第37話:それぞれの思惑

《井伊予 暦》


 時は少し遡る。


 暦は遥斗と美陽が部屋を出たところで人知れず拳を握った。

 美陽を挑発し、遥斗に戦いを挑ませたのは1年生が2年生に舐められたまま終わらせたくなかったからだけではない。


 暦は生徒会長である小春と二人きりで話したかったのだ。

 これからする話は、下手をすれば小春に自分の首を取られかねない内容だ。発言は慎重に行かねばならない。


「まさか美陽が久遠くんとバトルすることになるとはね。見ものではあるけれど、少々怖い部分もあるね。彼の能力は色んな人と戦うほど強力になっていくから」


 二人だけの席で最初に口を開いたのは小春だった。

 彼の台詞に隠れた真意を読み取り、暦は握った拳の強さを上げる。


「遥斗くんが強くなったら、何か問題でもあるんですか?」


 なるべく平静を装いながら尋ねる。


「問題はない。頼もしい後輩ができることは嬉しいからね。でもほら、あまりにも強くなられると僕ら2年生のメンツが潰れる可能性があるじゃん? それは個人的にきついかなって」


 小春は困ったような表情をしてこちらを見る。

 彼の表情はフェイクに思えなかった。心の底から参っている様子だ。


「下級生に舐められると今後の関係に亀裂が走る可能性がありますもんね。でも、遥斗くんなら安心だと思いますよ。彼は案外謙虚なので」


「それならありがたいんだけどね」


 信用して大丈夫だろうか。

 疑心暗鬼になるが、話さないことには敵か味方か判断はできないだろう。


 彼女の名前を口にした瞬間、こちらに攻撃を仕掛けてくる可能性がある。暦は話す前に【波動支配】の能力を発動する。


「あの……久世先輩」


「どうした?」


「久世先輩は前生徒会長である『井伊予 誇誉愛(いいよ こよめ)』について知らないわけないですよね?」


 最も角のたちそうな否定形で聞いてしまったことに、暦は自分の憎たらしさを責める。

 小春は唐突に出てきた名前に驚いたのか、細い目を開け、赤色の瞳をこちらに向けた。


「井伊予……あらかた予想はついていたけど、やはり君は誇誉愛先輩の妹だったか」


「はい。私は姉さんのためにこの学校に来ました。去年、学校から姉さんが遠征中に行方不明になったと連絡を受け、事の真意を探るために入学を決めたんです」


「事の真意?」


 小春の言葉に反応し、井伊予は電子端末を取り出す。いくらか操作した後に画面を見せる。


「これは姉さんとのチャットです。この学校では外に出ることは許されていません。だから私はチャットを使って姉さんと会話をしていました」


「井伊予くんが僕に見せているチャット画面は誇誉愛先輩との最後の会話かい?」


「よくお気づきで」


「日付を見ればね。流石の僕も彼女が行方不明になった日付を忘れているわけではないから。でも、まさか誇誉愛先輩が君にそんなメッセージを残しているとはね」


 暦と誇誉愛のチャットには最後にこう書かれていた。


『私が信じていた正義は間違っていたみたい。暦、ごめん。もう会うことは許されないみたい』


「姉さんは自分の能力で他の人を救うことを願って異能育成高等学校に入りました。誰かを守ることが姉さんにとっての正義だった。それが間違っていたと言うことはこの学校で何かを知ったことになる」


「それを知るために異能育成高等学校に入学し、クラスカースト決めに勝ち残ることで生徒会に入りまで果たしたわけか。過程は違えど僕らが考えていることと同じみたいだね」


 小春の発言に暦は目を丸くした。

 自分と同じ考え。小春を含め異能育成高等学校の脅威について探ろうとしている人間がいるようだ。


「久世先輩は一体どうしてそんなことを思った……」


 暦が彼に問いかけようとした時、不意に扉の開く音が聞こえた。


「二人だけか。後のメンバーはどこに行ったんだ?」


 入ってきたのは三、四十代と思われる男性。生徒会を顧問する先生だろうか。

 久世は一度こちらに視線を送ってから先生らしい男の方に向いた。今の話はこれで終わりという合図だろう。


 詳しいことを聞くことはできなかったが、暦は自分以外に仲間がいたことに少し安堵した。


《久遠 遥斗》


 意識を取り戻すと、俺は椅子に体を預けていた。

 俺が目覚めたことを感知し、目の前にあった扉が開かれる。固定されていた腕が外れ、身動きが自由になったところで外に出る。


 試合は俺の勝ちで終わった。

 井伊予の期待に答えることができて良かった。


 少しして神巫さんもまたカプセル装置から出てくる。

 彼女は浮かない表情をしていた。生徒会の副会長を任されている自分が1年生に負けることを腹立たしく思っているみたいだ。


 こういう時、どういう風に接すればいいのだろうか。

 流石に俺が慰めるのは違う。神巫さんにとっては煽られているようにしか感じないだろうから。


 一番良いのはそっとしておいてあげることだろう。

 俺は神巫さんから視線を放し、一足先に部屋を出ることにした。


「待ちなさい」


 扉前までやってくると、不意に神巫さんに声をかけられる。

 沈んだ声は苛立っているように感じられる。負けた腹いせに何かされるかもしれない。逃げ出したいところだが、神巫さんの威圧に思わず足を止める。


 彼女はコツコツと足音を立て、俺の方にやってくる。


「出なさい」


 さっきは「待て」と言ったのに、今度は「出ろ」というなんて。とんだ理不尽だな。

 とはいえ、逆らえるはずもない。俺は泣く泣く部屋を後にする。神巫さんは俺の後ろについてきた。


 そして、部屋を出た瞬間、神巫さんは突如俺の右手を持って背中を強く押し出した。

 突然の出来事に対応できず、体を向いにある壁につけられる。神巫さんは体で俺を押さえつける。膨よかな胸が当たる感覚を抱く。いや、今はそんなところに過敏になっている場合じゃない。


「悪いことはしないからそのままの姿勢でいなさい」


【瞬間移動】で回避する方法を考えたが、神巫さんの言葉を聞いて考えは宙に消え去った。


「今から言うことはあまり他人には聞かれたくないの。だからこのまま話しましょう」


「別に普通に話せばよくないですか? ここには誰も来ないでしょ」


「それもそうですね。ごめんなさい。ちょっと腹いせに攻撃したくなってしまいました」


 神巫さんは俺の拘束を外してくれる。思いっきり壁に押さえつけられたことで痛んだ右肩に手をやる。


「絶対に普通に話せば良いとわかっていてなお、俺を拘束しましたよね」


「そんなことはないですよ。腹いせは九割程度です」


「ほぼ腹いせじゃねえか」


「すみません。間違えました。腹いせは九割九分です」


「もう腹いせと言ってください……それで話って何ですか?」


 本題に入るために俺の方から問いかける。その瞬間、神巫さんは俺から視線を逸らした。


「どうかしましたか?」


「いえ。改まって言われると、何だか恥ずかしさを覚えたので」


「恥ずかしさ?」


 神巫さんは一度逸らした視線を元に戻す。仄かに頬が赤く染まっていた。


「その……久遠さんにお願い事がありまして」


 一度、口を噤んでから言葉を連ねる。


「私と付き合ってもらっても良いですか?」


 全くもって想定外の発言に、俺は「へっ?」と上擦った声しか出すことができなかった。

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