二章 新しい生活

2-1


(ここは……どこかしら)


 目を開けて、バラの模様がえがかれたてんじょうながめ、リリーベルはぼんやりと考えた。

 王都からへんきょうはくの領地へ行くには、ちゅうにいくつもの町があるレンガきのかいどうって、さらに草原もえなくてはならなかった。

 月が出て間もなく出立した馬車がとうちゃくしたのは、つかてた馬を何カ所かの町でこうかんしていでも、三日後の夜明け前だった。

 リリーベルは生まれて初めて体験する長時間の馬車の移動で疲れ果て、ほとんどもうろうとしてしまい、しきに到着してからのことは覚えていない。

 美しい小型のシャンデリアがカーテンのすきからの日差しにきらめき、どこかから花の香りがただよってくる。


(……れいだわ……もしかして、天国……? ううん、ちがうわ、だって私は……)


 つらつらと考えていると、うすく開いた目の前に、ひょいと丸いものが顔を出す。


「キャッ! キーッ」

「ゴランちゃん……? あっ!」


 ようやく完全に目が覚めて、ガバッとリリーベルは起き上がった。


「ここは、そうだわ。辺境伯様のお屋敷……のはず!」


 上体を起こしたリリーベルは、あまりに大きくふかふかのベッドに、まずおどろいた。

 疲れもあったが、こんなにぐっすりねむってしまったのは、いつものかたどことあまりにも違ったせいだろう。


「どっ、どうしよう。ぐーぐー眠ってしまったわ。今、何時なの?」


 キャッキャッと楽しそうにしているゴランをかたに乗せ、ベッドを下りたリリーベルは窓に近づきカーテンを開いた。たんまぶしい光が入り、思わず目を細めてしまう。


「このお日様の様子だと、もうお昼だわ!」


 初めておとずれた屋敷であいさつもせず、これではあまりにも失礼だ。

 リリーベルがあわてて室内を見回すと、着ていたワンピースとエプロンが、きちんとたたんでたなの上に置いてあった。

 そしてようやく、自分が下着姿で眠っていたのだと気が付く。


だれかががせてくれたのかしら。覚えていないけれど、多分、馬車の中で眠っていたのかもしれないわ……。ああ、めんどうをかけてしまって、ずかしい」


 真っ赤になりながらワンピースを着たリリーベルを、肩に乗ったゴランがよしよしと、頭をでてなぐさめてくれる。


「あなたがいっしょでよかったわ、ゴランちゃん。家に置いてきていたら、心配でたまらなかったもの」


 リリーベルは、そっとゴランのすべすべした後頭部を撫でた。


「私には、荷物はなんにもないけれど、あなただけが大事なお友達よ。何があっても、ずっと一緒にいましょうね」


 リリーベルが言うと、ゴランはキャッとうれしそうな声を上げた。

 そして、ぴょいと肩からまどわくび乗って、外を見ろ、と言うようにトントンとガラスをたたく。


「え? 何か見えるの……?」


 そう言って窓を開いたリリーベルは、そこに広がる景色にびっくりした。

 どうやら裏庭らしく、しゃまりなどはない。

 部屋は二階にあり、手前にだんと、遠くに山々が見えるのだが、その間にあったもの。

 それは鉄のさくに囲まれた、牧場のような場所だった。けれど、本当の牧場とは、決定的に違う点がある。

 柵の中に放たれていたものは、馬よりも大きく、銀色に光るふさふさとした体毛で額に角を持つ、赤いひとみじゅうだったのだ。


(ひいいい! ままっ、魔獣っ! あれが! ……こっ、こわい……!)


 リリーベルがいる建物からきょは結構あると思うのだが、それでも十分にきょうの対象に感じられる。

 それほど魔獣たちは、ごくつうの牛や馬、犬やねことは存在感もはくりょくも違いすぎた。

 きょだいおおかみという感じなのだが、動き回る姿を見ただけで、知能がとても高いのがわかる。

 口からのぞきばは長く、あんな口でみつかれたら、岩だってくだけてしまうのではないだろうか。

 らしい青空の広がったよく晴れた日で、さわさわと気持ちがよい風がいてきてほおを撫でたが、リリーベルはおそろしさに立ちすくんだままだった。

 ところが、そのとき。


「キューキュッ!」


 なんのためらいもなく、窓枠からゴランがすぐ手前までびていた木の枝に飛び移ってそのまま下に降りると、てけてけと一目散に、魔獣たちのいるてっさくに向かって走り出す。


「っ……きゃあああ!」


 いっしゅん何が起きたのかわからず、ぼうぜんとしてしまったリリーベルは、事態に気が付いて悲鳴を上げた。

 そして自分も夢中で窓を乗り越え、決死のかくで木にしがみつき、ずりずりとすべちるようにして、地面に降りた。

 はずみでくつが脱げてしまったが、そのまま裸足はだしでゴランを追いかける。


(パーティーのときとはわけが違うわ! 今度こそ本当に、食い殺されてしまうかもしれない!)


 半泣きになりながら、リリーベルは草をって走りに走ったのだが、ゴランの足は体の小ささの割には、とても速い。

 ゴランは滑るように地面を移動し、あっという間に部屋の天井ほどの高さがある、鉄柵にたどり着いてしまった。


っ! ゴランちゃん、入っては駄目よ! 食べられちゃう!」


 両手を突き出してけながら、リリーベルはなみだごえさけんだ。

 しかし願いもむなしくゴランはおどるような足取りで、隙間からするりと魔獣たちのいる柵の中へ、入っていってしまった。


「ゴランちゃーんっ!」


 はあはあと肩で息をしながら、ようやくリリーベルは柵に飛びついた。

 そうして中の様子を見て、ぞっとする。

 巨大な魔獣がゴランの目の前まで歩み寄り、長い鼻先を近づけていたのだ。

 ゴランの大きさは、魔獣の鼻先ほどしかない。

 さらにはその後ろからも別の魔獣が、ゆっくりと近づいてきている。


「やめてーっ! ゴランちゃんを食べないで!」


 リリーベルは必死に、人が通るにはせますぎる柵の間に右肩を突っ込んだ。

 せてきゃしゃなリリーベルは、無理矢理にずりずりと柵をとおけようと試みる。

 ゴランが魔獣に食い殺されてしまうかもしれない、という恐怖の前には、自分の身に危険がおよぶことなど、頭から綺麗に消えてしまっていた。

 どうにかずるっと隙間を通ったリリーベルは、つんのめって転びそうになりながらもゴランのもとに駆けつける。

 そしてゴランにおおいかぶさるようにして、魔獣からまもろうとした。


「ゴランちゃん、だいじょう? はない?」

「キュッ、キー?」


 いつも通りのゴランの様子にあんしたリリーベルは、シュー、ゴーッ、という地鳴りのようないきづかいを背中に感じ、びくっとする。

 恐る恐るかえったリリーベルが目にしたものは。


「――っ! あ……ああ……っ!」


 至近距離でこちらを見つめる、魔獣の顔面だった。

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