32.戦略的撤退を余儀なくされる

 先々代ジュラーク公爵夫人は、ジュラーク公爵家の所有するこの家に異邦人であるセーラが招かれていることが気に食わないようだった。その得体の知れない小娘を追い出すために、首都ではなくジュラーク公爵領にある別邸からわざわざ馬車で遠路はるばるやってきたらしい。

 実に行動力のある老人だ。セーラは窓越しに遣り取りを見て思わず本音をこぼした。


「ウワ、キッツ……。なるほど、こうなるから身を隠せってことだったんですね」


 然りとうなずくセーラに、アスターの申し訳なさそうな、気遣わしげな視線が向けられた。


「すみません、セーラ殿。こんなお話お耳に入れたくはないんですけど」


 セーラは苦笑いする。


「いえ、あんまり見事な典型的お貴族さまなので、ちょっと物珍しい生き物を見てる気分です」

「非常に……地位や血筋を大切にされる方でして」

「ですねえ。アスターさんもあの方に嫌がられるのでお屋敷に出入りしたくない感じですか」

「俺が出入りすることでパヴァナ姫が良い顔をしないのも確かですが、単に畏れ多いだけですよ。俺は生粋の庶民ですからね。祖父の代の商売で多少成功はしていますが、その程度です。どう血筋を遡ってもお貴族さまとはご縁がない」

「ははあ……」


 セーラたちが会話している間にも、この世でもっとも緊張感のある祖母と孫息子の攻防はなおも続いている。


「セーラ殿を下賤の者などと呼ぶのはおやめください。立場は違えど我々と同じ人間です」

「ジュラーク公爵家当主ともあろう者が下賤の者に寄り添おうなどとみっともない真似はおやめなさい! わたくしたち貴族は高貴な血筋として選ばれた者。貴族には貴族の尊き務めがあり、その働きがあるからこそ下賤の者も恩恵に預かることができるのです」

「お祖母さま……」


 ヴァイセンは実に頭痛が痛そう・・・・・・な苦悶の表情を浮かべ、片手で顔を覆ってしまった。


 これはもう対話だとかそういうレベルを越えているだろう。なにをどう主張してもお互いに相容れない。

 異邦人のセーラをあっさりと受け入れたリベラルな貴族であるヴァイセンの身内に、ここまでコテコテに凝り固まった保守的な思想の持ち主がいることにも驚きだ。しかしそれ以上に、この祖母のいる家系に生まれて、どうしてヴァイセンのような柔軟な思考を持つ人が育ったのかもまた不思議である。


「我々は尊き身分なのです。だからこそ下賤の血とは明確に線を引かねばなりません。特に血の交わりなど以ての外。――本当に、下の世代になればなるほど理解が薄れていく世が憐れでなりません。あなたたちはどうしてこうもわたくしたちの血を軽んじるのでしょうね。陛下もそうですわ。何度も諫言しましたのに結局ご理解くださらなかった。なぜ我がハイデルラント王家を敢えて穢そうとするのでしょう。一度目だけに留まらず、二度目は異国の血筋などを王家に呼び込み、それを止められなかった……。わたくしの世代では考えられなかったことです」

「セーラ殿のこともですが、亡き王妃殿下ならびに王女殿下を侮辱することはいくらあなたでも許されませんよ」

「あら、侮辱だなんて勘違いも甚だしい。わたくしは正しい血を正しく継いで行くことの重要性を説いているだけです。混ざりものの王女よりもあなたのほうがよほど――」

「お祖母さま!」


 初めてヴァイセンが声を荒げた。

 いつも穏やかな彼がこんなふうに大声を出すとは思わなくて、セーラは自分が怒鳴られたわけでもないのに思わずびくりと肩をすくめる。


「滅多なことを仰らないでください。ヤスミーン王女殿下は正当なハイデルラント王国の後継者。それを軽んじることは、それをお認めになった陛下とハイデルラントを守護する神々の決定に異を唱えることになります。そのような背信行為はたとえあなた・・・であっても許されませんよ。立場を弁えてください」


 これまで頑なだった公爵夫人が、初めて目に見えて狼狽えたように見えた。

 たとえ孫息子と言えど、相手は現当主。肩書を重んじる公爵夫人だからこそ、年下であろうと自分より目上となった現当主の言葉には逆らえないのかもしれない。


 だが、内心では納得していないに違いない。

 公爵夫人は鋭い目を二度、三度と泳がせたあと、取り繕うように早口に言った。


「……その言葉、そっくり返しますよ。あなたこそ自身の立場をよく理解することですね。本当に王家の人間としてふさわしいのは誰なのかを」


 ――王家の人間として……?


 セーラは興味を引かれ、もっとよく会話の内容を聞こうと思わず身を乗り出してしまう。

 それを強い力で押さえられた。

 アスターだ。


「見つかったらまずいんですって」

「とは言いますけど、もう平行線でお話終わりそうにないんですよね……。あの方、わたしが見つかるまで家中探し回るんじゃないですか?」

「その可能性は俺もちょっとヤバいなと思ってるところです」

「いっそ出ていってわたしが直接お話するほうが良いのではないかと思いまして」


 そもそも、自分がここにいて良い人間でないことくらい、セーラが一番良くわかっているのだ。理不尽に罵声を浴びせられる覚悟くらいできている。

 出ていけというのならそれも仕方がないだろう。家主はヴァイセンでも、彼女もまたこの家の人間なのだから、客を選べる立場にある。


 ここを追い出されたらどうやって暮らしていけば良いのか、それこそ早くもとの世界に帰してほしい問題が浮上するが、当面は王女のこともある。国王に相応の対価を要求して衣食住を整えてもらうか、市井で暮らしていけるだけの金を用意してもらうかすれば良い。


 とにかく、今この場は彼女がセーラをサンドバッグにして納得するのならそれも已む無しだろう。そう思ったのだが、しかしアスターはセーラの両肩をぐっと押さえつけ、悍ましいものを見たような顔で必死に首を振った。


「絶対にやめてください。言わせるだけ言わせてやれば良いだなんて、その程度で済むことなんて絶対にあり得ませんから。それに、ここでセーラ殿とパヴァナ姫を会わせたら俺が団長にどやされます」

「ですけど、現にヴァイセンさまじゃもう……」

「このままじゃ埒が明きませんから、一旦裏口から出ましょう」

「どこへ行くんですか?」

「セーラ殿には居心地が悪いでしょうが、ベルディン騎士団の宿舎に来ていただきます。ヴァイセンさまじゃ止められそうにないとわかったときには連れ出して良いとメイヴェルさんから許可をもらってますから」

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