38.踏んだり蹴ったり泣きっ面に蜂とはこのこと
ようやく撤収ということで、王女に続き馬車に乗り込んだときには「ちょっと頭がボーっとするな」と思っていた。こちらへ来てからこんなに大勢の人たちに囲まれ喋り倒したのは初めてのことだったので、妙な疲れ方をするのも仕方ない。だからこの熱っぽさも疲労のせいだと思っていたのだが。
「すみません、窓……は、開けられないんですよね……」
「どうされた?」
「ちょっと暑いなと思いまして」
「ああ……すまない。防犯のためにも開けられない仕様なのだが。……それよりセーラ殿、顔色が少々悪くないだろうか?」
「ん?」
「あら、本当ですわ。悪いというより、赤くなっていらっしゃいますけど」
左隣のヴァイセンに覗き込まれてセーラが首をかしげると、反対隣のラティーヤも身を乗り出して琥珀色の目を向けてくる。
暑いし火照ってしまったのだろうかとセーラは自身の頬に手をやる。他人にも指摘されるほどなのか、と思うと同時、一気にぐらりと視界が揺れた気がした。
「ありゃ?」
「セーラ殿! ……熱が出ていないか?」
「えっ。大変だわ」
それからどうなったのか、ぐわんぐわんと揺れる視界の中では記憶が定かではなかった。
だがヴァイセンが速やかに馬車を停めさせ、ひとまずセーラを寝かせるか、王女をどうするかと話し合っていたのは覚えている。
とはいえ、まだ歩けないくらいの症状ではない。王宮に戻るまでならどうとでもなるとセーラは主張したが、これは敢え無く却下された。
「簡易的なものになりますが、別の馬車を手配しております。姫さまとは別行動になりますが、そちらでまっすぐお屋敷までお戻りください」
「そうですね。後ろの席では窮屈ですし、これからまた民の目にも触れますし……。せめて窓を開けて風通し良くできるものでないと余計具合が悪くなってしまいますわ」
「や、大丈夫ですよ」
孤児院から王宮までは馬車でゆっくり走って一時間。行きはパレードのように王女の元気な姿を見せながらだったから、余計に時間がかかっている。その点、帰りは見つけてくれた市民に軽く手を振る程度だ。数十分馬車に揺られるだけなら我慢はできる。
そもそも、ぐったりと力が入らず横になったまま動けない、というのならまだしも、少々熱っぽいと言われているだけで、動けと言われたらまだ走れるレベルなのだ。めまいはするし、気合いを入れていないとぼんやりして記憶が飛びがちではあるが。
この程度で専用の馬車などを呼ばれ、病人のような対応をされるのは大げさだ。交通事故に遭ったものの、ほぼ停車ギリギリの速度でコツンと当たった程度で救急車を呼ばれた――そんな気まずさだった。
だからこの程度で大事にはしないでほしい――とは言ったのだが、そうしている間にもすぐさま別の馬車がやってきた。
街中で王女の馬車から人が降り、別の馬車に乗り換える姿を見られるのは得策ではない。せめて城下町の城門に入るより前に乗り換えておくべきだということで、セーラは仕方なくその場で馬車を降りた。
乗り換えるのはセーラだけ、のはずだった。
さっさと降りて段差を気にかけて手を差し伸べてくれるヴァイセンを見て、セーラは両手を振る。
「ヴァイセンさまは姫さまについてないとだめでしょう」
「姫さまには護衛の者がふたりついている。私はあなたの付き添いだ」
「いやいやいや……」
どこの世界に、自国の王女より
まだまだ自力で動けるとはいえ、このときのセーラは普段よりずっと注意力が散漫としていて、合理的にものを考える余裕が残っていなかった。
大げさだろうが無理に固辞せず素直に流れに従っておけば、全員を無駄に足止めせずに済んだのだ。しかし、今は目の前の問題しか見えなくなっていて、なのに全員に迷惑をかけるような格好にもなっているわけだから半ばパニックになっていた。
そこまでする必要はないと意固地になるセーラに、ついに王女まで説得にかかる。
「わがままはだめよ、セーラ。ヴァイセン、はやくセーラを馬車に」
「承知しております、姫さま」
「ウッ姫さま……ご迷惑をおかけしてすみません」
四歳の王女にまで窘められる始末だ。いよいよ肩身が狭くなって、顔をしょぼしょぼとさせていたときだ。
ヴァイセンがセーラの乗り込む馬車に指示を出し、なにやら内装を変えている。その間に聞き分けのないセーラを馬車に促そうと王女まで馬車から身を乗り出した。
王女はこの国にとって大切な要人である。決められた場所以外ではおいそれと姿を、特に全身を見せてはいけない。
セーラは慌てて王女に近づき、馬車から降りようとする王女の前に立ちふさがった。
「姫さま、それ以上身を乗り出したら危――」
ずん、と肩に熱が走った。
「――あ?」
「セーラ!」
目の前で王女が顔色を変えて叫んだ。一体なにが、と思うと同時、右肩に激痛が走る。
「え?」
「姫さま、お下がりください!」
王女と同じ馬車に乗っていたベルディン騎士団のひとりが後ろから王女を羽交い締めにし、馬車の中へと引きずり込む。その間にもうひとりが飛び出してきて腰の剣を抜いた。
そう、剣を抜いたのである。
「何者だ!」
「ヴァイセンさま、セーラさまが……!」
「なんだ!? ――セーラ殿!」
「い……っつ」
「セーラ、セーラ!! ヴァイセン! セーラが……!」
「姫さま、おやめください。姫さまになにかあったら……!」
足に力が入らない。意識が遠のくほどの激痛に、その場にずるずると膝をついてしまう。一体なにが起こったのかと右肩に触れ、びくりと震えた。
――肩からなにか、突き出ている。
恐る恐る目をやると、それは細い棒状のようなものだった。見える限りでは、赤黒く血に濡れた
「なんで……」
「セーラ殿、大丈夫だ。動くな」
「なにが……?」
起こったのか。
確かめようにも、崩れ折れるセーラを支えたヴァイセンが、王女の乗る馬車に向かって何かを叫ぶ。
馬の嘶きが聞こえ、王女を羽交い締めにしたままの団員のひとりと王女、後部座席に残ったままだったラティーヤ、そして馬車の姿が目の前から消え去った。セーラとヴァイセンを残し、発車したらしい。
「ヴァイセンさま……?」
「喋るな。大丈夫、大丈夫だ。心臓は外している。――すまない、御者の方!セーラ殿を乗せるのを手伝ってくれ!」
「そ、そりゃ構いませんけど、また攻撃されるんじゃあ……?」
「いや、立て続けに攻撃がなかったからにはもう逃げているだろう。どこかに身を潜めて次の攻撃の機会を伺っているのだとしても、うちの団員がもう向かっている。矢が飛んできた方角は見ていたはずだからな」
「ですけど、ああ……」
御者も手伝おうとして降りてきて、セーラの惨状を見たのだろう。悲鳴のようなため息がこぼれて、自分の状態はそんなにひどいのか、とセーラは頭の隅で考える。
「セーラ殿。息苦しくはないか?」
「なにも、かも、くるしい、ですけど……」
さすがにこの状態で大丈夫だと見栄を張る元気はなかった。それに、こういうときこそ正直に答えないと、症状を見逃される危険性がある。
「横向きになって、動かないでくれ。背中から矢が貫通している。動いて余計に傷口を広げてほしくない」
「か、かんつう……」
予想はしていたが、言葉にされると意識が遠のく。すうっと頭が白んできた瞬間、ヴァイセンに軽く頬を叩かれた。
「気をしっかり持て。急所は外しているから大丈夫だ。急ぎ屋敷に戻って手当てをする」
「誰か近隣の者を呼んできたほうがいいんじゃあないですか?」
「いや、屋敷まで飛ばしてもさほど時間は変わらない。それなら公爵家で手当てをしたほうが良い」
ふたりがかりでできる限り丁寧に馬車に乗せられ、走り出す。乗せられるときにも動かされるたびに肩に激痛が走り、その痛みでほとんど意識が吹っ飛んでいたのだが、馬車が揺れ出すとその比にならない地獄を味わったのだった。
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