1-5
*****
「申し訳ないことをした!」
おそらくは、エリアス専用の控えの間なのだろう。
先刻の侍女たちの控えの間とは比べものにならないくらい、豪華な調度品が
「あ……いえ、あの。こ、これは、どういうことなんですか……」
呆然としたまま問うと、エリアスはきりりとした
「陛下のご命令で、結婚相手を探さねばならなかったが、まるで誰にも興味を持てなかった。
自分は侍女として連れてこられている。子爵家の名前を出せば、継母たちの
「……リリーベルと申します」
「そうか、リリーベル。俺はエリアス」
そう言って、エリアスは右手を差し出した。思わずリリーベルも手を出して、軽く
「そこでだ、リリーベル。巻き込みついでに、
「わ、私にですか。いったいなんでしょう」
身構えるリリーベルに、エリアスは淡々と言う。
「俺はきみを、『花嫁候補』に選んだ。このしきたりについては、知っているか?」
はい、とリリーベルはうなずいた。
『花嫁候補のしきたり』というのは、貴族が結婚相手にと
いわば結婚のお試し期間であり、一カ月後に嫌だと思えば、申し込まれた相手には断る権利が
リリーベルも母親が健在だったときに、貴族の娘としてこの知識を教えられていた。
もっともとても小さいころに聞いたこともあり、リリーベルにはおとぎ話のようにしか感じられていなかったが。
「―― 一応、知っています」
「候補に選ばれてしまって、迷惑だという顔だな」
エリアスは、小さくため息をついた。
「無理もないが。本当にきみには申し訳ないと思っている。しかし今夜は国王の命による
「そ、そんな……でも、私は……」
「
緑色のきらめく宝石のような瞳が、じっとリリーベルを見つめてくる。
そのとき、足元にするっと何かが触れてきて、片方の足に
(この小さくて、つるつるした手の感じ! よかった……)
リリーベルには、好きな異性などいない。それどころか、全然興味がない。
大切なのも好きなのも、ゴランをはじめとする魔草たちだけだ。
「私には、約束をしているような人は、誰もいません」
「いないのか。それなら頼む」
エリアスは、深刻そうな顔で
「一カ月の
「一カ月、だけ……」
オウム返しにしたリリーベルに、エリアスは
「それなら問題はないだろう。何か
「わ……わかりました。別にご褒美は必要ありません。一カ月だけのお約束なら……」
とにかくどうあっても、この申し出を断ることはできないらしい。
エリアスの
「そんなに、お困りなのであれば……仕方ないです」
エリアスは、特に
よかった、とつぶやいてテーブルの上にあるガラス製のベルを鳴らす。
「では今から侍従が、『花嫁候補』の書類を持ってくるのでサインをしてくれ。その後、俺の屋敷に向かうから、きみの主人に断りを入れてきてほしい」
それを聞いて、リリーベルは仰天した。
「はっ、はいっ? いっ、今から……ですか?」
「ああ。ここでサインをすれば、まだ大広間にいる国王陛下に受理してもらえるからな。すぐ同居を開始しても問題ない」
「で……でも」
「悪いが、そうのんびりしていられないんだ。一緒に暮らし始めるまではお試し期間に入っていないと思って、その
エリアスは国王からの結婚の
間もなく書類を手にした侍従が部屋に入ってくると、エリアスは小さな丸いテーブルでそれに手早くサインをし、ペンをリリーベルに
一度引き受けてしまったからには断れず、また、じっと控えている侍従を待たせるのも申し訳なくて、困惑しつつもリリーベルは書類にサインをした。
すると書き終えるや否やろくに見もせず、エリアスはパッと書類を取って、侍従に渡す。
「これを陛下に」
はっ、と
「これで帰れる。荷物なら、後から使いのものに取りに行かせよう。必要なもののリストを作っておいてくれ」
「必要なもの……は、特に何もないですけど……」
リリーベルには、ドレスも何もない。
実の母親の形見の宝石でさえ、継母たちに好き勝手に処分され、今どこにあるのかもわからない。
大事なのは魔草とゴランだけだ。ゴランは今
いったいどうすればいいのだろう。できれば一度家に帰りたい。
「俺は先に戻る。『花嫁候補』のために用意していた馬車があるから、きみはそれに乗ってくれ。きみの主人には、伝言を残せばいいだろう」
「あ……あの。ええと……」
そんなことを言われても、おそらく「これから家事は誰がやるのだ、侍女を雇うには金がかかる」と継母がとても怒るし、
今夜のパーティーの
床の
エリアスは、さっさと控えの間から連なる別の部屋へと姿を消してしまっている。
そこに
「――失礼いたします。我々はスターリング家の従者にございます。私には、ご主人への伝言をどうぞ。こちらのものが、馬車までご案内いたします」
どうやらリリーベルは、完全に誰かの侍女と思われているらしかった。
はわわ、とリリーベルは慌てて問う。
「ほっ、本当に今から行くんですか? 辺境伯様のお屋敷に……?」
「はい。我が主人は、一度命じたお考えを変えることはまずありませんので。さあ、参りましょう」
「いや、あの、でも」
「何か問題がおありですか」
「それはその、魔草の世話……いえっ、なんでもありません!」
「ないのですか、それならばよかった」
「ち、違うんです、そうじゃなくて、いえ、そうなんですけど」
リリーベルは混乱と不安の中、追い立てられるようにして王宮を出たのだった。
エリアスが『花嫁候補』のために用意していたという馬車は、子爵家のものとは比べものにならないくらい、立派で豪華なものだった。
自分の
その
「リリーベル! これはいったい、どういうことなの!」
「なんだってあんたが、パーティーの大広間に
「どうやってエリアス様をたぶらかしたの! おとなしい顔をしてるくせに、したたかな子ね!」
そこにいたのは、
使いから話を聞いて、大急ぎで走ってきたのだろう。三人とも髪を
リリーベルは恐ろしさに身をすくませ、窓を開けてそっと顔を出した。
「すみません。だけど私にも、どうしてこうなったのか、なぜ私なんかが選ばれたのか、まったくわからないんです……」
「そんな適当な言い訳をして! 本当に辺境伯様と結婚なんかしたら、許さないんだから!」
「ただの気まぐれであんたが指名されただけなんだから、『花嫁候補』なんてことを真に受けて、調子に乗るんじゃないわよ!」
「とっととその馬車から降りて私と交代しなさい! 自分が辺境伯様と
「おっ、思ってます!」
三人の
はいっ! と
きゃあ、と反動でリリーベルは、ポスンと椅子に腰を下ろす。
「あっ! お、お待ちなさい!」
「リリーベル! 私たちに逆らって、ただで済むと思っているの?」
「バカにして、ふざけてるわ!
ぐんぐんと馬車は速度を上げ、罵声は耳から遠ざかっていく。
リリーベルはどうしていいのかわからず、唇を
それはしっかりとスカートの中に隠れてついてきた、ゴランだった。
「無事でよかった」
パン生地を丸めるようにゴランの頭を優しく手のひらで
一方リリーベルは――
「この先、どうなっちゃうのかしらね……」
ぼんやりと窓の外に広がる夜空を見つめたのだった。
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