42.いざというときには
セーラのせいではないのだ。何度そう説明したところで、しかし彼女の表情から諦観が消えることはなかった。
ヴァイセンは唇を噛む。
下手人の動機について、本当は彼女に伝えるべきか悩んだ。団内では、伝えないほうが良いのではないかという意見もあった。
だが、ヴァイセンは伝えることを選んだ。
セーラこそが狙われていて、だから正しく危機感を持ってももらえないと、いざというときに守れないこともあるからだ。
「セーラ殿、これからはあなたにも護衛がつく。あなたを危険にさらすようなことは絶対にない。これだけは絶対に約束したい」
ただこれまで通りの生活で良い。その他のことは、すべてヴァイセンとベルディン騎士団が引き受ける。セーラにこれ以上、この国に留まることを重荷に思ってもらいたくないのだ。
けれども、彼女は力なく笑うだけだった。
「ありがとうございます。……でもそれでヴァイセンさまたちまで危ない目に遭うのは本望じゃないんです」
「そのお心遣いは感謝する。だが私たちの仕事なのだ。誰も死にはしないと約束することはできない。しかし、団員たちに捨て身になれと命令するわけじゃない。我々の任務は守るべき人を守ること。そこには自分たちも含まれる。もちろん、優先順位はある。だが守護対象と一緒に自身の命を守ってこそ真の騎士なのだ」
セーラの盾となって護衛が死ぬようなことは、ほとんど有り得ないことだった。
だが、何事にも絶対はない。それを言ってしまったら嘘つきになる。
「心配しないでほしい、と言ったところであなたの心配は尽きないのだろうが、そのための訓練は欠かさずに行っている。だから……心配よりも、信頼してほしい」
少しばかりかこの心は伝わっただろうか。
セーラの不安げな白い顔に少しだけ笑顔が戻る。
「信頼はしてます。ヴァイセンさまやベルディン騎士団の方が誠心誠意尽くしてくださっていることも。ただ、本当に……お仕事に無茶を言うようで、こう願っては困ってしまうかもしれませんが、無事を祈ってます」
「そのお言葉だけで十分だ」
ヴァイセンも薄く笑い、それからちらりとトゥーリーンを見やる。彼女は静かにうなずいた。
セーラのことは、屋敷でしっかりと守ると請け負ってくれた目だ。
「申し訳ないが、私にはまだ仕事が残っている。また留守にするが、屋敷の中ではトゥーリーンを始めとして誰でも好きに頼ってくれ。外に出ることは認められないが、不自由の内容に彼女たちが取り計らってくれる。何でも申し付けてくれ」
「ありがとうございます。でも、今日はもう休みます。まだ安静にしてないといけませんし」
「そうだな。くれぐれも無茶はしないよう。明日の朝には戻る。ゆっくりお休み」
「はい。ヴァイセンさまも、無理はしないでください」
トゥーリーンがセーラの部屋の扉を開けてくれる。彼女はヴァイセンが見えなくなるまで深々と頭を下げていた。
トゥーリーンに任せておけば、セーラも大丈夫だろう。
彼女も頼りがいがある。
公爵家には女性主人がいないから、侍女という役職の者は存在しない。だから女中として雇われていたトゥーリーンが成り行きでセーラの侍女のようなことを務めている。
セーラはあくまで客人で、公爵家の人ではないから、トゥーリーンを侍女として雇い直すことはできないが、彼女の給金について考え直しても良さそうだった。
――セーラ殿がこの屋敷の女主人となる……か。そうした未来も視野に入れても良いのかもしれない。
王宮へ向かう馬車へ乗り込みながら、ふとそんなことを考えた。
彼女は、この世界に居場所がないことで萎縮している。話し合うたびに「この世界の人が自分を排除するのは仕方のないこと」と諦めたように笑うが、そんなふうに思ってもらいたくなかった。
一時的な滞在だったとしても、セーラにとってハイデルラントで過ごした記憶が良いものになるようにしてやりたいと思う。
セーラは良い人だ。
突然喚び出され、義務も義理もないのに王女のために一生懸命にできることをして、ヴァイセンやこの屋敷の使用人、そしてベルディン騎士団の団員たちと積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれる。彼らの良いところを探し、好きになってくれようとする。
団員はともかく、使用人たちですら最初はセーラを部外者を見る態度がにじみ出ていたはずなのに。
ヴァイセンはもちろん、彼らを窘めた。彼女がどこの出身であろうと、たとえこの世界の人間でなかろうと、彼女には何の関係もないこちらの一方的な願いを叶えようとしてくれる、極めて善良な人であることには変わりないだろう、と。
セーラにもわかっていたはずだ。公爵家の使用人から受け入れられていなかったことを。
もちろん、たとえ好意的でなかろうとお客さまとして迎えたからにはもてなす態度を崩さぬよう厳しく躾けては来たが、初対面の印象はあまり良くはなかったはずだ。それでも、彼女はそれらを口に出すことはしなかった。
ヴァイセンが叱ったことで態度を改めた使用人たちにホッとした笑顔で歩み寄り、あの人はこんなことで良くしてくれた、この人はこんなふうに助けてくれた、と報告までしてくれたのだ。
本当に善人で、だからヴァイセンは彼女のことを好ましく思う。
こんなに良くしてくれているのだから、ヴァイセンだってできる限り彼女の困り事を取り除いてやりたいと思っているのだ。
そう、ヴァイセンはセーラを好ましく思っているから、セーラにもヴァイセンの故郷――ハイデルラント王国を好きになってもらいたい。その気持ちは当然のものである。
もちろん、 セーラにはセーラの世界があって、そこにはきっと家族も友人もいる。その彼らの住む彼女の世界に一日も早く帰りたいだろう。
帰るための手助けは惜しまない。だが、現実問題として、彼女が帰れない可能性のほうが高くなってきていた。
まだ確定的なことは何もないから、セーラには言えないけれども。
もしも帰れる手立てがなかったとき、彼女の居場所を作ってやれるとしたら、きっと自分しかいない。
そうなったときはやはり、正式にジュラーク家の名を与え、公爵家に迎え入れて、この世界に居場所を作ってやるのが良いのではないだろうかと思ったのだ。
――養子……いや、結婚が一番手っ取り早いか。
脳裏に頭痛の種である祖母の顔が思い浮かんだが、あの人は何がどうなってもセーラを受け入れないだろう。現在の爵位はヴァイセンにあるからヴァイセンの決定には従うだろうが、あの化石のような保守派からセーラを守るためには、やはり養子に取るより婚姻が一番だろう。
この国の爵位を持つ者の婚姻では、当主の配偶者がその家で当主に次いで第二位の立場になる。先代、先々代の配偶者が存命であろうと、当代の配偶者より強い立場にはなれないのだ。つまり、ジュラーク公爵家現当主のヴァイセンの配偶者の座にセーラが収まれば、それは先々代公爵の配偶者である祖母よりも、セーラのほうが立場が上になることを指す。
当然、そのような話が出た瞬間から祖母はあの手この手で大反対してくるだろうが、何もあの祖母に結婚を認めてもらう必要はない。
貴族の婚姻には、当人たちより立場が上の――通常は親だが――者二名の同意が必要になる。別段、血縁者でなければならない理由はない。
――国王と王女ならば先々代公爵夫人よりも立場は上であり、あのふたりならばヴァイセンとセーラの婚姻に否を唱えることはないだろうとも想像できるのだ。
――いざというときにはそれで行けるな。
と、ここまで考えてから、ヴァイセンははっと顔を上げ、それからがっくりと項垂れて両手で顔を覆った。
「いかがなさいましたか? 旦那さま」
「何でもない」
王宮行きの狭い馬車の中での出来事である。
従者としてついてきてくれた男――メイヴェルの腹心だ――に怪訝そうな顔をされたが、ヴァイセンは暗がりの中でもはっきりとわかるであろう、上気した顔を見せることができなかった。
――何を考えているんだ、私は。
セーラと結婚などと、血迷ったことを考えて。
まずは彼女を無事に故郷へ送り届ける方法を考えるのが先だ。
そうは考えるのだが、しかし心のどこかで、その方法を探すことにあまり積極的になれない自分がいるのも、少しずつ認め始めていた。
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