50.すっきりとした朝

 翌朝、起きたら既にヴァイセンは枕元におらず、セーラひとりだった。


「よく寝た気がする……」


 久しぶりに満足いくまで眠れた休日のような、そんな充足感だった。


 ――今、今何時だろう。


 ヴァイセンと最後に会話したのが何時頃だったかは覚えていないが、もう夜明けの時間帯だったはずだ。あの時間から普段の起床時間までは三時間もなかったはず。なのに、どういうわけか身体はすっきりと軽かった。


 ヴァイセンは言葉通り、セーラが眠ってから部屋に戻ったらしい。

 セーラが命を狙われた件で、彼には連日深夜まで忙しく働かせてしまっているというのに、昨夜は本当に迷惑をかけた。


 セーラは昨夜の自身の行動を思い返し、掛布に突っ伏して頭を抱えてしまった。

 昨日は、返す返すも少々、いや、だいぶおかしくなっていた。

 深夜に騒ぎを起こしたことに始まり、屋敷の使用人たち全員を叩き起こしてしまった。そのあとも明け方までヴァイセンに本心をぶちまけて彼を困らせ――たような気がするし、その上、彼の家族の話までねだって聞いた。


 ――恥ずかしすぎる……。これが泥酔してたとかならまだしも……いや泥酔もだめだけど……わたし、あれシラフだよ。あり得ないわ……。


 一体どんな顔をすれば良いのやら、皆目検討もつかない。特にヴァイセンには、合わせる顔もなかった。

 合わせる顔もないが、けれど、不思議と後悔はなかった。


 この世界に来てから鬱屈と溜め込んでいた本心。決してきれいな感情ばかりではなく、むしろ自己中心的な醜い心ばかりだった。自分なんてこの世界には邪魔なのだ、と卑屈になる気持ちを押さえきれなくなればなるほど、自身が悲劇のヒロインぶっていることに自己嫌悪していた。


 自分でも最近の自分は特に嫌いだった。だというのに、それを吐露しても彼は手のひらを返すことはないだろうと、薄らとした確信があったのだ。

 それはこれまでヴァイセンと接してきて、少なからず人柄を知ってきたからこそ得た信頼である。


 彼ならわかってくれると期待したわけではない。

 やさしい慰めを求めたわけでもない。

 ただ、「そうか」とまっすぐに話を聞いてくれる人が欲しかった。ただそれだけなのだ、と自覚していなかった本心に気付かされた。


 ヴァイセンがそうして静かに受け止めてくれたからだろう。昨日まであれほど渦巻いていたどす黒い気持ちが今は凪いでいる。


 ――代わりに、ヴァイセンさまのそばにいれば、自分で自分を貶めたり、そうやって満足する自分に陶酔したり、そういう自分に自己嫌悪したり、子供の頃から悩んでいたことから解放されるんじゃないかなって思い始めてる自分がほんっと浅ましいな……。


 しばらく唸るように悶えていたが、ひとりで悩んでいても埒が明かない。時間を知ろうにも時計を持っているのはトゥーリーンしかおらず、セーラはベッドサイドのテーブルに置いてあったベルを鳴らしたのだった。

 毎日、トゥーリーンが起こしに来るより先に起きたときにはベルを鳴らせと言われている。用のあるときに気軽に鳴らすものなのだ。だから昨日も、夜中でも用事があればまずベルを鳴らせ、と彼女は言ったのだ。


 ちりちりと控えめに揺らしただけで、すぐにトゥーリーンがすっ飛んできた。音が大きくなりすぎないようかさ・・の部分を指で押さえたから、かなり控えめな音だったのに。


「おはようございます、セーラさま。よく眠れましたか?」


 扉をノックして入ってきたトゥーリーンは、既に身支度の準備を万全に整えて持ってきていた。洗面桶に、着替えに、あとは多少の化粧道具。

 ずっと扉の前で待ち構えていたのかと思うほどの用意周到さだ。

 セーラはそっと笑みを作ってうなずいた。


「おはようございます。おかげさまで。今、何時ですか?」

「ちょうど正午過ぎですよ」

「えっ!?」


  勢いよく身を起こすと、途端に雷が落ちてくる。


「安静にしてくださいと申し上げましたでしょう! もう。傷口が開いてしまいますよ。お願いですから大人しくしてください。急な激しい動きは禁止!」

「す、すみません。でも……昼過ぎ!? うそでしょ……起こしてくれたら良かったのに……」

「旦那さまが、起こさずゆっくり休んでもらうようにと仰りましたから」

「ええ……」


 また気を遣わせてしまったらしい。思わず頭を抱えると、トゥーリーンが苦笑する。


「旦那さまは、昨夜セーラさまが眠れなかったことだけを心配したのではありませんよ」

「ん?」

「もうお忘れですか。セーラさまは安静にしなければならないのです」

「ああ、まあ、そういう意味では寝てなきゃだめですか」

「できれば、屋敷の中では普段通りお過ごしください。姫さまではありませんが、また夜眠れなくなってしまったら困りますからね」

「そうですよね」


 とにかく、もう正午すぎというのなら、まずはブランチをいただくことにした。

 眠る前に明け方近くなってからスープを食べたとはいえ、もう九時間近く何も食べていない。いい加減お腹が空いていた。

 それらを食べながら、これからのことや王女の近況も聞く。


「姫さまは相変わらずふさぎ込んでいるようですが、ひとまず、あちらにはラティーヤさんがいらっしゃるので最悪の状態ではないようです。ですがしきりとセーラさまのお姿をお求めになるそうなので、予定より早く王宮へのお勤め要請がかかるかもしれません」

「わたしはもう今日からでも行って良いんですけど、きっと今ヴァイセンさまがいろいろと調整してくださってるんですよね」

「ええ。セーラさまこそがお命を狙われたのですから。敷地内でも不用意に外に出ることは絶対におやめください。窓を覗くことも避けていただかないと」

「ちゃんと守ります。その、ヴァイセンさまは?」

「旦那さまは今日も王宮に行ってらっしゃいますよ。大至急セーラさまの護衛役を揃えるということで、ベルディン騎士団の皆さまも大わらわだそうで」

「わたしのせいで本当にご迷惑をおかけします……」

「あら、セーラさまのせいではないんですから、謝らないでくださいな」


 その日からしばらく、セーラは半軟禁状態で過ごした。

 屋敷で毎日ヴァイセンの報告を待っていたが、彼とは会えない日々が続いた。そのほとんどがセーラの安全対策のために人員を調整したり、外に出られないセーラの代わりに王女の様子を確認することに費やしているのだと言われたら、外に出られないもどかしさに文句など言っていられなかった。


 最初こそ、ヴァイセンに会ったらどんな顔をすれば良いのかとつまらないことで悩んでいたものだが、日にちが立てばそれどころではないことも身にしみてくる。

 そうしてヴァイセンへの気まずさなどすっかり忘れた頃、彼とは未だ会えないまま、セーラはふたたび王女の宮へ赴くことになったのだった。

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