第53話:新たな敵
【瞬間移動】を発動すると視界が一転する。
三つの警備ルートはどれも一度通ったことがあるため【超絶記憶】によって漏れなく暗記している。電子端末で暦たちのいるポイントを抑えることができればすぐにでも向かうことは可能だった。
辿り着いた位置から四方八方を見渡す。二人の姿はすぐに発見することができた。
「っ!」
視界に映る光景に目を疑った。
マント姿の人物が暦に対して彼女の髪を持ちながら暴行を加えている。暦は身体の制御を奪われつつも、やってくる拳を必死で受け止めている。
問題は彼女の視線の先だ。目の前に人がいるというのに、彼女は見えていないかの如く顔を背けている。だから攻撃を受け止めるばかりで反撃しようとはしていなかった。
暦もそうだが、一番目を疑ったのは二人よりも前にいる神巫さんだ。
八つ裂きにされたように制服は破れ、血だらけで倒れている。暦を襲っているマント姿の人物が神巫さんを無惨な姿になるまで叩き潰したのか。
「暦っ!」
俺は大きな声で彼女の名前を呼んだ。
しかし、暦がこちらを向くことはなかった。代わりにマント姿の人物がこちらに体を向ける。ほんの少し露出した口元から男であることが分かった。
「意外と早い段階で応援が来てしまったみたいだ」
男は俺を一瞥すると、暦を強く引っぱって地面に叩きつける。
「てめぇ!」
次の攻撃を防ぐため、俺は再び【瞬間移動】を使うことで男との間合いを一気に詰める。
目の前に来た瞬間、【波動支配】で敵の攻撃を見極めやすくする。さらに【火炎遊戯】の能力で右手に炎を纏った。拳を握る。
刹那、男の着ていたマントが粉々に破けた。それは彼の身体が大きくなったためだと視界を埋め尽くすほどの巨体を見て分かった。
地面に平行だった視線を上に向ける。先ほどまで同じくらいだった身長は俺の五倍ほどの大きさに変化していた。赤いゴリラのような様相をしている。拳を叩きつけたところでびくともしないだろう。
ふと、視界に一筋の波が見える。
大きな巨体が攻撃を仕掛けてくる。俺は腰を下ろす。敵と戦う前に暦と神巫さんを安全な場所に運んでおきたい。
そう思ったが、地面を向くと暦の姿はなかった。視線を右に伸ばす。予想はしていたが、神巫さんの姿も消えている。
上から獣が吠える声が響く。反射的に【瞬間移動】を使い、敵から一気に距離を取る。
敵は俺にたくさんの疑問を与えてくれる。
第1に、なぜ暦と神巫さんが忽然と姿を消したのか。俺がこの場所にやってきた時、地面に倒れていた神巫さんと敵に身柄を拘束された暦の姿をはっきりと目撃した。それが、俺が【瞬間移動】で間合いを詰めた瞬間にさっぱり消えてしまった。
第2に、敵は今の状態で暦と神巫さんと戦っていたのか。人の十倍はあると思われる身長だ。あの状態で戦っていれば俺や睦美さんが見つけていてもおかしくはない。なのに、俺たちが気付かないうちに二人を倒してしまった。
考えに耽っていると、再び視界に一筋の波が見える。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
赤いゴリラは咆哮とともに拳を放ってきた。三度【瞬間移動】を使い、回避を試みる。巨体から弾き出されるパンチの威力が及ばない程度には距離を空けた。
巨体を倒すためにはまずは足元を崩す。俺は【空間爆撃】を放つために敵の足元に向けて手を翳した。
その瞬間、自分の手の甲に蜘蛛が乗っていることに気づいた。それも俺の手を覆い尽くすほど大きな蜘蛛だ。反射的にもう一方の手で蜘蛛を払う。
すぐに蜘蛛は消えた。ただ、不思議なことに地面にも蜘蛛はいなかった。大きかったため見失うはずはないのだが。
先ほどの行動を繰り返すように、考えている最中に一筋の波が浮かび上がる。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
今度、赤いゴリラは振り下ろした手を俺の方に向けて薙ぎ払う。手の勢いに飲まれる前に【瞬間移動】で退散していく。
それにしても。俺は次の攻撃に備えながらも敵の攻撃に違和感を覚える。あれだけ大きな攻撃なのに、俺の視界に映る波は小さなものだった。まるで人の拳程度の攻撃のように。
誰にも気付かれない巨体。
姿を消した暦と神巫さん、そして蜘蛛。
小さな波を発生させる大きな攻撃。
全ての事柄が俺の頭の中で繋がっていく。
三度発生する一筋の波。赤いゴリラは両手を上げ、俺の元に腕を振り下ろしてきた。俺は【瞬間移動】を使うことなく、ゴリラの攻撃を迎え撃つ。
「【脳内模倣】」
脳内に使いたい能力をイメージする。
「【能力無効】」
唱えた瞬間、目の前にいた赤いゴリラが姿を消す。
同時に、俺の目の前に現れるマント姿の敵。彼は俺に向けて拳を振るう。そのモーションは特訓の際に我妻がしてきた攻撃の一つに酷似していた。
身体は反射的に拳を受け止める。動きが止まったところで返り討ちにするように俺もまた拳を振るう。それは敵の腹部を打ち、体を上に持ち上げる。宙に浮いた体が地面につく前に蹴りを喰らわせる。
敵が遠くに吹き飛ぶ。
「【能力有効】」
再度使いたい能力を唱え、敵の飛んでいった方向に手を向ける。【空間爆撃】を発動すると、敵の胴体はさらに吹き飛んでいった。地面に着地した瞬間、今度は【氷結遊戯】の力で敵の体と地面を氷によって接着させる。
戦いが終わり、一息つく。
先ほどまで姿のなかった暦と神巫さんは、今は地面に倒れながら安らかに眠っている。幸いとでも言うべきか、俺が敵の能力に囚われている間に外傷を受けた様子はなかった。安堵しつつ敵の元へと歩んでいく。
「まさか……こうもあっさり負けるとはな」
露出した口元を緩めながら男は呟く。マントによって上半分が隠れているため、顔の判別はつかなかった。
「タネさえ分かってしまえば何てことない能力だったから。お前の能力は『幻覚』に関わっているのだろ?」
建物ほど大きいにも関わらず誰にも気づかれないゴリラ。突然姿を消した二人とすぐに消え去った蜘蛛。それらから考えれば、俺の視覚が操作されていることくらいは簡単に推測できる。
「タネが分かっても対処は難しい能力のはずなんだがな。これだから【能力無効】の能力を持ってる奴は嫌いなんだ」
分からないこともない。俺たち能力者にとって能力を無効にされるより辛いことはないからな。早いうちにこの能力を見せてくれた結闇には感謝しないと。
「お前は一体何者だ? どうして暦と神巫さんを狙った?」
「悪いが、それは流石に言ねえ」
「だろうな。なら、お前の身柄は拘束させてもらうぜ」
俺はさらに男に近づく。まずは顔を見るのが先だ。俺は知らなくても他の誰かが知っている可能性はある。しっかりとこの目に焼き付けておこう。
腰を下ろしながらマントに手をかける。
「っ!」
その瞬間、後ろに気配を感じた。
「動かないで!」
声がするのと同時に、後ろを炎のベールが覆い尽くす。
【火炎遊戯】の使い手。一体誰だ。
炎の出先に視線を向けようとすると、今度は前に気配を感じる。
「こいつは回収していくぜ」
前にいたのは倒れているやつと同じマントを着た人物だった。
図体がデカイことから彼もまた男であると分かった。
攻撃を仕掛けるために手を向ける。しかし、彼は倒れた敵に手を添えるや否や一緒になって姿を消していった。どうやら【瞬間移動】の能力を使ったみたいだ。思わず舌打ちしてしまう。
「残念ながら取り逃してしまったみたいね」
氷だけが張り付いた地面を呆然と眺めていると、後ろから聞き覚えのある声がした。
見ると、睦美さんの姿が見える。先ほどの炎のベールは彼女の能力によるものだったかもしれない。
「助けてくれたんですか?」
「ええ。さっき君の前に現れた人、最初は後ろから迫ろうとしていたからね。あんまり見える敵ばかり意識してちゃダメよ」
後ろに感じた気配は前に感じた気配と同じものだったわけか。攻撃しようとしたところ、睦美さんに阻止されたため泣く泣く味方を回収するだけにしたという感じだろう。
「ひとまず、二人を保健室に連れていきましょ」
睦美さんは俺から視線を外し、倒れている暦と神巫さんに目をやる。
「そうですね」
ちょうど二人いるので、俺たちは手分けして二人を保健室へと運んでいった。
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