48.寝物語を聞かせてください
「今日はもう遅い。眠れなくても休んだほうが良い」
寝物語には程遠い話ばかりしてしまった。
ひとたび沈黙が落ちた瞬間を契機に、ヴァイセンはそう言って、セーラをベッドへと促した。
彼女は大人しくベッドに潜り込む。治癒魔法で回復しているとはいえ、最終的には自然治癒に頼る他ない。彼女の身体は、今は身体を回復させるために体力を使っているはずだから、本来はこんな時間まで起きて良いはずがないのだ。もういい加減疲れているはずだった。
「今日は長々とすみませんでした」
「いいや。あなたの心が少しでも軽くなったのならそれで良いんだ」
セーラが横たわったところまで見届け、ヴァイセンはその枕元に椅子を引っ張ってきて腰掛ける。
セーラが大きな黒い目を瞬いた。
「あの……ヴァイセンさま?」
「何だ?」
「ええと……ヴァイセンさまもお部屋に戻ってください。こんな時間まで引き止めててすみませんでした」
「俺はあなたが眠れるまでここにいるが」
「えっ」
セーラががばりと身を起こす。
せっかく眠る準備を整えようという段だったのに、急にどうしたのだろうか。ヴァイセンのほうが目を瞠った。
「い、いやいや、余計眠れませんけど!?」
「誰もいなくなるほうが余計なことばかり考えて眠れなくなるぞ。平時なら空腹を満たせば眠れるだろうが、今回の場合はもともとの理由が空腹ではなく精神的なものだろう」
「そうは言いましても……」
「それに、あなたは言わないが、おそらく命を狙われたことへの恐怖もまだ残っているんじゃないか?」
セーラはぱちくりと瞬く。
「いやぁ……そこはあんまり感じてないんですけど」
「今はまだ混乱しているだけだろう」
ヴァイセンは腕を組む。経験上、一度命を狙われた人が、そのことに何も感じないでいるはずがないとわかっているからだ。
おそらく今のセーラは、まだ自分自身が感じている恐怖に気づいていないだけなのではないか、と思っている。
今日までにいろいろなことが起こりすぎていて、脳が処理しきれていない。あるいは、防衛本能が働いて、命を狙われたことについては深く考えないようにしている。
「無意識下のことだから、セーラ殿にはピンとこないかもしれないが」
本当に納得のいかない顔をしているセーラに、ヴァイセンは思わず苦笑した。
「新人の団員がよくそうなるんだ」
「ああ」
「初めて実践で要人護衛をした際に、直接まで行かずとも危うい場面に遭遇することもある。まだ経験の浅いうちに遭遇してしまうと、後々その経験が精神に悪影響を及ぼすんだ」
「トラウマみたいなものですか」
「そうだな。不眠症はその中でもよくある症状だ。団内でも、初めて人の命が危険にさらされる場に遭遇して、大なり小なり精神的に堪えた経験のある者は多い。中でも一番よくあるのが、事件からしばらくは何事もなかったのに、事が落ち着いてから症状が出るケースだ。本人も心身ともに回復した頃に思い出したように起こるから、すぐに因果が結べず長く原因不明のまま悩まされる者も多いんだ」
「それがわたしにもあると?」
「それは症状が出てみないとわからない。だが、あなたは軍人ではない。にも関わらず、直接命を狙われたのだ。そうなる可能性は高い。ならば今のうちから身構えておくのが良いだろうと思う」
「そう……ですか。でも現状、何も思わないわけで……。どうしましょう」
セーラが難しそうに首をかしげる。
ヴァイセンは笑った。
「簡単だ。そうなる可能性があることを覚えておいていただき、今ここで、何事もなく眠れれば問題はない」
「その、今ここでヴァイセンさまに見つめられながら眠るってのが一番眠りにくいんですけど……」
どうしても出ていってほしそうなセーラに、ヴァイセンは腕を組んで唸った。
「そうだな……。あなたが眠れるよう、寝物語でも聞かせられれば良かったんだが、あいにくと私はあなたのようにさまざまな物語に精通しているわけではないし……。兄上の話をもっと真面目に聞いておけば良かったな」
「その……ヴァイセンさまにはお兄さんがいらっしゃった、とはアスターさんに聞いたことがあるんですが、お兄さんは物語がお好きだったんですか?」
「ん? ああ、いや。兄は生まれたときから跡継ぎとしてあらゆる教養を学んでいたから、その延長線で小説などの物語も多く触れていたんだ。よく私にも語り聞かせてくれたんだが、私は将来自身がベルディン騎士団を率いるのだとばかり思っていたからな。勉学より剣の稽古ばかりしていた」
「へえ……」
セーラは一拍、何かを考え込むようにじっと顔をうつむかせた。
それから、「じゃあ」と口を開く。
「差し支えなければ、ヴァイセンさまの家族のお話を聞かせてください。お話したくなければ、全然別の話で構わないんですけど……」
ヴァイセンは目を見開いた。
そんなことを要求されるとは思ってもみなかったのだ。
ヴァイセンの家族の話を聞いたって、彼女にとっては、異世界のまるで文化の違う家のことだ。それに、たった今彼女自身が家族とうまく行っていなかった話を聞いたばかりである。
翻って、ヴァイセンは二十歳になる前に、両親と兄、一番近しい家族をすべて亡くしたが、家族仲は悪くなかった。むしろ良好だったと言える。
そんな話を彼女に聞かせたら、自慢のように聞こえてしまうのではないだろうか。
ヴァイセンの葛藤をよそにセーラは続けた。
「アスターさんから大体のお話は聞いたんですけど、でも、ヴァイセンさまご本人からご家族の話って聞いたことがないなと思いまして。お話したくなくてお話していないだけだったら勝手にアスターさんから聞いてしまって申し訳なかったんですけど……」
「いや、隠していたわけではないんだ。ただ、もういない家族のことを語っても気を遣わせるだけかと思っていてな。……特に父と兄を同時期に亡くしたときは、世間からの同情のほうが堪えたから」
「そうですか……」
「だが、それももう数年前の話だ。今は公爵としての仕事も滞りなく行えるようになったし、メイヴェルたちも支えてくれている。特別家族の話が禁忌というわけではない。だが、セーラ殿にとっては……」
眉をひそめると、セーラこそ笑ったのだった。
「確かに、うちは親子仲がうまくいってなかったかもしれませんし、だから友人の家族の話を聞くと羨ましくなったことはあります。変に気を遣ったり妬ましく思ったりして、それで友達とうまく行かないこともありました。……でも、子供時代の話ですから。今は、そんなふうには思いませんよ」
「そう、か」
「なので、このお家で暮らしていたヴァイセンさまのご家族のこと、聞かせてください」
お話を聞いたら、きっとちゃんと眠れるから。
セーラがそう言うので、ヴァイセンは眉を下げて微笑んだ。
そうして、どこから話そうかと迷って、たどたどしく口を開いたのだった。
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