34.若くして責任を負うということ

 食事終わりには酒もどうかと勧められたが、ビッタリと張り付いたアスターがきっぱりと断ってくれた。


「セーラ殿には窮屈な思いをさせてすみませんが、一応、男所帯ですから。ベルディン騎士団にそのような不届き者はいないと自負しておりますが、不安要素は作らないほうが良いでしょう」

「ですよね。お気遣いありがとうございます」


 セーラ自身は酒に対してこだわりがない。それよりも、おいしい食事とコーヒーや紅茶などを楽しむほうが好きだ。だからアスターが断ってくれたのは都合が良かったし、誠実さを守ろうとする彼の姿勢に感謝した。

 こうして彼らを観察していると、なるほど、ベルディン騎士団の人たちはヴァイセンの心意気をよく表している。穏やかで、上下はしっかりしているが、風通しの良い気風だ。


「騎士団の皆さんって穏やかな方が多いんですね。わたしの世界では、軍人ではなくても若い男性が集まってお酒を飲むと自然と大騒ぎになりがちなんですが」

「こちらも変わりませんよ。ただ、うちはこういう気風の者が集まって来がちでして。各騎士団それぞれに特徴があって、騎士団を目指す見習いも自分に合う気風を目指して門戸を叩きますから、余計に似通った者同士で固まりやすいみたいです」

「ヴァイセンさまのような方が長につく騎士団ですから、セーラさまにもなんとなく雰囲気はわかると思うんですけど」

「ああ……やっぱり、長の人柄は騎士団そのもの気質に影響するんですか」

「してしまいますねえ。そういう意味では、長その人というより騎士団を抱える公爵家の気質が影響するんですが。ヴァイセンさまは典型的なジュラーク公爵家の方、という感じですよ。ジュラーク公爵家は代々物腰穏やかな方がお多いんです。でも一方で、新しもの好きの面もありまして。老いては常に新しい世代の価値観を取り入れることも忘れないお茶目な方も多くて、先代公爵さまも先々代公爵さまも広く民に愛されていました。ハイデルラントの重臣の中でもいつも最先端の情報を持つ人として陛下も信を置かれてます」

「へえ」


 と言う割には、ヴァイセンの上の代である祖母は、もっと気象の激しい、保守的な人に思えたが。

 そんなセーラの疑問が想像できたのだろう。アスターは苦笑いした。


「パヴァナ姫は例外です。あの方は先代国王の妹でいらっしゃいますから、ご結婚されて入った公爵家の考え方より、王族時代の価値観を大切にされている方なんです」


 セーラはほとんど冷めきったスープの最後の一口を誤嚥しかけ、咳ひとつでなんとか軌道修正した。


「国王の妹……!? ということは、ヴァイセンさまは……」

「現国王陛下ともお血筋のつながりがあります」

「…………」


 セーラはさっと青ざめた。

 ヴァイセンが公爵家の生まれであり、既に爵位を継いだ公爵本人だと聞いたときも、とんでもなく国の中枢に近い人に保護してもらったものだと恐縮したものだが、王家に連なる血筋だったとは。

 やっぱりどえらい人に保護されたのだ。

 後ろ盾のないセーラとしては、この世界においてこの上なく強力な保護者なのだろうが、しかし、だからこそ煩わせてはいけないという気持ちが強くなる。


 どうリアクションをして良いのやら、セーラが最後の一口を咀嚼できないまま迷っていると、アスターは困り果てたように言った。


「確かにヴァイセンさまは尊い血筋のお方ですが、公爵家ともなれば誰かしらは王家とつながりがあるから珍しいことじゃないんです。この国は長いこと外交においては安定していて、ここ数代の王家は他国の姫君と婚姻することもなく国内の有力な貴族との結婚を繰り返していたので……。――これは大っぴらにしないでほしいんですが、陛下がメスフィーン公国からの政略婚を受け入れたのも、王家の血筋が濃くなりすぎることを懸念なさったのでは、とヴァイセンさまは仰ってました」

「ああ……」


 王家の婚姻関係に詳しい訳ではないが、国内の有力貴族との結婚を繰り返していたのなら、その可能性は大いにある。

 そして、だからこそヴァイセンの祖母であるパヴァナ姫が、王妃と王女を目の敵にしていた理由も、なんとなくわかってしまった。


 ――ん? じゃあヴァイセンさまのお祖母さまって、王妃さまのこと邪魔に思って……。


 ふと脳裏によぎった可能性に、しかしセーラは首を振る。

 滅多なことは考えるものじゃない。安っぽい推理小説ではないのだから、そんなに単純な話ではないだろう。


「他国との諍いがないのは平和で良いんでしょうが、そうすると王妃さまがお亡くなりになった件はなおさら国の皆さんにとってもショックだったのでは」

「そうなんです。我々騎士団も、現在の主な仕事は戦争に行くことではなく要人の護衛ですから。特にベルディン騎士団は亡き王妃殿下が輿入れされた際から護衛の任務についていたので、妃殿下がお亡くなりになったときにはその責任を問われて……。ですから、ヴァイセンさまはその責任を取って騎士団長を辞し、現在は個人的に姫さまの護衛を務めているんです」

「なるほど、そういう経緯でしたか」


 思いがけずではあったが、これでようやくヴァイセンが騎士団長を辞任していた理由が判明した。

 周囲の人はみんな彼が辞したことを認めず現騎士団長として扱っているにもかかわらず、彼自身は頑なに騎士団長の任に戻らないことからも、ヴァイセン自身が王妃の死をどう思っていたのかが窺い知れる。


 ヴァイセンは王妃の死を自身の責任として、重く受け止めているのだろう。

 王妃は広く慕われていた。それだけで残されて悲嘆に暮れる王女の身を案じる理由には足るが、ヴァイセンにはそれ以上に、王妃を守れなかった後悔も強かったのだろう。だからこそだからこそ、その解決の糸口になりそうなセーラに頼った。


 しかし、とセーラは首をかしげる。

 王妃は、公式には病死となっている。だとしたら、その責任を誰かが取るというのはおかしな話ではないだろうか。――否、もしかしたら理不尽だろうと責任を取らされるのかもしれない。だが、この場合は護衛のヴァイセンではなく、王妃の病を治せなかった医者が責任を取るのではないだろうか。


「あの……王妃さまは病死と伺ってるんですけど、どうしてその責任をヴァイセンさまが取ることになったんでしょう」


 ああ、と答えたアスターは視線を落とす。

 なにやら遣る瀬無いというような顔だ。


「死因は確かに病死です。お亡くなりになる直前の妃殿下はずっと体調不良で臥せっていらっしゃいました。いつ容態が急変してもおかしくないと言われていて、王宮では妃殿下をお救いできるよう国中から名のある医師を呼び寄せ、懸命に治療に当たっていました。ですが、その妃殿下の命の灯火をいたずらに揺らすように、姫さまのお命が狙われたんです」

「え……」

「妃殿下の容態が悪化に伴って、姫さまはご自身に付き添う侍女や護衛の大半を妃殿下のもとに向かわせ、ご自身の周囲にはごく少数の者のみを置いていました。ご自身の世話に人員を割くより、妃殿下の回復のために働いてほしいと願ったそうです」


 誰の口から王女の話を聞いても、やっぱりあまりにもできた王女であるように思う。母を思うがゆえ、自分の世話よりも母のためにできることをしてほしいと口にできる四歳児がいるのか、とつい涙が出そうになる。


「実際、あの頃の姫さまは驚くほど静かにお過ごしでいらっしゃいました。妃殿下のご様子を誰よりもご心配されていたはずなのに、侍女から定期的な報告だけを大人しくお待ちになり、少数のお付きの者の手を煩わせることもありませんでした。そんな折に、姫さまの宮に襲撃があったのです」

「…………」

「幸いにも、姫さまについていた我らベルディン騎士団の者とヴァイセンさまが姫さまをお守りできて、お怪我もなく無事でした。ですが、姫さまのお命が狙われたその精神的負担には、もう妃殿下は耐えられなかったのでしょう。姫さまの件は妃殿下のお耳に入れるなと箝口令が敷かれましたが、しかし人の口に戸は立てられないもの。いずこからか病床の妃殿下にも姫さま襲撃の件がお耳に入り、ひどく取り乱されて、そのまま……」


 それは、とても無念だっただろうと思う。

 愛娘のことを心配しながら自身は死んでいく運命だった王妃にとっても、王女を無事に守り抜いたにもかかわらず王妃の死を招いてしまったヴァイセンやベルディン騎士団の者たちにとっても。


 セーラには簡単に「王妃は病死だった」と説明したヴァイセンだったが、彼がこの詳細を話さなかった理由も察せられる。

 とても自ら話せる心情ではなかったのだ。


 王妃の死を語るヴァイセンの、まるで歴史でも聞かせるような、他人事のような口調を覚えている。ただ淡々と事実を教えるだけの、なんの感情もない語り口。

 あのときはなんとも思わなかった。しかしそこには、なにもかも押し殺してゼロにしなければ、とても平静を保っていられないほどの強烈な感情があったのだ。それを強靭な精神力で押し殺して、ようやくセーラに事情を伝えただけなのである。


 穏やかで聡明なヴァイセンの心の内側に隠された情を垣間見てしまったような気がして、セーラはどうしてか、泣きたい気持ちになった。

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