33.ベルディン騎士団の宿舎

 ベルディン騎士団の宿舎は、ジュラーク公爵家から王宮を背にして物々しい門をふたつ潜った先にあった。

 壁というのは、城壁のような石造りのしっかりとした壁だ。軽く団地くらいの高さがあるその壁は、まさに城郭なのだろう。

 馬車でトコトコと城門をくぐったセーラは街の外へ連れて行かれるのかと思ったのだが、しかしその城郭の外もまた街が広がっている。

 だが様相は壁の内側と外ではまるで違っていた。

 例えるなら、超高級住宅街と、その外の都市部を壁で区切ったようなものだろうか。当然、壁の内側が閑静な超高級住宅街、外側が庶民の――とはいえそれでもかなりの階級にあるであろう――住宅街だ。

 おそらくは壁の内側ほど階級の高い貴族の住まいがあり、壁を越えて離れていくほど庶民の住まいがあるのだろうと容易に想像できた。


 中流から上流層の庶民の住む街からまたさらに壁を越えると、今度こそ雑然とした〝街〟が見えてくる。

 まっすぐではない毛細血管のような道、ただでさえ細い道を塞ぐように積み上げられた荷物、日照権などお構いなしの洗濯物、所狭しと行き交う大勢の人々。

 そんな活気ある街の一角に、ベルディン騎士団の宿舎はあった。


 宿舎といっても、そこはほとんど空想上の宿屋のような格好をしている。

 入ってすぐにテーブルと椅子が窮屈に並ぶ食堂があり、奥に注文を受け付けるカウンターのようなもの、両脇には階段があって、上の階へと続いていた。


 セーラはその食堂に入るなり、次から次へと現れるベルディン騎士団の兵士たちに群がられたのだった。


「えっ? セーラ? セーラってあの?」

「バカおまえ、セーラさま・・だろうが。団長の客人だぞ」

「あの、そんな大層な者ではないのでご自由に……」

「セーラさま、よくぞいらっしゃいました!」

「むさくるしいところではありますが、ささ、どうぞ」

「えっ、あ、ありがとうございます……?」


 わらわらと寄ってきた大勢の青年――中には青少年も混じっているように思える――に、セーラは思わず一歩引いてしまう。しかし、その視線のどれもがただ興味本位であることは、なんとなくだがわかっていた。

 これまで一ヶ月以上、王宮内では毎日のようにこちらを品定めする目線で舐められていたのだ。それとは種類が違う。

 彼らに敵意や猜疑心はない。ただ物珍しそうな目線を向けられるのが新鮮で、セーラはどう反応して良いのかわからなくなった。


 自分の預かり知らぬところで自分の情報が出回っていたときの妙な気まずさは拭えない。

 一体どんな噂を立てられ、どんなふうに情報が独り歩きしているのか。


「夕食はお済みですか? ――おい、誰か! セーラさまにお食事をお持ちしろ!」

「あっおかまいなく……」

「もう今日の晩飯ほぼないっすよ! 外に買いに行ったほうがいいんじゃないすかね?」

「こらこらこら、おまえたち!」


 身構えると、しかしセーラはあっという間に食堂の椅子のひとつを勧められ、そこで丁寧な食事とともに歓待されのだった。

 ここまで連れてきてくれたアスターが必死に間に入ってくれる。セーラにとって、今この場で知っているのは彼くらいしかいない。助けを求めるつもりで目を向けると、彼は太い眉を困ったように下げながら隣に座ってくれた。


「いやぁ、すみません。悪い奴らじゃないんですが」

「歓迎してくださってるのはわかってますよ。気にしないでください。ただ、わたしは存じ上げない方ばかりなので、どうやってわたしのことを知ってくださったのかと不思議で」

「セーラ殿が安全にもとの世界に帰れるよう、我々も資料の調査を手伝っておりますので。それに、ベルディン騎士団は王妃殿下ご存命の頃からおふたりの護衛としてそばにいることが多かったので、王妃殿下が亡くなられ、姫さまが病に倒れられてからは心配している者も多かったんです。ですから、セーラ殿が姫さまの元気を取り戻してくださってみんな感謝しているんですよ」


 なるほど、ベルディン騎士団そのものが亡き王妃と王女に近い臣下たちだったということか。


 確かに、あの王女と亡き王妃は人を惹きつける力がある。そばにいればいるほどに母娘の人柄の良さに触れ、彼女たちのために任務を全うしたいと思う者は多いはずだ。

 現に、セーラも一ヶ月を王女とともに過ごし、彼女の王女としての責任をまっとうしようとする姿に何度も圧倒されると同時に、幼い王女をそのように育てた亡き王妃の人柄を思って感心している。


 ――それに、元気なときは無邪気でかわいいしね、姫さまは。みんなファンになっちゃうよね。


 王女はとりわけ、歌が大好きだ。

 ハープの練習も始めていたようだが、どうやらハープの名手だった王妃の手前、あまり練習には身が入っていなかったらしい。もっぱら母親に弾かせて自身は歌うばかりだったようで、最近ではセーラもハープを弾かされてばかりいる。王女はそれに合わせて歌いたがるのだ。

 そんな子供らしい一面と、王女としての務めを果たそうと健気に頑張る姿のどちらも見せられては、彼女の努力に感じ入るよりほかにないのである。


「最近では、護衛の任務に入れば姫さまの元気なお歌が聴けますからね。みんな護衛に行きたくてウズウズしてますよ」

「ん? 皆さん、今も姫さまのおそばにいらっしゃってるんですか?」


 セーラは首をかしげた。

 ヴァイセンが王女つきの護衛兵だと名乗るくらいだし、本来王女には何人もの護衛兵がつくのだろうとは想像できるが、しかし、実際彼女のそばにいて、物々しい兵士の姿を見たことはほとんどない。

 あるとしても、ひとりふたり、部屋の入口の外側に控えている人がいる程度だ。その役もほとんどヴァイセンが担っているから、彼以外の王女の護衛がいると知って驚きだった。


「もちろん、全員がいっぺんに護衛任務をしていることはありませんが。中庭などにも常時ひとりかふたりはいますよ。姫さまにも穏やかにお過ごしいただきたいですから、我々はあまり目につかないようにしていることがほとんどなんです」

「ああ、そういうことですか……」


 敢えて目に触れないようにひっそりと護衛業に勤しんでいるのなら、セーラが見つけられなかったのも当然なのかもしれない。


「もう半年以上が経つとはいえ、王妃殿下が亡くなられて間もないでしょう。そこにいつまでも我々のような兵士が神経を逆立てて周囲を睨んでいたら、姫さまやお付きの方々も気が休まらないだろうとヴァイセンさまがおっしゃいまして。現状、姫さまと直接お話される護衛はヴァイセンさまだけですね」

「ピリピリしているところを見せないようにするのは、確かに今の姫さまや侍女さんたちには必要なことですね。ご配慮ありがとうございます。今まで気づきもしなくてすみません」

「いえいえ。姫さまと周囲の方に気づかれないことを目的としておりますので、むしろセーラ殿が気づいていなかったのだとしたら、我々の任務はうまく行っていたということです」


 アスターが然りとうなずいたところに、ふたり分の皿が目の前に置かれた。

 深皿になみなみと盛られたスープのようである。ミルク仕立てのもったりとした液体に野菜のくずが浮かんでいるところを見るに、シチューかポタージュのようなものだろうか、と顔を上げる。


 食事を持ってきたひとりの若い兵士が照れくさそうに頭を掻いた。


「残り物ですみませんが、良かったらどうぞ。俺たち毎日当番制で飯作ってるので、味のほうは悪くないと思います」

「おい、残りがないのはもう仕方がないが、いくらなんでもこりゃあないだろう」


 ありがたく受け取ろうとした瞬間、しかしアスターが凛々しい眉を寄せて年若い兵士を窘める。

 兵士は途端にぎゅっと身をすくめて謝った。


「すみません! でも、こんなものしか残ってなくて」

「さっき誰か外に買いに行ってくるはずだったんじゃないのか?」

「でもその、時間的にももうあまり選べるものがないだろうと……」

「あ、あの! 十分です。ありがとうございます。突然来てしまったこちらが悪いんですから、お食事をいただけるだけで嬉しいです」


 確かに、出された食事はひと目で残り物だとわかるような、明らかに具の少ないスープだった。かろうじて入っている野菜も切れ端やくずばかりだし、肉などはひと欠片も見つからない。

 アスターはせめて付け合せのパンくらいはないのかと部下たちに尋ねていたが、残念ながらそれももうないらしい。だが、セーラは一向に構わなかった。


 時刻は既に夕食の時間を大きく過ぎているし、宿舎の兵士たちは食事を済ませたあとなのだろう。

 ここは規律を重んじる兵士たちの集団生活の場だ。普段から当番制で料理を作っているのなら、むしろ余りが出ないように、食事は毎回みんなできれいに食べ尽くしている可能性がある。そんな中ならなおのこと、突然来訪したにも関わらず、一皿分の食事を分けてくれただけでも十分ありがたいことだった。


「いろいろあったあとなのであんまり空腹を感じてなかったんですけど、そういえばもう夜も遅いんですよね。これ見たらすごくお腹が空いてきました。――早速いただいても良いですか?」

「もちろんどうぞ」


 宿舎は賑やかで、仲間同士の気安い言葉が飛び交っている。その庶民的な雰囲気が思いがけずほっとできるのだ。


 これまで、成り行きで貴族社会の中での暮らしを余儀なくされていた。

 静かな屋敷に、大勢の使用人。主人はたったひとりで、セーラは客人。

 最近では、公爵家の使用人たちも、少しずつセーラに対する態度から険が取れてきている。もちろん、これまでに露骨な嫌がらせもされたことはない。

 丁寧に扱われているとはわかっているし、それはありがたく思っていた。しかし、まったくそれとは雰囲気の異なる場所に来てみると、いかに自分が場違いな場所に放り込まれ緊張していたか、唐突に自覚してしまったのだ。


 久しぶりに食べた賄いのような奇をてらわないまろやかな庶民の味は、セーラの無自覚な疲れをゆっくりと溶かしてくれたのだった。

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