36.異世界からやってきた吟遊詩人

「セーラもいくのよ」

「えっ?」


 呆然としたセーラに、にこにこ顔の王女。その隣で、申し訳なさそうな、しかし諦めた顔のラティーヤが言い添えてくれた。


「孤児院訪問にセーラさまも連れて行くと仰って聞かなくて……」

「えっ!? ご公務ですよね!? さすがに部外者のわたしが堂々と姫さまのお付きの者みたいな顔で同行するのはまずいんじゃないですかね……」

「ハープももっていくの。あの人魚姫のおはなしをみんなにしてね」

「いやいやいや、待ってください姫さま……!」


 これが、王女が公務に出る日の朝に起こった騒動だった。


 その日、王女は王妃亡き後、初めて公務に出ることが決まっていて、朝から準備に追われていた。

 半年以上経って久しぶりの公務である。

 この日の主な役割はふたつ。まず、王女の住まいである宮の外に出て、国民に姿を見せる。

 王妃崩御のニュースは国中に深い悲しみをもたらしていたし、その後の王女の体調が優れないことについても国民は心配していたので、無事に公務を再開することに、首都からは安堵と喜びの声が広がっていった。そこへ元気に公務へ向かう姿を見せ、王女回復のアピールを図ろうというものだ。


 そしてもうひとつ。

 首都にある、とある孤児院を訪問する。

 この孤児院は亡き王妃が管理していたもので、王妃存命の際には幼い王女も連れて何度も訪問していたことのある、縁の深い施設だった。

 王妃が病に倒れたあと、王女はこの孤児院の管理に際し、「あなたの兄弟姉妹だと思って孤児院の子供たちを大切にしてね」と母から託されていたと言う。


 実にやさしく慈悲深い王妃であり、その言葉を忠実に遂行しようとする責任感のある王女の美しい慈善の心だ。

 ちなみにこの孤児院は、メスフィーン公国出身の子供もいるらしい。


 首都の賑やかな街中を王女の乗った馬車が移動し、道中も国民に王女の元気な姿を見せながら、かつて王妃が足繁く通っていた孤児院へ訪問する。王女の体調回復後最初の公務とあって、まずは王宮からほど近いこの場所に行くことで、少しずつ王女の仕事を再開することにしたわけだ。


 メスフィーン公国は、数年前までハイデルラント王国の隣のルベルツ王国と小競り合いを繰り返していた。小競り合いというが、実際には、向こう側からちょっかいを掛けるように何度も領海侵犯をされたり、それがエスカレートして本島のかなり近くまでルベルツ王国軍の船が来ていたりしたらしい。


 もちろん、メスフィーン公国も黙って許していたわけではない。警告を繰り返したり、ハイデルラントの後ろ盾を得られないかと相談していたのだが、ここで不幸な事故が起こる。

 日常的に領海を犯していたルベルツ王国軍だったが、逆に、メスフィーン公国の一般漁船がこれを侵したとして、メスフィーン公国の漁師を殺してしまったのである。

 場合によっては戦争の火蓋が切られかねない大事だ。だが、両者の国力差は圧倒的。メスフィーン公国は腸が煮えくり返る思いだっただろうが、結局事を構えず、「遺憾の意」の表明程度で穏便に済ませるしかなかったのである。


 この話を聞かされたとき、歴史や政治にも疎いセーラでさえ「ルベルツ王国、めちゃめちゃメスフィーン公国のこと舐め腐ってんな」と苦い顔をしたものである。


 おそらく、ルベルツ王国軍が難癖をつけてメスフィーン公国民が領海を犯したと主張し、漁師を一方的に殺したのだろう。もちろん、メスフィーン公国を焚きつけるためである。

 メスフィーン公国のような小さな国では、大国ルベルツには敵うはずもない。戦争など始めたら、どちらに軍配が上がるかは火を見るよりも明らかである。

 ルベルツ王国の狙いはそれだった。戦争を理由にメスフィーン公国を侵略し、その領地をまんまと自分のものにする。その意図がありありと透けていたから、メスフィーン公国は事を構えられなかった。国民を理不尽に殺されてもなお、戦争の気配に怯える大勢の国民たちの命を思えばこそ、挑発に乗ることができなかったのだ。


「そういう経緯もあって、ハイデルラントの後ろ盾をより強固なものにするために、陛下と妃殿下のご結婚が決まったのです」

「なるほど……」

「その殺された漁師の中に、ひとり親だった者がいました。この子供たちが天涯孤独になってしまったので、妃殿下はご自身の輿入れの際にその孤児のきょうだいを引き取ってハイデルラントにお連れになり、市内の孤児院に預けたのです。いつかなにかが起こったとき、真っ先に戦場になるであろうことが証明されてしまったメスフィーン公国の漁師町より、ハイデルラントの首都のほうが圧倒的に安全ですからね。国からはなにもしてやれなかった罪滅ぼしでもありました」


 王妃はそれだけでなく、多額の寄付金を見舞い、定期的に孤児たちの様子を見に行った。それで、縁ができたのだという。

 今回は、その孤児院に王女のみで訪れるということだった。


「それで、なぜわたし……」


 トコトコと馬車に揺られながら、セーラはずっと青ざめた顔をしていた。

 外はずっとお祭り騒ぎのような歓声が続いていて、大勢の人が注目し、こちらに手を振っている。――正確には、前の席の王女に。

 気分は、というより、まさしくパレードの見世物になった気分だった。


 馬車の両サイドには大きな窓がついていて、王女が左右に忙しなく顔を向け、見送る国民に手を振っている。

 王女の両脇にはベルディン騎士団の兵士がふたり。もちろん、護衛である。そして後ろの席に、セーラとラティーヤ、そしてヴァイセンが座っていた。

 こちらにはヴァイセンの屋敷と同じような、内側から見えて外側からは見えない魔法が施された窓がある。護衛はよらかぬことを企む者たちへの牽制の意味があって見せているが、セーラたちが活躍するのは孤児院についてからだ。国民に姿を見せる必要はない。


 王女の元気な姿だけを国民に披露し、これまでの心配を払拭してもらう。

 そこにぞろぞろと物々しく付き従う者がいたら、王女の急な体調変化に備えているのではないかと余計な心配の種を生む可能性がある。だからこうして、人目につかない席でひっそりとしているのだった。


「すみません、セーラさま。姫さまが孤児院でセーラさまの歌とお話を披露すると言って聞かなくて……」

「セーラ殿の物語は面白いからな。特に子供は未知の物語は好きだろう。むしろなぜついて行く必要がないと思っていたんだ?」

「そりゃ、わたしが部外者だからですよ」

「セーラさまが部外者であるはずがないと思いますが……。陛下からも正式に姫さまのお付きの人として認められているわけですし、実際、日に日にセーラさまの聴衆は増えておりますよ」

「えっマジですか!?」


 初耳だ。

 驚いて顔を上げると、ラティーヤはその琥珀の目に面白そうな色を浮かべている。


「最近姫さまの前でお話をなさっているとき、中庭のベルディン騎士団の方が窓の外に張り付いていることは、もしかしてまだご存知ありませんでしたか?」

「うっそォ!? 初めて知りましたよ!?」


 日々の王女との遊びの中で、毎日のようにうろ覚えの童話を――たまにオチを見失って主に大人を中心に笑いを誘っていた――披露しまくっていたし、ヘタウマの歌も散々歌わされていた。それを聞かれていたのか。自分の知らないところで、思っていた以上に多くの人に。


 素っ頓狂な声を上げると、隣のヴァイセンは遠慮なく身体を揺らして笑い、前の席からも「ぐふ」だの「んん」だの妙な声がする。

 護衛の兵士たちは業務の手前、大っぴらに笑うことはできない。だから必死に真顔で耐えているのだろうが、隣のヴァイセンの姿は外からは見えない。それを良いことに、ヴァイセンはずいぶんとおもしろおかしそうにセーラをからかった。


「最近は団内でもよく話題に上がるな。日によって聞ける話が違うから、各々初めて聞いた物語を持ち帰って団内で共有するのが流行りなんだ。人気なのはオオカミとヤギが嵐の小屋で出会うあれだな」

「あ、あー……」


 ――うろ覚えすぎてスベったやつ。


 捕食者と非捕食者の関係のふたりが、真っ暗闇の夜に嵐から難を逃れて小さな小屋で出会い、真っ暗なのでお互いの正体を知ることなく友達になってしまうあの話だ。

 あれには続編があったなと記憶がある一方、有名な一部分しか知らなかったので、どうオチをつけようか迷って盛大にスベリ散らかしたのだ。

 つまるところ、王女にはわけのわからない顔をされた。

 確かに、王女くらいの年頃の子供には難しい話だったかもしれない。というより、セーラが魔改造してしまったのが大きな原因だ。原作はセーラでさえ知っているくらい超有名な人気作なのだから。


 しかし、なぜあのスベった話がベルディン騎士団の人々には人気だったのか。

 ヴァイセンはしみじみと語る。


「姫さまには結末のはっきりとわかる話のほうがお好みだろうが、団内は人数も多いからな。結末に考察の余地がある話だったから、いろいろと議論が交わせるほうが楽しいらしい」

「なるほど……?」

「侍女たちの間では、やはり姫君が出てくるお話が人気ですね。先日の、ガラスの靴で舞踏会に行くお話が特に好まれていて、実際にガラスの靴のようなものはないのかと話題になっておりますよ」

「へ、へえー……」


 ――うそでしょ? どこまで広まっちゃってるんだ、あんないい加減な超うろ覚え童話集が……。


 だんだん、なんだか事態が大きくなってしまっている気がして危機感を覚え始めていたセーラだったが、馬車がやがて孤児院に到着すると、そこで驚くような歓待を受けることになった。


 王女の登場に喜び勇んで姿を見せた孤児たちが、セーラを見るなり指を差して言ったのである。


「あ、吟遊詩人トルバドゥールさまだ!」

「へっ!?」


 一体なにがどうなって、異邦人だった自分の存在がこんな小さな子供にまで広まっているのか。

 セーラは完全に固まったのだった。

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