37.ハイデルラント王女殿下の魅力

 延々と語り聞かせと歌を要求され、セーラはもう疲弊していた。

 こんなにぶっ通しで声を出したことがない、というのもある。しかしそれ以上に、自分の頭で物語を補完し、うまく着地点を作りながら話して聞かせることに頭を絞り過ぎて、だんだん頭痛がしてきた気すらしていたのだ。


 王女が公務として足を運んだ孤児院の訪問は、一時間程度を予定していた。だが、孤児院の子供たちとその面倒を見る周囲の大人、どちらにも歓迎され引き止められ、結局二時間続けて喋り続けている。


 その間の王女はといえば、もちろん、子供たちとの交流は欠かさない。しかし公務と言えど、王女もまだ子供たちの中では低年齢にあたる四歳児。そして病み上がり最初の公務ということで、直接輪の中に入って子供らしく交流するというよりは、講談のような形を取っていた。

 王女が最近気に入っている遊び――つまりセーラの話を聞いたり、歌を歌うことなどを紹介して、実際に王女が普段行っている〝遊び〟を孤児院でも披露しよう、というような流れだ。

 要するに、始終セーラが何かを喋って歌って活動していなければならない。

 もはやこれは、王女の公務というより、セーラの労働なのではないか、と思い始めていた。


吟遊詩人トルバドゥールさま、さっきのお話聞かせてー」

「さ、さっきのお話……とは?」

「あたしいばらのお城のお姫さまのお話が良い!」

「やだよ。ただ寝てるだけの話じゃんか。おれは桃太郎の話が良い!」


 かっこよく鬼を退治すんだ! と桃太郎になりきった少年が「えい」と叫びながら拳を突き出し、周りの子供たちを軽く殴り、そのままセーラにまでパンチを繰り出してくる。


 ――やめてくれ、なんでわたしを攻撃するんだ……!


 いかにもやんちゃな少年そのものの行動だが、この少年はやんちゃが過ぎて他の子供にも少々嫌われ気味らしい。先程から会話のたびに軽い暴力に遭っているのだが、いい加減セーラも叱るべきか悩み始めていた。孤児院の大人が目にしていれば止めてくれるのだが、今は王女がそろそろ帰る準備をするということで、たまたまセーラひとりが子供たちの相手をしている。

 ただ王女の思いつきで連れてこられた身では、お客さんの身分である子供たちにどこまで強く出て良いものか。迷って甘んじて拳を受けていると、その攻撃がぴたりと止んだ。


「人を殴るのをやめなさい。ただ話をしてほしいだけなら言葉でそう言えば良いだろう」


 ヴァイセンが間に入ってくれたのだ。

 セーラがほっと息をついて殴られた肩をさすっていると――子供の力でも結構痛いものだ――少年は目を輝かせた。


「あ、騎士団長! おれ、おれね、大きくなったら騎士団に入るんだ!」


 ――うーん、興味があちこちに移りがちでまるで人を殴っている自覚がない。そんなだから他の子に嫌がられるんだぞ……。


 幼い少年によくある、「ドカーン!」とか「バキューン!」とか、効果音を自ら発しながら人を攻撃するタイプだ。だが当の本人に他人を害している自覚はなく、ただ戦いごっこのような少々乱暴な遊びのつもりで手を出しているに過ぎない。それが遊びの範疇に収まらないほど相手に痛い思いをさせているから、嫌がられている。それがいまいち理解できていないのだろう。


 遊びのつもりなので、興奮しているのもあるのだろう。他の子供も「やめて」と口にしているが、なかなか直らない。

 本来ならきっと親が躾けて次第に直っていくのだろうが、ここは孤児院である。面倒を見る大人は確かにいるが、大勢の子供を一度に引き受けているから、なかなかつきっきりで理解させるのも難しい。躾けには時間がかかっているのだろう。


 そういう事情も垣間見えてしまうので、どう言葉にしてやめさせようか悩んでいるうちに、ヴァイセンがその子供の正面に膝をついた。

 憧れているとひと目で分かるきらきらとした表情を向けられても、彼はほんの少しも笑みを見せなかった。


「人を殴るのをやめなさい。先程から他の子供たちも君が殴ると「やめて」と言っているだろう。どうしてやめてやらない?」


 ヴァイセンは次々と拳を繰り出す少年の両手を握り、言い聞かせるように見つめる。

 少年にもだんだんとただ事ではないことが飲み込めて来たのだろう。笑顔を引っ込め、次第に不安そうな顔で――よくわからないという顔で――ヴァイセンを見つめた。


「我々ベルディン騎士団は、確かに武器を持って戦う。だが、その武器は他者を傷つけるためのものじゃない。守るべき人を守るためのものだ。主人であるハイデルラント国王や王家はもちろん、自分の家族や友人、大切な人を守るためにこの拳がある。それを一緒に暮らす家族に向ける者に騎士団の名を背負う資格はない」

「あ、あの、ヴァイセンさま、」


 ――ガチのやつだこれ……!

 子供相手にそんなに叱りつけなくても、とセーラが止めに入ろうとしたが、しかしそれを押さえる小さな手がある。

 王女だ。


「たいせつなおはなしです。ヴァイセンのじゃまをしちゃ、だめ」

「アッハイ」


 こういうときの王女は、どうしたことか威厳がある。

 視線を落とした先の青灰色の瞳が、なんとも言えない揺らめきを見せるのだ。確かに子供の顔なのに、そこに知らない、尊い身分の女性を見ているかのような、そういう気分にさせられる。


「それよりセーラ、おケガはない?」

「はい、大丈夫ですよ。ご心配ありがとうございます、姫さま」


 それなら良かった、と碧い目がうれしそうに瞬き、しかしすぐに真摯な色を湛えてヴァイセンと少年を見つめる。

 セーラもつられてそちらに視線をやると、ようやく事態を理解したらしい少年が涙を浮かべ始めていた。


「おれ、……でも……でも、」

「そんなことをしたつもりはない、は通用しない。私はこの目で、きみに殴られてやめてくれと訴える子供を何人も見ている。セーラ殿も」


 ヴァイセンの深海の目がこちらを見やると同時、涙目の少年の茶色の目がすがるようにセーラを見た。

 本当に嫌だったの? と信じられないものを見るような目をしている。


 セーラは息をついて口を開いた。


「殴られたら痛いんですよ。他の子も同じです。やめてほしいなと思っていました。お喋りをするだけなら殴ったり蹴ったりする必要はありませんよね」

「……!」


 一層悲壮な顔をする少年に、セーラは視線をあさっての方向に飛ばしながら続ける。


「本気じゃないこともわかってたんですよ。でも痛いじゃないですか。あー、こういうとき、なんていうかなー、なにかこう、一言あれば良いよって許せる気になるんだけどなー」

「……ごめんなさい! パンチして、ごめんなさい……!」


 慌てたような少年の涙声に、セーラは良しとうなずいた。


「ええ。良いですよ。わたしもすぐにやめてほしいと言えなくてすみませんでした。そしたら、他の子にも同じように言えますか?」

「みんなも、ごめん。おれ……」

「良いよ」

「もうパンチしないでね」

「うん、急に戦いごっこでなぐるのもイヤ。なぐったりしなければ、戦いごっこもするよ。みんなで遊ぼうよ」


 これまでずっと、口にもしてきた子もいれば、思いを秘めてきた子たちもいるのだろう。口々に「あれが嫌だった」「こういうことをするのは嫌だ」と告白され、少年はヒンヒンと泣きながら謝った。

 けれども他の子だって、まだ本気で少年に見切りをつけているわけではない。暴力を振るわれることは嫌だったが、そういうことをしなければ少年の提案するごっこ遊びもしようと誘ってくれる子もいたし、もう暴力を振るわなければこれまでのことは許すと慰める子もいる。


 一応、一件落着だろうかとヴァイセンを見やると、彼はようやく薄い唇を緩め、淡く笑みを浮かべた。


「過ちをしっかり認めてきちんと謝罪ができるきみの素直な心は、我がベルディン騎士団の志にも適っている。大きくなって、我が騎士団の門戸を叩いてくれる日を心待ちにしている」


 はっと顔を上げた少年に、今度は王女が口を開いた。


「騎士団にはいるのなら、みらいのわたくしをまもるすてきな騎士さまになってね。きっとよ」

「――っ、は……はい!」


 ――ああー、これは落ちた。人が恋に落ちる音を聞いてしまったー!


 にっこりと微笑んだ王女に、冗談抜きでセーラも頬に熱が上るのを感じていた。

 それくらい、洗練された美しい微笑みだったのだ。――この国の人は、こんなに魅力的な王女を国主と据え、象徴として崇める未来が待っているのかと羨ましくなる思いがした。


 その熱に浮かされたような感覚が、実は本当に熱を出していたが故のことだと気づくのは、もう少しだけあとの話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る