でそっと持ち上げ、引き摺るようにして社の前へと持って行った。そして彼女の神力で作られた球を私に与え、首元に手を当てる。

「良いか夏野、そんな難しいことは必要ないのじゃ。ただじっと目を瞑り、神力を世に充満させていくのじゃ。そなたの才能はかつての巫女と比べても目を見張るものがある。きっと祈りを捧げるにはそなたで十分じゃ」

 首元に当てられたリリスの手を経由し、彼女の温かい神力が私の体の中へと流れ込んでくるのを感じる。ひとまずぎゅっと目を瞑り、痛む右腕をなんとか持ち上げて胸の前で手を合わせる。あとはリリスから送られてきた彼女の神力と、私の体内に眠る神力を練り合わせ、空中へと放出する。

 その間も私の真後ろで響くのはリリスが戦っている音。地面にできた水たまりが踏まれ、水しぶきを上げて私の体に当たる。まぶた越しに感じる彼女の気配は圧倒的で、やはり暖かさと安心感を秘めている。私は私の仕事を全うするだけ。私の命は彼女に委ねよう。




 じっと目を瞑り、意識を集中する。そこは真っ黒な悲しみで支配された残酷な世界。そんな世界に少しずつ光を灯していく。私の内に秘められた僅かな明かりは少しずつ、少しずつその世界を侵略していく。既にリリスによって弱ったその世界は、拒むこともなくその光を受け入れ、少しずつその闇の世界に光がもたらされる。

 いつの間にかリリスの動く音も聞こえなくなって、広がるのは水の音すらもしない静寂な世界。

 そんな静寂の世界の中心に、何やら真っ黒い塊が浮かんでいる。その中には膝を抱えてうずくまる男の人がいた。きっと彼がリリスの兄なのだろう。彼の周りの真っ黒い靄は周辺の靄が消えていっているにもかかわらず、依然としてその姿を残したままだ。

 きっと彼は長い時をこうやって過ごしてきたのだろう。彼は彼自身の世界に少しずつ漆黒を解き放っていって、いずれ彼の世界からはみ出してきた闇の世界は、私達の世界に厄災となって影響を与える。そして、その影響を妹であるリリスが一人の巫女を連れて鎮めに向かう。こうして長い時を重ねてきたのだ。

 そんな長い長い鎮魂の時を経て、それが終末を迎えるとき、彼は実体その物を失う。そして兄という存在と、それに唯一つながる祈りという架け橋をリリスは失うのだろう。

 なんとも残虐な悲劇なのだろうか。

 ただ、それが神の導きなのであれば仕方がないことで、私ができるのは今この時に祈りを捧げることだけである。

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