39.傷の手当て
手当てというか手術なのではないだろうか。手術が必要なのではないだろうか。
――肩に矢が貫通だって? 肺は? 肺を突き破ったりしてないよね? ハイッ深呼きゅ……いだだだだだ!
「いたいです、ヴァイセンさま」
「それはそうだろう。あまり呼吸を乱すな。響くぞ」
「肺……肺に、傷、とか……あるのかな、て」
「それだけ喋れていれば無事だとは思うが、俺は医者でもなんでもない。下手なことは言えない」
「こわいこと、言わないでくださいぃ……。あ、あの、ますい、ますいとか、あります……よね? それより魔法とか、で、治す……感じですか……」
「喋るな」
ヴァイセンはこれ以上セーラに体力を使ってほしくないのだろうが、セーラとしてはなにか話していないと不安でパニックに陥りそうなのだ。
セーラがそうしてくだらない話を振り、律儀にもヴァイセンが軽く受け答えをしてくれる中で、ようやく屋敷に到着した。
「あの、ヴァイセンさま……いたく、いたくしないで……」
「その……言い方は……。いや、なんでもない。処置は痛くないはずだ」
「はずって、なんですか、はず、ってぇ……」
公爵家の使用人たちは既に連絡を受けていたようで、バタバタと駆けつけては準備を進めてくれている。
セーラはベッドに横向きに下ろされ、自身の背後で医者だと思われる人とヴァイセンの遣り取りを浅い呼吸でぼんやりするさなかに聞いていた。
「ひ、ひっこぬく、なら、麻酔お願いします、ますい、ぜったい」
「マスイとやらはわからんが、痛いことはしないと言っているだろう」
――マスイがなんなのか通じてない……! ってことは無麻酔処置……!!
絶対いやだ……絶対いやだ……!!
原始的に麻酔もない状態で引っこ抜かれる、なんてシチュエーションは、フィクションの世界ではよくあることだ。異世界転移した主人公がそんな状況にも耐え抜いて苦難を乗り越える――などという漫画はいくらでもあるが、現実的には絶対遭いたくないシチュエーションだった。
気合いで乗り切れ、というような励ましをされても絶対に無理だ。耐えられない。そのまま死んでしまう。
身体がわずかに動くたびに感じる肩の異物感と激痛よりも、これから行われるであろう地獄の処置のほうが恐ろしくて仕方がない。
このときのセーラは怪我と痛みと熱――これはのちに疲労から来たものではないかと推測された――により、ほとんどパニック状態で半泣きだった。
ヒンヒンと泣きながら「痛くしないで」とうわ言のように訴えていたのだが、実際には、処置が始まるより前にスコンと意識を失っていたのだった。
*
この世界では麻酔のことを麻酔と呼ばないだけで、きちんとそれに準じた処置方法は存在していたのだ、と知ったのは、もうすっかり処置が済み、ほぼ完治の状態で眠りから覚めたあとだった。
――あれ、痛くないな……?
ぼんやりと覚醒した瞬間、そばで見ていてくれたらしいトゥーリーンが気づいて、すぐに医者が呼ばれた。
なにがなんだかわからないまま診察を受け、経過は良好とだけ言い残し、医者は去っていく。この世界では病院に通うのではなく医者を家に呼んで診察してもらうのが一般的なようで、だからセーラが眠っていたのはずっと公爵家のセーラに与えられた客間のままだったようだ。
「日本では基本的に患者のほうが病院に行って診察や治療を受けるんですよ。わざわざ医療設備を動かすのもたいへんですしね。――この果物おいしいですね。なんですか? これ」
セーラが目覚めたとき、あいにくとヴァイセンは外出中でいなかった。だが主人がいなくてもきちんと統率された使用人たちだから、セーラの世話はいつもどおり完璧に行ってくれる。
目覚めたセーラの診察が終わると、トゥーリーンは絶妙なタイミングで果物のシロップ漬けのようなものを持ってきてくれたのだ。
既に怪我した箇所は少しも痛まず、不思議なくらい身体は元気だ。なのに聞いてみたら数日間は眠っていたというから、起きたときにはすっかり空腹を感じていた。だから「ゆっくり食べてください」と果物を渡されたのだが、どうにも急いで食べ尽くした感が否めない。
「桃の砂糖漬けですよ。セーラさまは数日お食事を取っていませんからね。お腹は空いているでしょうが、すぐにしっかりしたものを食べるとお腹がびっくりしてしまいますから」
「ああ、日本でもだいたい似たようなこと言われてますよ。思うように食事がとれなかったあとにものを食べるときには、消化の良いものからゆっくり食べるようにって。お腹が空きすぎて一気に食べちゃいましたけど……」
「我慢できなくてすみません」とセーラが罰が悪そうにすると、トゥーリーンはホッとしたように笑みを浮かべたのだった。
「食べられる元気があればそうなると思いましたから、もともと一息に食べても良い量しかお持ちしていませんよ。足りなければもう少ししたらまた厨房から新しいお食事を届けさせます」
「ありがとうございます。この桃、すごくおいしかったです」
「それは良うございました。いずれ料理長に直接感想をお伝えくださいな」
「そうします。……ところで、今ってわたしが怪我をしてからまる二日なんですよね? にしてはエラい傷の治りが早いなーって思うんですけど、どうなってるんですかね……?」
気になっていたのはこれである。
セーラは診察のとき、医者に見せるために服を脱いで患部を露出させた。そのときに改めて自分の怪我がどうなっているのかをセーラ自身も見たのだが、どうにもセーラの知っている怪我とは様子が違うのだ。
端的に言えば、治りが早い。
広範囲ではなかったものの、肩を貫通するほどの怪我だったはずである。あれからたった二日した経っていないと聞いているのに、セーラが見たときには、傷を受けた右肩は既にすっかり傷口がふさがり、薄皮が張っている状態だったのだ。
「見た目の回復が早かったにしてももっとこう……二日程度なら痛々しく縫った痕とかありそうなもんなんですけど。それに、動かしても痛くないですし」
言いながら確かめるようにぐるぐると肩を回そうとして、トゥーリーンが慌ててそれを押さえた。
「おやめください。医師にもまだ安静にしているようにと言われたでしょう」
「そ、そうですけど……すみません」
そうは言われてもまったく痛くないので、ついつい扱いが雑になってしまう。
そっと左手で右腕を抱く形で落ち着いたところで、控えめなノックが来客を告げた。
「私だ。セーラ殿が目覚めたと聞いたが」
「旦那さまですわ」
確かにヴァイセンの声だった。
そっと立ち上がったトゥーリーンが部屋の入口でヴァイセンと二言、三言交わし、それから彼を伴ってセーラのベッドのそばへと戻ってきたのだった。
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