40.事件の後処理①

 ヴァイセンは少々疲れた様子だった。だが、いつもの黒尽くめの軍服のような服装と、短い外套を羽織っている姿は変わらない。

 というよりも、外套をまだ羽織っているところを見るに、本当に帰宅してそのまま部屋に来てくれたらしい。


 ヴァイセンは今までトゥーリーンが座っていた、ベッドのそばの椅子に腰掛ける。


「遅くなってすまなかった。――ああ、いや、そのままで良い」


 さすがに、元気いっぱいなのにこちらだけベッドの中というのも気まずい。そう思ってベッドを降りようと思ったのだが止められてしまった。

 仕方なく座り直したセーラは、まずはヴァイセンに頭を下げた。


「ヴァイセンさま、治療の手配ありがとうございました。おかげさまで痛みもなく傷もふさがってましたし、わたしは元気なので、一旦落ち着いてからで良いですよ」

「いや、このあとも少々外出の予定があってな。今のうちに話せることを話しておきたい。それと、傷がふさがっているのはそのように見えるだけだ。まだ完全に治ったわけではない。――医師から話を聞かなかったか?」


 と言われると、セーラはちょっと首をかしげてしまう。


「お話はいろいろしてくださったんですが、わたしにはわからないことが多くて……。魔力の糸がどうのこうのとか魔法生成組織がとか……」

「ああ」


 ヴァイセンは薄く笑い、まずはそばに立って控えていたトゥーリーンに時間を尋ねる。

 これまで、時計はこの家の使用人を取り仕切るメイヴェルのみが持っているもので、屋敷の部屋に掛け時計はなかった。だが、セーラが何度も時間を確認するので――セーラとしては日々時間を確認することは無意識の行動だったのだが、この国の人には確認する頻度が高いと思われたらしい――セーラの面倒を専属で見ているトゥーリーンにも時計が支給されたのだ。

 貴族ならば時間を気にすることなく、スケジュール管理も執事や使用人が行い、必要があれば執事のほうから主人に声をかけるのが普通なのだそうだ。しかし、セーラにはどうしたって慣れないやり方だったのだ。


 そういうわけで、しょっちゅう時間を気にするセーラのために、屋敷にいる間はトゥーリーンが教えてくれることになった。本来、貴族の使用人を務める人々の間で、時計は主人の側近くに仕える執事だけに与えられるもの。ただの女中が持っていることなどが他人に知られたら騒ぎになる、と彼女は言ったが、しかし、今メイヴェルに代わってヴァイセンに時刻を伝える彼女は少しだけ誇らしげだった。


「あと二時間ほどか。ありがとう。――セーラ殿の怪我の件だが、その様子だとどういう仕組みで治療を受けたのかもわかっていないな?」

「そうなんですよね。わたしがお医者さんに聞ければ良かったんですけど、あんまり当たり前のことみたいにお話されたので、わたしが聞いたことがこの世界では頓珍漢なことだったらと思うと気が引けちゃって」

「それもそうか。医師への伝言が不足していてすまない。彼はあなたが異邦人だとは知らなかったんだ」

「それは良いんです。姫さまに関わる方以外は知りようがないでしょうし。……それで、まあ、こちらで使われる魔法とやらで治療もされたんだろうなとはわかったんですが、どういう仕組みなんでしょう?」

「こちらでは、外傷の治癒には魔法を使う。といっても、セーラ殿も既に知っての通り、魔法を用いた道具の使用には魔力がいる。特に医療器具ともなると消費する魔力量も多く、必要な場合はそれを金で買うことになるから高額になりがちだ。我が公爵家がその出費を心配するような額ではないが、あまり蓄えのない一般市民だったりすると、できる治療にも限りがあって簡易的なものになりやすい」

「それは……なんというか、めちゃめちゃありがとうございます」


 たった二日で傷口まできれいにふさがるような丁寧な治療を受けられたのは、ひとえに後ろ盾であるヴァイセンの資金力によるところが大きいというわけだ。

 彼はそれを笠に着るような人ではないし、今の口調からも恩着せがましいところは感じなかったが、厳然たる事実として、ヴァイセンが金持ちの貴族だからこそ助けられた部分がある。今ほど彼の庇護下にあることを感謝したことはなかった。


「診察していただいたとき傷口を見たんですけど、もうすっかり治ってるように見えて驚いたんですよ。まだ安静にとは言われたんですけど、そんなにするほどでもなさそうな……」


 傷跡は、右肩、肩というより胸の上の大胸筋のあたりだが、その辺りに薄皮が張っているが確認できる。直径三センチほどの穴が無理矢理開けられたために皮膚が破れたような傷跡だった。

 身体を、それも厚みのある胴体にあたる胸を異物が貫通したのだ。そう思うとゾッとしないでもなかったが、今はもう痛みも感じない程度に治っている。


 セーラの常識では、傷とはたとえ処置が成功しようとも、すぐに痛くなくなるものではない。治るまでの数ヶ月は――貫通するほどなのだから年単位かもしれないが――痛みが尾を引くものだと思っていた。

 そう話すと、ヴァイセンは基本的な認識はそれで間違っていないと言った。


「治癒力を魔法で高めているんだ」


 これも相当なお金がないとできないことらしい。改めて公爵さまさまである。


「だが、しばらくは激しく肩を動かしたり、無理に皮膚を引っ張ったり、傷の治りを確かめるような乱暴なことはしてはいけない。治癒魔法は回復を早めるものだが……そうだな、イメージとしては、損傷した部位の組織をそのままそっくり魔法で作り出して穴を埋め、魔力の糸でつないでいるだけなんだ。それが魔法生成組織であり、魔力の糸だ」


 ヴァイセンによると、今のセーラの体は、魔法で作り出した組織――肉や神経や血液――が損傷した部位にぴたりと収まることで、身体がすっかり治ったのだと誤認し、錯覚を起こしている状態なのだそうだ。これが痛みを感じない仕組みである。

 実際に治癒を促進しているのは、魔力の糸のほうなのだ。これが、縫合しているのと同じ状態にあたる。つまり自然治癒を早めるものではあるが、完全ではない。


「だから、激しい動きをすれば魔力の糸はほどけてしまうし、魔法生成組織もずれたり取れたりしてしまう。そうなったらもう一度処置が必要になる。魔法生成組織で誤魔化していた痛みも感じてしまうようになるんだ」


 セーラはさっと青ざめた。


「大人しくしてます」

「そうしてくれ。しばらくは姫さまも外にはお出にならないし、あなたも屋敷から出ないようにしてほしい」

「そういえば、姫さまは……?」


 あのとき、セーラは王女の目の前で矢に貫かれた。セーラだって、自分の目の前で知り合いが殺されかけたらショックを受ける。ましてや四歳の子供が目にしたのなら、その衝撃はなおのことだろう。嫌なものを見せてしまったな、と思う。


「気に病まないと良いんですけど」

「それは少々難しいだろうな」


 苦々しい顔をするヴァイセンに、セーラはしょんぼりとうつむいた。

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