2-5


「わあ、すごい……!」


 思わず、そんな言葉が漏れていた。

 青空の下、午後の日差しを受け、すうじっぴきの魔獣が隊列を組んで、おごそかに魔獣舎の入口へ向かって歩いて行くのが見える。

 白銀の魔獣たちの被毛と額から生えたするどい角が、きらきらとにじいろに光っていた。

 特に大きくゆうもうそうな魔獣が先頭を歩き、その背にはキッと正面を向いたエリアスが銀色のかぶとをつけ、しっこくのマントをなびかせてまたがっている。

 それはまるで、伝説のえいゆうを描いた絵画のような光景だった。


(なんてしい……。とても美しいけれど、すごい迫力とあつかん。あれでは誰も、国境に近づこうだなんて思わないわ)


 エリアスを怖くて苦手だと思ったことも忘れ、リリーベルはしばしれてしまう。


「いかがです。本日は午後ですけれども、日によっては朝、また別の日には夜と、日々このようにしてエリアス様は国境をパトロールし、王国を護っているのです。我が主は、勇ましいでしょう?」


 自分のことのようにほこらしげに、執事長は言った。


「この辺境地帯には実り豊かな山林と森、そしてたんすいぎょが多く生息し、渡り鳥もたくさん飛来する湖がございます。それをねらきんりんの国がうろちょろしたこともあったようですが、エリアス様率いる魔獣部隊を恐れ、今や近寄ることさえいたしません」


 おっほん、と執事長はせきばらいをして続ける。


「ですから、辺境伯というのは王国内で、大変に重要なお立場なのです。しかも、どれだけ努力をしようとも、誰でもなれるわけではないのです」

「まあ。努力をしてもなれないなんて、どうしてですか?」


 尋ねると、興味を持たれたことが嬉しいのか、熱っぽく執事長は説明した。


「魔獣はもともと警戒心がとても強いのです。ですから外敵や見知らぬものに対して、大変にどうもうきょうぼうです。しかし何世代もこの屋敷で生まれ育った魔獣たちは、スターリング家の方にだけは、決して逆らわず従順です。魔獣は狼の百倍、鼻がいいと言われておりますからね。スターリング家の血を引く方は、においでわかるのです」


 へええ、と感心して、リリーベルは改めて小さくなっていく隊列を見送った。

 その背後から、のんびりした声がかけられる。


「さあさあ、いつまでもエリアス様のまんをしていたら、お茶が冷めてしまいますよ」


 言ったのは先ほど髪を結ってくれた侍女頭で、ワゴンで運んできたお茶菓子を、テーブルに並べていた。


「これは失礼。リリーベル様、どうぞお茶を」


 この人たちはエリアスをしたっているのだと感じながら、リリーベルはひとりけのソファーに腰を下ろした。



「領地の牧場から取り寄せた、しんせんなチーズを使ったケーキでございます。こちらのジャムは、私がたもので、エリアス様の好物なのです。リリーベル様のお口にも合うとよろしいのですが」


 にこにこして言う侍女頭にすすめられるまま、リリーベルはお茶を飲み、ジャムをえたケーキを口にする。

 しいたげられていた子爵家では、ぜいたくなものを口にするなどあり得なかったので、甘いケーキを食べるのは数年ぶりだった。


「――美味しい! とっても美味しいです、深いミルクのコクがあって、口の中でほろほろけて……ジャムも甘すぎなくて、ケーキによく合います!」


 感激して絶賛するリリーベルに、侍女頭は顔をしわくちゃにして喜んだ。


「それは嬉しいお言葉。……ああ、こんな素直で可愛らしい方が、本当にエリアス様のもとにとついでくだされば、どんなに素晴らしいことか……」


 両手をしぼるようにして言う侍女頭に、リリーベルは不思議に思っていたことを尋ねてみる。


「エリアス様には、親しくされていた女性はいないのですか……? 執事長さんもおっしゃっていましたけれど、あんなに凛々しい辺境伯様なのに。パーティーでも、心を寄せた令嬢が、いくにんもいるようでした」


 リリーベルの言葉に、執事長と侍女頭は顔を見合わせ、急に肩を落としてため息をついた。

 執事長はどこか悲しそうな顔で言う。


「女性に限らず、もともとエリアス様は、あまり人付き合いが得意ではないのです。何しろここは、王都から離れた辺境の地。ひんぱんに人が訪れるような場所ではありませんしなあ。人と会わずともお仕事はすいこうできますので、あえてサロンなどに出かける必要もないのです。ご令嬢が楽しめるような、華やかな宝石店や、観劇のたいなどもございませんし」


 うなずいて、侍女頭が話を継ぐ。


「それに何より、スターリング辺境伯家は魔獣を従えるとくしゅな一族。我が国では、こうしゃくと同等の位なのですが、とにもかくにも魔獣とは切っても切れないあいだがらなのです。けれど、ご令嬢方は魔獣を恐れて近づかないでしょう? そしてエリアス様は歴代の辺境伯の中でも、特に魔獣使いとしてひいでておられます。魔獣たちからしんらいされ、エリアス様も愛情を注いで育てられて……」


「結果として、王立学校では魔獣と同じくらいエリアス様を恐れるものも多かったのですよ。口下手なエリアス様は、愛嬌を振りまくというタイプでもございませんし、大事な魔獣を少しでも悪く言われると、けんになることもしばしばでございました。人の気持ちにびんかんなエリアス様は、ご自分がうとんじられていると感じて、後年はほとんど登校されなかったものですから、ご学友もいらっしゃいません」


「ご卒業してからもいつもおひとりで、領地の管理とパトロールをかえすだけの毎日ですから、本当はおさびしいのではないかと心配しているのです」



 執事長と侍女頭は、こうに事情を説明してくれる。


(そういえば、この前のパーティーで、辺境伯がひきこもっていたというようなことを話していた侍女たちがいたわ。そんな理由があったのね)


 リリーベルはなっとくして、ふたりの話を聞いていた。


(ひとりきり……ということは、ご両親はここに住んでいないのね。お風呂でも思ったけれど、お屋敷の規模に対して、使用人もすごく少ないみたい。この部屋に来るまでにちらっと何人か見かけたけれど、みんな侍女頭さんたちみたいにおとしした方たちばかりだったわ)


 新しい使用人をやとうことに、しんちょうなのかもしれない。そんなところからも、エリアスの他人に対する警戒心の強さを感じた。

 そして同時に、どくな人なのだということも。


(この辺境の地で……生まれながらに家系で宿命づけられたお仕事を、王国のためにずっと続けているのだわ)


 聞くうちに、なんだか切なくなってしまったリリーベルだったが、執事長と侍女頭を見てふと思う。


「でも、おふたりは、とてもエリアス様のことが好きなのでしょう? 話していて、そう感じます」


 もちろんですとも、とふたりは力を込めてこうていした。


「私どもは、エリアス様が幼いころからずっとお世話をしてまいりました。かしこゆうかんで、立派な方だと思っております」


「根はお優しい方なのです。私などはあしこしが弱ってきて、裏庭の納屋の階段で転んだことがあるのですが。口下手なエリアス様はそんな私に、優しい言葉をかけてくださったりはしませんでしたけれど、ある日気が付くと、階段に頑丈な手すりが取り付けられていたのです。……そういうさりげないおこころづかいをしてくださるお方なのです、エリアス様は」


 おだやかな老齢の執事長と侍女頭がこうまで褒めるのだから、根は悪い人ではないに違いないと、リリーベルはそう思った。

 どうぞ、と侍女頭は、リリーベルの華奢な水色のティーカップに、おかわりのお茶を注ぎながら言う。


「ですから私どもは、リリーベル様が来てくださって、本当に嬉しいのです。それに、魔獣を見ても、逃げ出さないでくださっておりますし」

「は……はい」


 本当は到着早々、死ぬかもしれないと思うほど恐怖を感じたのだが、優しい侍女頭に心配をかけまいと、先ほどのことはだまっておいた。


(エリアス様だって、いくら魔獣を扱うことに慣れているとはいっても、あんな大きくて獰猛な生き物が相手なんだもの。危険なことだって、きっとあったはずよ。私も魔草を相手に、納屋にひきこもっていたけれど、それとは全然違う。この国でたったひとりの、魔獣を従える辺境伯。……すごい人なんだわ……)


 執事長たちから話を聞けば聞くほど、リリーベルはエリアスの存在が気になるようになっていた。

 もっともそれでもまだ、悪人ではなくても自分にとっては怖い人、というイメージのままだったが。

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