第52話:夜襲再び2

「えっ……」


 横に顔を向けると、美陽の姿はなかった。


 先ほど男に声をかけたのを聞いたはずだ。一体どのタイミングで消えてしまったのだろうか。そして、一体今はどこにいるのか。


 暦の思考は目の前で響く音によってかき消された。


「っ!」


 暦は思わず目を瞬かせる。


 目の前にいた男もまた姿を消していた。代わりに佇んでいたのは毛が赤色のゴリラだった。建物の半分くらいの大きさを誇る巨大なゴリラだ。


 これが敵の能力か。


 竹刀を両手で持ち、【波動支配】の能力を発動する。


 そのタイミングでゴリラが暦に拳を振るう。暦は斜め右方向に飛び込んで回避。前転することで体勢を整える。


 図体が大きいにも関わらずゴリラの動きは素早い。暦が体勢を整えるのと同時に次の攻撃を繰り出そうとしていた。


 両手を重ね合わせ、ハンマーを打つように暦に向けて腕を勢いよく振り下ろす。


 避ける暇はなさそうだ。竹刀を下に構え、迎え撃つように振り上げる。


 振り上げた軌道を起点に空気の波が上向きに発生する。波の勢いに飲まれ、振り下ろされたゴリラの腕が跳ね返る。


 暦の攻撃はまだ終わらない。先ほどとは逆方向に構え、バランスを崩したゴリラに向けて竹刀を振るう。再び竹刀の軌道を描くように波が発生する。まるで斬撃のように鋭い波がゴリラの体に向けて飛んでいく。


 ゴリラはやってくる波に向けて口を開く。口内から火を吹き、暦の攻撃を防いだ。


「そう簡単に倒させてはくれないよね」


 暦は片方の口元を仄かに上げる。


 今の彼女にはとある一つの疑問があった。いつもなら敵が攻撃を仕掛けてくる前に攻撃範囲を告げる波が見えていた。それが今回は一度も見えていないのだ。


 美陽が突然いなくなったことと言い、この戦いには違和感がある。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 暦の思考を再びゴリラが引き裂く。咆哮を放つとともに両手を握り締め、自身の胸を叩く。そのまま足を引いて腰を下ろすと、こちらに向けて勢いよく走ってきた。


 ここらで一回勝負に出る。暦は走るゴリラの様子を見ながら、両手で構えていた竹刀を片手で持ち、裏手に切り替える。空いたもう一方の手のひらを使って柄の上端を叩くと、竹刀の先がコツンと床に当たる。


 間合いを詰めたゴリラは暦を掴もうと彼女に向けて開いた手を伸ばす。ゴリラの攻撃から逃れるために暦は地面を蹴って飛ぶ。


 回避方法を知っていたのか、ゴリラは顔の前にいる暦に向けて今度は火を吐くようにして口を開いた。


 暦もまたゴリラの攻撃を理解していた。先ほど蹴った足とは反対の足を使って空中を蹴る。空振りすることはなく、暦はさらに高く舞い上がった。口内から流れる炎が代わりに空振りする。


 アーチ状の軌道を辿るようにして地面に降りていく。その途中で暦は竹刀を両手で握りしめ、構えの姿勢をとる。


「この技に耐え切れるかな」


 半ば挑発とも聞こえる声を上げるとともに竹刀をゴリラの佇む地面に向けて振るう。斬撃が発生することはない。ただ、暦の視界は幾多に揺れ動く波を捉えていた


 その波がゴリラの佇む地面。先ほど地面に竹刀の先をつけたことで発生した波に突き刺さる。二つの波が共鳴し、ゴリラの周りに風が吹き荒れる。


 風はゴリラの足、体、腕と下から順に切り刻んでいく。血が吹き荒れ、ゴリラは悲鳴のような雄叫びを上げ始める。


「ふぅ〜、久しぶりに使ったけどなんか上手くいったみたいだね」


 地面にうまく着地すると、暦は荒れ狂うゴリラの様子を見ながら不敵に微笑んだ。共鳴からうまく外れることができれば防ぐことができるが、図体のでかいとそうもいかない。


 ゴリラの悲鳴が止むと同時に風も治まる。全身から血を流したゴリラはその場に静かに倒れていった。


 案外物足りなかったな。そう思いつつ、暦はゴリラの方に向けて歩いていく。奴が敵が化けたものであった場合、拘束して姉さんに関する情報を尋ねなければならない。


 ゴリラは光の粒子となり、みるみるうちに小さくなる。やがて光の粒子は解かれ、一人の人間が姿を現した。


「っ!」


 目の前に現れた人物に暦は唖然とする。


 そこには美陽の姿があった。先ほどのゴリラと同じように全身を切り裂かれている。制服は破だけ、露出した肌から血が垂れている。


 自分が攻撃したのは美陽だったのか。


「神巫先輩っ!」


 普段は見せない焦った表情で暦は美陽の元へと走っていく。


 刹那、暦の視界に一筋の波が走った。走っていたところに不意をつくように現れた波。認識はできたが、避けようはなかった。


 暦は腹部にパンチのような重い打撃を受ける。口から血を出し、走った道を戻るように後ろに吹き飛ぶ。反動のためか持っていた竹刀を手放してしまった。


 大きな一撃を喰らい、倒れた状態のまま動けなくなる。視線だけを自分のいた場所に向けた。もちろんそこに敵の姿はない。


 どうやら敵は透明化しているみたいだ。


 見えない状態で警戒を解くわけにはいかない。痛みを堪えながらゆっくりと上体をあげようとする。なんとか上体を上げると、髪をギュッと掴まれた。そのまま上に引っ張られ、暦は無理やり立たされる。


 頭から来る痛みに耐えつつも、頭上に向けて手を振るう。一度は空振るものの、掴むようにもう一度振るうと物体に当たったような感触を抱く。


 敵の姿を発見したのも束の間、横から一筋の波が発生する。逃げたいところだが、髪を掴まれた今の状態では逃げることもできなかった。拳を振るったような重い打撃が今度は暦の頰に突き刺さる。


 それも一度や二度だけではない。自分の意識を吹き飛ばそうと体のあちこちに打撃が叩き込まれる。


 このまま意識を失えば、自分はおろか美陽まで敵に連れ去られる可能性がある。そんなことはさせないと、暦は敵の体らしきものを握りしめ、苦しみに耐え続ける。


 ゴリラに対抗するために派手に戦ったのだ。戦闘が行われていることを悟った生徒会のメンバーが駆けつけているはずだ。それまで何とか持ち堪えるしかない。


 だが、いつまで経っても誰かが現れることはなかった。どうしてかと暦は嘆き悲しむ。体はボロボロで敵の体を掴まないことには立てそうになかった。


「助けてよ……遥斗くん……」


 自然とそんな声が漏れた。小さく掠れた声だったため目の前の敵にすら聞こえてなさそうな声だと思った。


 もう限界だ。歪んだ視界の中、そんなふうに思う。


 すると突然、警報が響く。その音にハッとし、暦は意識を半ば取り戻す。どうやら美陽が危険が迫った時に生徒会のメンバーに知らせるためのアラートを押してくれたらしい。


 まだ倒れるわけにはいかない。暦は最後の力を振り絞って目の前にいるはずの敵に必死に抵抗したのだった。

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