2-7


 執事長たちに見つかると、おそらく心配されて止められるだろうし、後からエリアスに報告されたら怒られるに違いない。

 ただでさえ、お昼に怒られたばかりなのだ。なのにまた勝手に魔獣舎に入るのは、約束をすぐに破るようで気が引けるけれど、具合の悪そうな魔獣を見て見ぬふりなんてできない。しかも、治せるかもしれない方法を知っているのだからなおさらだ。

 リリーベルはやむを得ないと考え、前のときと同じように窓から裏庭へと出た。

 そしてゴランに誘導されるようにして、静かに魔獣舎の柵の前へと近づいていく。

 柵の間から横たわっている魔獣の様子を見ると、大きな耳がぴくっと動いた。

 赤いルビーのような目が、ゆっくりとこちらに向けられる。

 ふーっ、ふーっという息が牙の間から漏れてくるのが聞こえてきて、リリーベルはふるがった。

 けれど相変わらずゴランは怖いものなしで、てけてけと魔獣の鼻先まで走って行ってしまう。


「ゴランちゃん……ちょっと待ってってば!」


 またもやゴランのぼうさに慌てたリリーベルだが、その心配はゆうだった。

 ゴランはしている魔獣の桃色の鼻に、すんすんと自分の鼻の辺りを摺り寄せている。と、魔獣もまた同じようにすんすんと鼻を近づけた。

 そうか、あれが挨拶なのかとリリーベルは気づく。

 もしかしたら太古の時代からの生き残り同士、何か心が通じるものがあるのかもしれない。


「グル……ルル……」


 自分も行かなくては、と柵をすり抜けたリリーベルは、びくびくしながら魔獣に近づいていく。


(や、やっぱり怖いわ。だってすごく大きいんだもの……でも)


 魔獣をしげしげと改めて見つめて、リリーベルは覚悟を決めた。


(多分大丈夫よ。ゴランちゃんとも挨拶をしていたし。くずした体調を私が何とかできるのなら、放ってはおけないわ)


 もともとリリーベルは、動物が嫌いではない。むしろ人間より、家ネズミやきゅうしゃの馬のほうが親しかったくらいだ。

 かすかに震えつつ歩み寄っていくと、警戒するように魔獣は身を起こそうとする。

 魔草のゴランとは違い、人間に対してはそう簡単に気を許してはくれなそうだ。


「グウウ……グアッ……」

「あっ、起きないで! そのままじっとしていて!」


 ふらふらしながら苦しそうにうめく魔獣を見て、リリーベルは思わず怖いのも忘れて駆け寄り、その背をさすろうとしたのだが。


「ガウガウッ!」

「きゃっ!」


 いきなり魔獣は大きなまえあしで、バシッとリリーベルの身体をなぎ倒した。

 軽い身体は簡単に吹っ飛んだ。運よくあつめられていたわらの中にポフッと落っこちなければ、大怪我をしていたかもしれない。


「キューッ! キッ、キーッ!」


 ゴランはびっくりしたようで、大急ぎでリリーベルのもとに駆け寄った。


「だ……大丈夫よ、ゴランちゃん。魔獣さんは、具合が悪くて気が立っているんだと思うわ」


 よろよろとリリーベルは立ち上がり、痛っ、と顔をしかめた。

 前脚で蹴られて、うでぼくしてしまったらしい。


(怖い……。でも、やらなくちゃ)


 リリーベルはくちびるを噛むと、心配そうなゴランに笑いかけ、もう一度魔獣に向かって歩いて行く。

 近くまで寄ると、リリーベルは目線を合わせるように姿勢を低くした。


「驚かせて、ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはまったくないわ。……私はリリーベル。お願い、この実を食べてほしいの」


 握っていた手を開いてプララの実を見せてみるが、魔獣はフンッとそっぽを向いた。

 けれどリリーベルはあきらめず、大きな顔の前にさらに近づく。


「警戒しているなら、ゴランちゃんに聞いてみて。これは悪いものじゃないわ。あなたの病気を治したいの」

「ガウッ! バオウッ!」


 至近距離で牙をむき出しにしてえる魔獣に、リリーベルは震え上がった。

 ガクガクとひざが笑うが、懸命にこらえる。


「私の腕ごと食べてしまっても構わないから! だからお願い、この実を食べて!」

「ガルルルル……」


 プララの実を突き出したリリーベルの手に、魔獣の口が寄せられる。


「キュッ! キューッ、キャッ!」


 いいから食べろ! とゴランも必死に魔獣を説得しているようだ。

 するとくんくんとプララの実の匂いをいだ魔獣は、ガッと口を思い切り大きく開き、真っ赤な舌が見え――



「――っ!」



 そしてバクッとリリーベルの腕ごと、噛みついた。


「キキーッ! キュウウ!」


 心配してゴランがリリーベルの身体によじ登り、腕ごとかぶりついている魔獣の口をポムポム叩いて開かせようとする。


 ――ところが、牙が肉をやぶるような感触はない。

 柔らかな舌が、手のひらをぺろりと舐めとるのを感じた。

 再び魔獣が口を開いたとき、プララの実はなくなっていて、腕はちゃんとついている。


「あ……。よ、よかった」


 ゴクッ、と魔獣ののどが、大きく上下に動くのが確認できた。


(食べてくれた……!)


 リリーベルはひとまず安心したのだが、魔獣はもう用事が済んだのならあっちに行け、とばかりにリリーベルに背を向けた。


「私の腕を食べないでくれてありがとう。うるさくしてごめんなさい……。でも心配なの。もう少し様子を見させてね」


 具合が悪そうにうずくまった魔獣の背を、リリーベルは腕の痛みを堪えつつ、いっしょうけんめいにさすってやる。魔獣は嫌がることなく、でもこちらには目もくれぬまま、大人しく撫でさせてくれた。

 と、間もなく魔獣の喉から、ガゴッ、というものすごい音がすると同時にその体が大きくね、リリーベルはびっくりする。


「えっ、だっ、大丈夫?」


 ガゴッ、ガゴッ、と苦しそうに何度か呻くと、魔獣の喉から、どすっ、と大きな銀色のまゆだまのようなものが吐き出された。


「ウォルンッ……!」


 その途端、魔獣は嬉しそうな声を上げ、立ち上がってぐるぐると、銀の繭玉の周囲を元気に駆け回った。

 そして、何がどうなったのかすべてをさとったように、すりすりとリリーベルに額を押し付けてくる。

 どうやらお腹の中に溜まっていた被毛が、まとまって綺麗に出たらしい。


「これが原因だったのね? よかった! すっきりしたでしょう。こんなものが入っていたら、食欲だって出ないに決まってるわ!」


 ゴランもリリーベルの頭に乗り、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。


「クゥーン、ォンッ!」


 鳴きながら魔獣は、リリーベルの頰や額をペロペロと舐め始めた。


「ふふっ、こんなに大きな舌で舐められたら、顔が取れちゃいそう!」


 くすぐったさにリリーベルは笑いながら、じゃれついてくる大きな魔獣を撫でる。

 銀色の被毛は見た目も美しいが、その触りごこも素晴らしく、羽毛のようにふわふわで気持ちがいい。

 それに魔獣の体からは砂糖のような、優しく甘い香りがした。

 きゃっ、きゃっ、とリリーベルはゴランと一緒にはしゃぎながら、魔獣に抱き着いてその被毛にもれ、身体を摺り寄せ合う。


「素敵だわ! 強くて賢くて立派な魔獣さんが、私になついてくれるなんて。あなたのおかげね、ゴランちゃん」


 リリーベルの言葉に、ゴランは得意そうにうなずいた。

 そんなふうにして時間を忘れ、リリーベルは魔獣との触れ合いを楽しんだ。

 魔獣はすっかり元気になったようで、リリーベルは安心する。



「あんまりいつまでも遊んでいると、エリアス様が帰ってくるわね。そろそろ部屋に戻りましょう」


 日がしずみかけているのに気が付いてそう言うと、ゴランを抱き上げ、魔獣の目と目の間をそっと撫でた。


「仲良くしてくれて、ありがとう。またね」


 リリーベルはそう言って、魔獣舎を出た。

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