第3話

「おお、本当に地下道だ」

「ほら言ったとおりじゃろ。だから安心せぇとあれほど」

 突き飛ばされた先、ぶつかると思って身構えていたが意味はなく、そのまま吸い込まれるかのように行き着いた先は暗く深い石レンガの道であった。

 明かりなどはなく、ただ入り口から注ぐ僅かな光が道内を照らしている。なお、内側から見れば外の世界には社など存在しないようにみえる。先ほどまで私が立っていたその場所がそのまま見えているのだ。

「ここから先はそなたも着替えるのじゃ。既にここは神域じゃよ」

 そういうと、どこからともなくリリスはおそろいの真っ白い服を取り出した。取り出して放り投げたと思えば、その服はふわふわと宙に浮かんでいる。

「脱いだ服はどうすればいい?」

「そのままこっちに渡すのじゃ」

 ここにいるのはリリスと私だけであるが故に、恥じることなくさっと着替えが終了した。風通しが良くスースーするものの、肌触りが良い上に見た目によらず動きやすいこの服は、普通に欲しくなるほどである。

 リリスに渡した私の服は、そのままリリスがどこかへ収納した。相変わらず便利なことである。

「で、この暗い道はどうやって進む?」

「簡単じゃよ。神力で照らすんじゃ」

「ふーん、神力って便利だね」

「馬鹿にしておるな?!」

 またもやぷりぷり怒りながらリリスはあきれ顔で手を前に突き出すと、手のひらからふわっと光の球のようなものが浮き出てきた。その光の球は棒状に変化し、そのままリリスの手に収まる。

 そのままふわふわ浮かせるのかと思っていたが、発光により神力は徐々に空中へと飛散していくが故に、体から離しているとだんだん明かりが弱くなってしまうそうだ。発光で消費する神力は微々たるものであるため、この後の儀式のための神力も考える必要はないのだとか。

「儀式中、我が祈っている間は光を出せぬ。そなたも光を出す練習をしておくのじゃ」

「どうやって出すの?」

「ぽわんっ、って言う感じじゃ」

「わかんね~」

 質問の返答が擬音1つ。明らかな職務怠慢だが、まあなんとなくのイメージは伝わったのでやってみる。

 先ほどのリリスの動きを真似て、手を前に突き出してだんだん光が出てくるようなイメージ……。

「ムリだね」

「いきなり成功するわけなかろう。歩きながらでいいから練習しておくのじゃ」

「わかった」

 光を出した後は棒状にできるようにしておかなければならないそうだ。球上にして握っておけば体から神力を補充はできるが、戦闘中にそれは厳しいだろう。仕方がないので練習しておく。


 ここから最深部までの必要時間は4時間ほど。起伏の激しい道内には、天井から染み垂れてくる水滴と、我々の足音が響き渡る。これが正装だと靴も履かずに裸足の足には、ぬかるんだ泥がまとわりついて少し気持ちが悪い。

 鍾乳洞と同じように冬でありながら気温は高めであり、歩いているとそのうち汗ばんでくる。だが、垂れてくる水は冷たいので大した問題にはならなそうだ。

 道は奥に進めば進むほど徐々に細くなっていく。入り口付近では2人横に並んで歩けていたが、いつの間には縦に並ばねば歩けない状態になっている。もちろん先導はリリスで、私はその小さな背中を追っている。

 先ほどまでの気楽な雰囲気とは打って変わり、2人の間に漂うのは緊張感である。後ろを振り向けばそこに広がるのはただ真っ暗な世界で、暖かいはずの気温も、妙な寒気のせいでかき消されてしまっている。そんな中の唯一の暖かさが彼女の放つ小さな光源と彼女そのものだ。

 不安を抱える私とは対照的に、慣れたようにひたすらに進み続ける彼女はどこか感情を押し殺しているような風に感じる。ただ無言で前だけを見て、じっと進んでいる。この1時間、私と彼女の間に会話はほとんどない。

「あ、できた」

 そんな中、私の手からようやく光が現れた。ひたすら歩みを進めていたリリスがその声で歩みを止めて振り向いたため、私とリリスは正面衝突してしまったが、光が表れた達成感であまり気にはならなかった。

「おお、ちゃんとできているのじゃ。後は棒状にするだけじゃな」

「ひえぇ、大変だね」

「できるだけ長細くするのじゃ。ただの光源じゃないぞ」

「? まあ分かった」

 そういうと、ニコッと笑った後リリスは再び足を動かし始めた。






「ねぇリリス、だんだん暗くなってない?」

「そうじゃな。奴に近づいている証拠じゃ。奴の放つ邪はあたりの光を吸収するのじゃ」

 しばらく歩いて、光源はしっかりと付いているのに、辺りは暗いという不可解な状況に陥っていた。奴に近づいている証拠。きっとその奴というのが厄災の元凶なのだろう。

「ねぇ、厄災の元凶って結局なんなの?」

「そうじゃな。まあ言ってしまえば我の兄じゃな」

「……兄?」

「そうじゃ」


 元々、リリスと彼女の兄である厄災の元凶はこの世の幸運を司る神の一角だったらしい。

 神と言ってもそこまで地位が高かったわけではなく、日常の小さな幸せを兄妹二人で管理していたそうだ。たとえばたまたま投げた石が別の小さな石にちょうど当たる様な、本当に小さな小さな幸せだ。

 彼女はそれで満足していたらしいが、彼女の兄はそうではなかった。もっと大きな幸せを管理したい。こんな細々したことばかりを仕事としてこなす日常に嫌気が差したらしい。

 ある日、彼女の兄は出かけてくると言って社を飛び出していった。その飛び出した社があの小さな社であった。あの廃れた社は元々の彼女と兄の家だったようだ。今は彼女が一人で暮らしているようである。

 そんな兄が向かった先は麓にある比較的大きな別の社。そこにはより上位の神が住んでいて、兄はそこにいる神にちょっかいをかけてしまったらしい。その内容は妹であるリリスでさえも知らないそうだ。

 その行為が怒りを買った。その結果、兄は神の位を剥奪され、この諏訪湖の下に封印された。

 まだ幼かったリリスに責はないとして、その兄が向かった大きな社へ出仕することになった。そこからしばらくはそこで今まで通り小さな幸せを届ける仕事をしていたそうだ。しかし、そんなときにある事件が発生した。

 元々その年は厄災が多く発生していた。そして田に水を張る大事な時期に、諏訪湖の水が真っ黒く濁ったのだ。その水によって満たされた田ではすべての稲が枯れ、周辺の土壌にまで影響が出た。焦った豊穣神はその原因を調査したところ、諏訪湖の下に封印されたリリスの兄が原因であると判明した。加えて、その年の厄災の原因がリリスの兄であったことが判明し、ついに妹のリリスにも裁きが下った。

 リリスは神から神使へと格下げされ、今までの仕事からこの封印された兄を管理する役割に移った。彼女が神使から神へと戻れるのは、兄の魂がすべて発散したときである。その発散方法こそが、漏れ出てきた厄災の元を断ち切ることである。

 いずれ厄災の元が漏れ出なくなる。そのとき、彼女はようやく役目から解放されるのだ。


「ちなみに、後どれくらいですべて終わるの?」

「うーん、よく分からないのじゃが、まああと数百年と言った所じゃろうな。もともと兄の力はそこまで強くなかったのじゃ。割とこの任務も終盤じゃな」

 そうニッコリ笑ってみせるものの、それまで彼女は解放されないということだ。

「まったく。兄も初めから小さな仕事で満足しておけば良かったのじゃ。欲を出すが故にこのような事態を招いたのじゃよ。……こっちの身にもなってほしいものだ」

 そう悲しそうに呟く彼女の背中は、今まで以上に小さく見えた。







「そろそろ兄の勢力範囲に入る。ここで一度休憩を取るのじゃ」

 張り詰める空気の中をひたすら歩いて4時間弱。既に諏訪湖の真下に入った我々は、ひとまず敵陣近くの少し広くなったスペースで休憩を取る。どうやらここは歴代の巫女達が休んだ場所であり、平常時にリリスが滞在する詰所のような場所らしい。

 ここではそのまま飲める水道が通っていて、水分補給や軽い水浴びくらいならできるようだ。なお、周辺の水脈はリリスの兄の影響で時折水が真っ黒くなってしまうことがあるらしく、この水は地下道の入り口あたりの湧き水を引いてきているそうだ。

「ひとまずは一晩、ここで待機じゃ。もう地上では日も傾いている頃じゃろう。なんせ今日はいろいろあったからのう」

 そう言うと、リリスはどこからともなく布団を取り出して地面に敷いた。促されるようにそこに腰を下ろすと、ここまでの疲れが一気に出たようで倒れるように布団に横になった。

 夢の中で鈴の音が聞こえ、背中を押されるように諏訪湖へと足を運んだのは、今日の朝の話である。まだリリスと出会って1日も経っていない。彼女曰く、このペースは歴代の巫女を見ても非常に速いペースだそうだ。今まではなんやかんやで地上で多少の訓練をしたり、巫女が嫌がったりして予定が大幅に狂うことが多かったらしい。これも私の潜在能力の高さが結果したことだそう。

「もしかしたらそなたの家系には巫女がいたのかもしれんな。そりゃあ長い間同じ場所で巫女を探してきたんじゃ。そういうこともある」

 そう言うと、私が横になっている布団の端にちょこんと腰を下ろした。静かな室内に水の流れる音だけがこだまする。

「後どれくらいで厄災の元へ?」

「そうじゃな。あと10分ほど歩けばと言った所じゃろう。本当にすぐ近くに来ておる。じゃが安心するんじゃ。ここは我の力で強固に守られている。神使となったが故、我の力自体は弱まっているが、これくらいのことは造作もないんじゃよ」

 確かにこの場所は暖かいもので包まれているような安心感がある。深く深くへ潜って行くにつれて体を蝕んでいった悪寒も、ここにいる間はすっかり頭の中から消え去っていた。これが彼女が言う神力による影響の一つなのだろうか。

 しかし、この部屋から厄災の元凶が蔓延る場所へとつながる通路の入り口は、先が見えないほどに闇の世界が広がっている。先ほどまでの道とは比べものにならないほどだ。どうやらここまでの道にやってきていた漆黒は、この広場における神力によって若干軽減されていた様で、ここから先の通路には純粋な黒で満たされているようだ。

 少し怖いな。やはりこう感じてしまう。正直ここまでやってこられた理由の一つにアドレナリンがあると思う。突然私の元へやってきた非現実的な一大事は、私の脳へ一種の興奮状態をもたらし、自己催眠を施した。困惑はその現象もろとも体の奥深くへと押し込まれ、恐怖は和らぎ、疑問は興味となり私の足を操った。

 今こうして緊張の糸が解けて、その自己暗示状態が途切れてしまっているようである。

「そんなに怖がることはない。かつての巫女もこのように怯えたものじゃ。安心せい。なるようになるのじゃ」

 リリスはそう言うと、そのもふもふの尻尾を私のおなかの上でゆっくりと弾ませた。

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