43.深夜の侵入者

 セーラが襲撃された件について、国王への報告が必要だった。

 セーラが襲われたのは王女の公務の帰り道である。王女も目の前でセーラが襲われる瞬間を見ていてショックを受けているし、彼女の様子やベルディン騎士団で捕らえた下手人の自供内容についても報告する内容は山積みだ。だが、その国王も多忙で、いつでも話ができるわけではない。

 結局、この日の深夜近くになってから朝議の場に重臣たちが緊急招集され、そこでヴァイセン自らが事の次第を報告したのだった。


 今回の件では、王女の護衛としてそばについていたベルディン騎士団の働きは見事だった。王女の安全は守られ、傷ひとつなく、今は自室で休んでいる。護衛としての働きぶりは完璧だ。国王もベルディン騎士団を十分ねぎらい、被害に遭ったセーラの安否を気遣ってくれた。


 しかし、重臣たちはそう簡単にはいかない。王女は適切に守られたのに、そもそも狙われること自体が護衛の落ち度だと難癖をつける者もいるし、下手人の狙いはセーラではなく王女だと主張する者もいた。

 こちらが下手人本人の自供を報告しているのに、だ。

 もはや意見ではなく、中傷や暴言に取って代わったそれらの言い分を、国王も執り成してくれてはいる。しかし残念なことに、今のこの国には、国王に忠実なふりを見せながら我を通そうとする臣下たちが多いのだ。


 これが、長年ハイデルラントが抱えている問題のひとつだった。

 長く平和が保たれ安定した国で、外国からの脅威に脅かされることがなかった。その間に国内での地位を築き上げることばかりに力を入れてきた貴族たちは、今や王家の威信さえも乗っ取る勢いだ。

 すべての家がそうというわけではないが、だからこそ、国王は国内の、特に王家に次ぐ権力を持つ貴族を警戒しなければならない。彼が簡単に国内の貴族と婚姻を結ぼうとしなかった理由もそこにある。


 しかし、膨れ上がった貴族の力は、王家でも止めるのが難しい。

 同格の家同士の蹴落とし合い、王家に対し真に忠誠を誓う貴族の牽制によって、何とか王家の威信は保たれている。今はそういう危うい状況だった。


 国内での貴族階級、ひいては王族の威信のバランスが崩れると、国に混乱が生じる。そして諸外国はそれらを傍観してくれるほど甘くはない。

 王家が揺らぐこと――それはそのまま、和平が乱れることを意味するのだ。


 そうして王家の威信を脅かそうとする貴族らには、強く反発していかなければならない。毎度のことだが、重臣たちを交えた会議での舌戦は絶対に負けられないのだ。


 結局、その日の報告が終わった頃には、既に空が白み始めていた。

 ヴァイセンは疲れた身体を引きずって帰路につく。屋敷に着いたらまず何よりも身体を休めたい。明日も早朝から仕事は山積しているのだ。


 この時間帯では出迎えはない。

 使用人たちは普通、仕える主が起きている間に休みはない。だが、ジュラーク公爵家の場合は、主のスケジュールにイレギュラーが生じた場合はその限りではなかった。

 特に今は、深夜というよりほとんど早朝に近い時間帯だ。最低限ヴァイセンの身の回りの世話をしてくれる使用人だけがいてくれればそれで良い。彼らにはいつもどおりの朝の仕事だって控えているのだから、休める者は休んでほしい、と言い渡したのは、ヴァイセンの代になってからだった。


 だが、屋敷はまだ寝静まっている気配がない。

 帰宅すると、広間のほうで使用人たちがバタバタと動き回る気配があって、ヴァイセンはやや隈の浮かんだ目を丸くしたのだった。


「一体何があった?」

「旦那さま! おかえりなさいませ。お出迎えもせずに申し訳ありません」

「私のことは構わない。何の騒ぎだ?」


 人だかりになっていた一番手近な者に尋ねれば、彼女は困ったような顔をしながら「セーラさまが」とつぶやいた。


「セーラ殿に何かあったのか?」


 まさか体調が急変したのだろうかと眉をひそめると、「そうではないのですが」と煮え切らない答えがあった。


「一体何があったというんだ!?」

「旦那さま、落ち着いてください」


 連日の疲れもあり、つい語気が強くなる。

 叱られると思ったらしい女中はぎゅっと身をすくめた。強く出過ぎたかと頭の隅で自制の声が聞こえるが、セーラの身に何かがあるほうが問題だ。なおも詰め寄ろうとすると、しかしその間に入った者があった。

 メイヴェルだ。


「メイヴェル! セーラ殿は」

「こちらにいらっしゃいます」

「は」


 粛々と人だかりの輪の中に通されて、ヴァイセンはポカンと目を瞬いた。


 セーラは確かにそこにいた。

 寝間着のまま、しょんぼりとうつむいて椅子に座らせられている。

 椅子に座っているのは、おそらく病み上がり――ではなく、まだ安静が必要なのだが――の彼女を立たせたままにしておくわけにはいかないと、誰かが座らせたのだろう。

 それを取り巻くように使用人たちが囲んでいるから、すっかり萎縮して小さくなっている。

 いたずらが見つかった主人一家の小さな子供でもここまで使用人たちに詰められることはないだろうから、セーラの様子が憐れでもあり、しかし同時に少し笑いを誘った。


 ともかく、見た目は具合が悪そうでも怪我が悪化した様子もない。

 ヴァイセンは咳払いひとつで笑みを誤魔化すと彼女のそばに控えるトゥーリーンに目を向けた。


 セーラがトラブルを引き起こしたのなら、その責任は彼女にあるからだ。


「一体何が?」

「申し訳ありません、旦那さま。セーラさまが眠れないからと厨房に忍び込みまして……」

「……何だって?」


 しかし予想外の答えに、さすがのヴァイセンも目を瞬くばかりでオウム返しに尋ねるくらいしかできなかった。


「忍び込んだ?」

「こんな騒ぎにするつもりはなくって……大変申し訳ないです……」


 しょんぼりと肩を落としたセーラが、ポショポショと蚊の鳴くような声で謝罪を口にする。その様子がまた一層憐れで口角が自然と上がりかけたが、ふたたびの咳払いでヴァイセンは表情を取り繕った。


「あー……。対侵入者用の警報魔法が作動したのか? 後始末は」

「済んでおります。セーラさまにもお怪我はありません」

「それなら構わない。セーラ殿には話を聞く必要があるが……場所を移そうか」


 全使用人を叩き起こし、その上何事かと囲まれているところで尋問のように動機を尋ねるのは、さすがに酷だろう。

 それに、彼女は安静にしていなければならない身の上でもある。


 まずは自室に帰し、なるべく休んでほしい。怪我はなかったというし、大立ち回りをしたわけでもないだろうが、今の騒ぎで精神的にかなり負担をかけてしまっただろう。

 ヴァイセンはうつむくセーラの前に手を差し出した。


「あなたの部屋に戻ろう。それとも、厨房に何か必要なものがあっただろうか?」

「いえ……その……。戻ります」

「大丈夫ですよ、セーラさま。今から食べても大丈夫なものを作ってお持ち致しますから、先にお部屋にお戻りください」

「うう……お恥ずかしい」


 なるほど、お腹が空いて厨房に忍び込んだのか。

 あまりにも子供のような理由に、ヴァイセンはついに吐息をこぼすように笑ってしまった。

 重ねられたセーラの手が後ろめたそうに引かれたが、ヴァイセンはしっかりと握り、逃す気はないと力を込める。


 深夜まで続いた緊張や疲労が、いつの間にかゆっくりと解けていく気配を感じていた。

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