2-6




*****



 お茶を飲み終え、自室へ戻ろうとしたリリーベルに、まだ説明していないことがあるからと、侍女頭が一緒についてきた。


ようがあるときには、こちらのりんを鳴らしてください。それから、お手洗いはろうを左にまっすぐ行って突き当たりにございます。しょう時間は七時。洗顔は、私どもが道具を持っていくまでお待ちください。おえとかみいは、私どもがお手伝いいたします」

「あの、そういうことは、自分でできますが……」


 恐縮して辞退しようとするリリーベルに、侍女頭は首を左右に振った。


「エリアス様の『花嫁候補』は、私どもにとって本当の花嫁様同様、大切なお客様です。それくらいは当然だと、ふんぞりかえっていただかなくては」


 大げさな物言いに、リリーベルは思わずくすっと笑ってしまう。


「ふんぞりかえったりはできません」

「リリーベル様のおひとがらとしてはそうでしょうけれども、それくらいでちょうどいい、ということです。それから、こちらがクローゼットでございます」


 部屋のドアと同じ大きさの扉を、侍女頭が開く。

 中は、そこだけで暮らせるのではないかと思うくらい、広かった。

 リリーベルの肩から飛び降りたゴランは、早速てけてけとクローゼットの中を楽しそうに走り回る。

 しかしリリーベルが驚いたのは、広さだけではない。


「素敵なドレス……! どうしてここに……?」


 それは若草色の生地を、あわゆきのような純白のフリルとリボン、エメラルドとせんさいな刺繍で飾ったドレスだった。

 とても豪華だが、決してけばけばしくはなく、上品で可愛らしい。

 リリーベルの言葉がおかしかったのか、今度は侍女頭がふふっと笑った。


「どうしてここに、とは。もちろん、機会があればリリーベル様がお召しになるドレスだから、ここにあるのですよ」

「わっ、私? 私が着るのですか、これを?」

「はい。いつかいらっしゃる花嫁様のためにと、ご用意していたのです。ただしサイズをきちんと合わせていませんから、手直しが必要になりますけれども。お任せください、私は針仕事が得意なんです」

「でも……いいのかしら……」


 リリーベルは呆然として、目の前のドレスを見つめる。

 当たり前です、と侍女頭はった。


「むしろ、他に誰が着るというのです。私には、いささか小さすぎます」


 侍女頭は笑って、クローゼットの扉を閉める。

 取り残されそうになったゴランが、ぴゅーっと慌てて隙間から出てきて室内に戻った。


「今はまだ、この一着だけですけれども。大急ぎでだんと訪問着を仕立てさせる予定です。おぼうや靴、アクセサリーも必要でございますね」

「待ってください。でも私……あの……」


 リリーベルは、あくまでも『花嫁候補』のしきたりに従って、お試しに来ただけだ。

 エリアスも、一カ月だけのけいやくと言っていた。

 侍女頭は丸い顔に、どことなく寂しそうな笑みを浮かべる。


「『花嫁候補』のしきたりは、わかっております。けれどエリアス様が幸福なごけっこんをされ、このお屋敷に明るい笑い声がひびく日を、私も執事長も長いこと待ち望んでいたのです」


 そう言って、侍女頭はドアに近づいていく。


「一カ月間だけでも、夢を見させてくださいませ。……では、ご夕飯のお時間まで、失礼いたします」


 侍女頭が部屋を出て行くと、室内はシンと静かになった。

 リリーベルは、ふうと息をついてベッドに腰を下ろす。



「執事長さんも、侍女頭さんも、とっても優しくていい人だわ。それに、素敵なお洋服までいただいて、髪も綺麗にしてもらって……。嬉しいんだけれど、いいのかしら。私は、こんなふうにしてもらえるような人間じゃないはずなのに」


 長いこと、継母と義姉たちの暴言に慣らされてきたリリーベルは、あまりに激しいかんきょうの変化に、心がついてきていなかった。

 幼少期から継母たちのひどい仕打ちにさらされるうちに、自分には誰からも大切にされる資格などないと、いつの間にかそう信じていたのだ。

 と、興味津々で部屋中をぴょこぴょこ歩いてていさつしていたゴランが、飾り棚から窓枠に跳び乗った。


「あっ。ゴランちゃん、そこは駄目よ!」


 また勝手に外に出てしまうのでは、と慌てて立ち上がったリリーベルは、魔獣舎のほうを見てあることに気が付く。

 広々とした鉄柵の、内側の一角。

 えさの保管庫らしき、奥のサイロのような建物にもたれかかるようにして、魔獣が一頭横たわっていたのだ。


「……一頭だけ置いていかれるなんて、病気なのかしら」


 リリーベルはつぶやいた。

 こうして遠くからまどしに見ていても、やはり怖い。狼ですら怖いのに、その何倍も大きな体だし、真っ赤な目も異様な感じがする。


「キュッ……キュウ……」


 いつも幼児のように気ままにうゴランが、めずらしく心配そうな声を出す。

 そして今度は窓枠から飛び降りると、再びてけてけとクローゼットに向かって走り出した。


「どうしたの? 何をするつもり?」


 リリーベルが後を追うと、ゴランは小さな手で、ぺちぺちとクローゼットの扉を叩く。


「……開けるの? ドレスに悪戯しちゃ駄目よ」


 ゴランはこくりとうなずき、開いた扉からクローゼットに入ったが、ドレスには目もくれず、すみのほうへと駆けていく。

 そして、白い布を引っ張り出して戻ってきた。


「あら。私のだわ」


 それは、リリーベルがワンピースの上に身に着けていたエプロンだった。

 侍女頭に聞きそびれてしまったが、誰かがこれを脱がせてリリーベルをベッドに寝かせてくれたはずだ。


「恥ずかしいわ。言えば洗濯してくれる、って侍女頭さんが言っていたけれど、無理もないわね。すごく汚れているもの。……これがどうしたの、ゴランちゃん」


 言いながら、リリーベルはエプロンを広げた。と、ポケットの中からぽろりと何かがこぼれ落ちる。

 なんだろうとよく見ると、真っ黒でつやつやしたドングリほどの大きさの実だった。リリーベルはそっとまみげる。


「これは……。そうだわ、プララの実! パーティーの前日に収穫して、ポケットの中に入れたまま忘れていたわ」


 プララというのも魔草のひとつで、不思議な実をつける。

 くきに生っているときはスモモに近い見た目なのだが、収穫後、水にひたしたりして湿しっを帯びるとブラシのような毛が生えて、勝手にころころと転がったり動いたりするのだ。

 魔草たちの世話をしていたとき、熟して落ちたプララの実を見つけてポケットの中に入れておいたのだが、そのままになっていた。


「キュウッ、キュウッ!」


 ゴランはもうひとつ、床に落ちていたプララの実を拾い、けんめいにリリーベルに向かって何かをうったえかけた。

 しゃがみ込んでその叫びに耳をかたむけたリリーベルは、ゴランの言わんとすることを理解して驚く。


「これをあの、具合の悪そうな魔獣さんに食べさせるの……?」

「キュッ、キー」

「そうすると治るはず……? 本当? 大丈夫かしら」


 ためらうリリーベルだったが、ゴランは目と目の間と思しき場所にぎゅっと縦皺を作って、珍しいほどしんけんに説得しようとしている。


「キュキュッ、ピュイッ! キューイ、キューイ、ピピロ」

「魔獣は、毛づくろいのために体をめる……? へええ、なんだか猫みたいねえ」

「キューイ、ピロッ。プクッ」

「まあ。それで舐めた毛がおなかまって、出せなくなっちゃってるのね。プララの実を食べたら、それが治るの?」

「キャイッ!」


 ゴランは小さな胸を、せいいっぱい張って答えた。


「わかったわ。そこまで言うなら、ゴランちゃんを信じてやってみる!」


 リリーベルは決心し、プララの実をぎゅっとにぎりしめた。

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