2-3


 リリーベルの本当の母親がくなったのは、彼女が四歳のときだ。


 優しくて歌が上手で、リリーベルのことを可愛がってくれていた。ただ身体が弱く、ベッドで寝ていることが多かった。

 父親もそのころは、リリーベルのことを構ってくれたし、一緒に遊んでくれたおくがある。

 けれどしょうの激しい継母が屋敷に来てしばらくすると、父は子爵家かんかつの領地である小さな町からめっに帰宅しなくなり、そこで病にたおれたらしい。

 子どものリリーベルはひとりで会いに行くこともできず、父親は病気のりょうようをかねて屋敷から遠い町にたいざいしたまま亡くなってしまった。

 継母たちが言うには、父親は町で別の女性とふしだらにもこいに落ち、それで自分たちを放っておいたらしい。

 だから自分たちには、リリーベルをじゃけんあつかう、正当な理由があるのだという。

 優しい父がそんなことをしたなんて、幼いリリーベルにはとても信じられなかったが、事実かどうかは確かめようがなかった。


 以来、継母は女子爵となり、連れ子の娘ともども子爵家の財産をろうしながら、ドレスやアクセサリーなどを買って遊び暮らし、最近ではリリーベルの両親がたくわえた財産も、底をつきかけているらしい。

 使用人の数を減らし、その分リリーベルをこきつかって働かせていた。

 リリーベルにとってはあまりにもじんじょうきょうだったが、だからといって継母たちにはんこうしたり、誰かに助けを求めたりしようと考えたことはない。


『……別に私はこのままでもいいわ。ここで、ゴランちゃんがいて、そうを育てていられれば……』


 リリーベルは、本気でそう感じていたからだ。

 れいじょうとしてはなやかな社交界に顔を出したり、有力な貴族のサロンに行ったりするということには、ちっとも興味がかない。

 それどころか、ドレスにもアクセサリーにも興味がなかった。

 リリーベルの心をつかんでいたのは、ひそかに集めた魔草の数々だった。


 継母に屋敷の部屋を追い出され、物置だった納屋に住むようになってから、リリーベルは庭師のおじさんと仲良くなった。

 その庭師はリリーベルの事情を知っていたのであわれに思ってか、あるとき一冊の本をくれた。それが、伝説の魔草についての書物だった。

 植物や土いじりがもともと好きだったリリーベルは、夢中になってその本を読んだ。

 そしてあるとき、小鳥が庭に落としていったみょうな種を植えたところ、生えてきたのがまぼろしの魔草、マンドラゴラだったのだ。

 リリーベルは最初、奇妙な種にきょうしんしんで、大切にはちに植えたのだが、その途端に不思議なことが起きた。


『暗いところがいい……? 芽が出ても無理に抜いたら、絶対に駄目……?』


 まだ種でしかないというのに、なんとなくではあるが、植物の育て方が頭の中に伝わってきたのだ。

 やがて鉢から出てきた芽が大きくなり、ぼうすいけいの葉と実をつけたとき、これが書物に記されたマンドラゴラではないかと気が付いたリリーベルは驚いた。


『もっ、もしかして、あなた……マンドラゴラさんなの……? どうしよう、すごくワクワクするし、大事にしたいけど、でも、危険で怖いのよね……?』


 本によると、古代人はマンドラゴラを、すいやくさいみんやくなどの原料にしていたそうだ。

 ところが、この植物は生えている状態で根っこにれたら、触れたものが命を落とすこともあったらしい。

 さらには 土から引き抜かれるそのしゅんかん、マンドラゴラはぜっきょうするのだが、その声を聞いたものは死んでしまう。

 そのため、いけにえとして選ばれたものがマンドラゴラを採取したという。

 無事にしゅうかくが済めば、マンドラゴラの危険はなくなり、持っていても大丈夫なのだそうだ。

 後年には犬の首に輪をかけて、マンドラゴラを引っこ抜かせたというざんこくな話も本には記されていた。

 だからリリーベルは鉢を見つめ、ちがって自分や他の誰かがさわらないよう、細心の注意をはらっていたのだが、ある日の朝、事態は急転した。


 目が覚めたリリーベルが物音に気付いて鉢を見ると、マンドラゴラが『よっこらしょ』とばかりに、自分で土から出てきたのだ。

 うすちゃいろっぽくむちむちした太い根っこは上部が丸く、根の先が四つに分かれ、どう見ても小さな人間のようで、丸い頭の上には葉っぱと実がれていた。

 目を丸くして見つめていると、マンドラゴラはとことこと歩いてきて、ぴょいとリリーベルの毛布の上に乗り、ぺこりと頭を下げた。


『キャーッ、ンキャキャ』


 口とおぼしき部分から、ねこあかぼうのような声がれた。

 なんとなくだが、リリーベルはそれが挨拶なのだと感じ、ぺこりと頭を下げた。


『えっと、あの。……こ、こんにちは。リリーベルです』

『キュッ、キッ、プー』


 マンドラゴラはわかった、と言うように、おしりや手を振り、くねくねと動き出す。

 驚き、ほうけていたリリーベルだったが、その愛嬌ある姿に思わず笑い出してしまった。


『すっごく可愛いのね! ねえ、私とお友達になってくれる?』

『キューイ、ピプ』

『喜んで? ありがとう、嬉しいわ。私、お友達が誰もいないの。……でも、約束よ、よく聞いて』


 リリーベルは声をひそめ、窓の外をそっと見てから言った。


『あなたみたいな魔草がいたら、きっとみんなびっくりして、おおさわぎになるわ。特にお継母かあさまやお義姉ねえさまたちなんて、驚くだけじゃなくて追い出して……ううん、もっと悪いわ、あなたを切ってお料理に使ったり、燃やしたりしてしまうかもしれない』

『ピキッ? キャキャーッ!』

『そうよ、そんなことになったら大変でしょ? だからなるべく、かくれて暮らしてね。この納屋の中にいれば、大丈夫だと思うけれど……』


 マンドラゴラは真面目な顔でうなずくと、さらにリリーベルに近づいてきて彼女の手に触れた。

 かんしょくは、カブの表皮のようにすべすべして、ひんやりしている。

 リリーベルがげると、マンドラゴラは嬉しそうに胸に顔をせてきた。

 よしよしと丸い頭を撫でながら、リリーベルは不思議な感動と喜びを覚え、マンドラゴラを大切に育てようと心に決め、今に至る。



(私は納屋での暮らしにも、不満は感じなかった。冬は寒くて、夏は虫が出るのが困るけれど……あそこでなら、お庭も近いし好きなだけ魔草を育てられるもの)


 最初はゴランだけだったが、だいにリリーベルの納屋には魔草が増えていった。

 なぜならゴランはリリーベルを森に連れていくと、あちこちのどうくつや泉のほとりにひっそり生息している魔草を教えてくれたからだ。

 今では、不思議な光を発する葉を持つ植物、水にれるとぐるぐる動く種子、揺らすとパチッと火花を発する花など、様々な魔草のうえばちがある。

 リリーベルには、彼らの太陽の光が眩しすぎるという気持ちや、水を少しだけ朝に飲みたいなどというおのおの違う欲求が、なんとなくあくできていた。

 鉢をじっと見つめていると、自然に魔草たちの心が伝わってくるのだが、そうした感覚がないものには、魔草は育てられないと書物にも記してあった。

 とはいえ、どの魔草もゴランように知能を持ち、鉢から自力で出てきて歩き回るということはない。

 いつしか納屋全体が秘密の不思議な魔草園となり、リリーベルにとっては非常にごこのいいすみになった。

 もしも誰かが納屋に入ってきても、植えられているものが魔草だとバレないように、ゴランにたのんで普通の草に見える幻覚魔法をかけてもらっている。

 そのせいで継母たちはリリーベルのことを、雑草が好きなおかしな娘、ドレスよりどろいじりが似合うなどとしていた。

 そしてもちろん、リリーベルはまったく気にしていなかった。


(私はただ、魔草に囲まれて静かに暮らしていたいだけ。まさか辺境伯様の『はなよめ候補』なんていうものになるなんて……。お義姉様たちと代わりたかったな)


 はあ、と肩を落とすリリーベルだったが、ぴかぴかのゆかの上ではゴランが楽しそうに水浴びをしていた。

 リリーベルは浴槽のふちに身体を寄せ、ゴランに話しかける。


「ねえ、ゴランちゃん。最近どうしたの? パーティーで走り回ったり、魔獣さんに近づいたり、悪戯いたずらばかりして」

「キャッ、キャーッ」

「特に意味はない? ……それなら……」


 リリーベルはしゅんとして、悲しく思いながらたずねた。


「もしかして、私がきらいになったの?」

「キュルルルル!」


 首がもげてしまうのではないかと思うくらい、ゴランは高速で首を横に振った。


「じゃあどうして。無茶ばかりすると、私、心配になっちゃうわ。それに家から遠くはなれた場所に来て、とても困っているの」

「キュウ?」


 なんで? と言うようにゴランは首を傾げる。


「だって、魔草の世話ができなくなってしまうもの。少なくとも、一カ月は戻れないのよ。その間に、みんなれてしまったらどうしよう」


 枯れ草だらけの納屋を想像して、じわりとリリーベルの目になみだがにじむ。


「キャッ? キャルルルル!」


 するとゴランは、再びぶんぶんと激しく首を振った。そうすると葉っぱについたすいてきが、辺りに飛び散る。


『キュウ、キュウ……キャッ、キュキュ!』

「……泣かないで……? 自分が、世話をする……? でも、どうやって。辺境伯様のお屋敷は、辺境というくらいだからすごく遠いわ。隣国との境に近いのですもの」


 リリーベルは、そっと目元を指でぬぐう。

 するとゴランは手を上げて、かざごうの入った明かり取りの窓を示した。

 リリーベルが上を向くと、わずかに空が見え、そこには大きな鳥がゆうゆうと飛んでいる。


「あれは……雪色大ハヤブサね。とっても速く飛べる……あの鳥さんがどうかした?」

「キュー、キュッ、キャ」

「催眠魔法と加速の魔法をかけて、三日に一回鳥さんに運んでもらう? そんなこともできるの?」

「キャキュッ!」


 とん、とゴランは自分の胸を叩く。


「任せておけ? まあ、あなたってすごいのね、ゴランちゃん! それなら安心だわ。これからは、危ない悪戯もしないでね」


 リリーベルはホッとして、湯の中に身体を伸ばした。

 それでも、辺境伯の屋敷で暮らすという想像もしたことがなかった事態に、不安は残っていた。

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