29.元の世界に返してほしいんですけど!
セーラは大した関心もなく呑気に構えている臣下たちに聞かせるためにも、彼らをぐるりと一瞥してから声を張った。
「治ったとお喜びになるのは早計です。姫さまは今もなお病を克服しようと血の滲むような努力を続けている最中です。ですから、あのようになにもかも手放しで成功だの喜ぶわけにはいきません」
王女を病と断じて良いのか、セーラには疑問が残る。セーラは医者ではないのだ。だが、国王や周囲の人間が病と呼んで、それに異を唱える資格もまた持たない。
部屋を明るくして空気を入れ替え、遊びや興味のあることに重きを置いた生活に変えただけでほとんどの改善が見られたのなら、おそらくは気鬱。うつと診断されるほどではなかったのかもしれないが、それでも、あのままだったらどうなっていたかはわからなかった。
それに、まだまだ課題は多い。
「姫さまは、夜はまだお母さまを恋しく思ってうまく眠れない日もあります。やる気があっても上手に身体が動かせない日も。それほど、お母さまを亡くされて深く傷ついているんです。侍女の皆さんも、少しでも姫さまの悲しみを癒そうと全力を尽くしています。ですが、時間が経つことでしか解決できないこともあります。ですから、しばらくはお勉強を優先するより、子供らしく楽しく毎日を過ごして、心を癒やすことを優先してあげてほしいんです」
ヴァイセンを通して、しばらくは王女の帝王学とやらは中断してくれと訴えてはいた。しかし、臣下もいるこの場で改めてセーラの口からも頼んでおきたかった。
セーラは王女の健康回復を任されている身なので、今は立場を大いに利用させてもらおうと思ったのだ。
諸侯たちの反応はさまざまだった。
相変わらず「怪しげな小娘が」と、内容はともかくとにかく口出しされるのを嫌う頭の硬い老人から、「姫さまの健康が第一ですからな」と周囲の者と囁き合ってうなずく物腰の柔らかそうな者もいる。
しかしはっきりとセーラに異を唱えたのは、そうした臣下たちや国王本人ではなく、どういうわけか占者・エルストラだった。
「なにを仰るやら。私の召喚魔法が成功したのだから姫さまは治ったのでしょう。注目を失うのが怖い気持ちに理解は示しますが、これ以上妙なことを言って姫さまの健やかな成長の足を引っ張るのはおやめなさい」
――なにを言ってるんだ、こいつは?
本気で理解できなくて、不快感を覚える前に眉をひそめるしかできなかった。
「姫さまが健康を取り戻されたかどうかより、自分の召喚魔法が成功したかどうかしか気に留めず、注目を失いたくなくて必死なのはあなたのほうでは?」
「んな……」
「わたしを召喚したから姫さまは治ったのではなく、召喚したわたしに助けを求め、わたしがそれに応えてやったことが姫さまのご回復の一助になったに過ぎないんですよ。占者さんこそ、なんのためにわたしを喚び出したんですか? 生贄にするためですか? でしたら、喚び出したわたしに陛下が「姫を助けよ」なんて仰りませんよね」
「…………」
「召喚したことがそのまま姫さまの回復に直結するのなら、わたしがここに現れた時点で姫さまはすっきりと元気になってなきゃいけないんです。でも、あなたがたはわたしに助けを求めた。わたしを召喚したから姫さまの状態が良くなった。それは確かに因果としてはつながっていますが、姫さまに直接働きかけたのは、わたしの言葉に耳を傾けてくださったヴァイセンさま、姫さまのそばで支えてくださったラティーヤさん、そして侍女の皆さん、わたしの言うままに食事を用意してくださった厨房の皆さんです」
押し黙ったエルストラに代わり、国王がうなずいた。
「そうだな。――諸侯も思惑はさまざまあるだろうが、私はまずなによりも、ヤスミーンが健やかに過ごせるようになることを願っている。先日メスフィーン大公とも会談を設けたが、大公もヤスミーンの健康をなによりも心配しておられた。すべての病は一朝一夕に良くなるものではない。今現在、セーラが力を尽くしてくれているのはジュラーク公爵より聞いておる。まだ改善の余地があるのなら、引き続き姫の助けになってくれ」
「あ、待ってください。そのことなんですけど」
そら来た。
セーラはここぞとばかりに声を張り上げた。
今日はそのセリフを覆したくてここにやって来たようなものなのだ。
「姫さまが元気を取り戻せる方法は示しました。他の皆さんも姫さまのために積極的に動いてくださっています。わたしが直接なにかをする必要はもうないんです。ですので、もとの世界に――」
「セーラ殿!」
視界の隅から黒い塊がすっ飛んできたかと思うと、あっという間に口をふさがれた。それどころか、抗いようのない強い力に引き倒される。
頭から床に激突する――と思ったが、しかしやさしく抱き留める腕があって、衝突は免れた。
「ああ、どうなされた。急に具合が? 今朝もあまり顔色が良くなかったな」
ヴァイセンだ。突然何事かとセーラは目線だけで彼を見やったが、しかし口はふさがれたままだ。身体の自由も利かない。セーラには抱き留められているようにしか思えないのだが、どういうわけか、四肢のひとつも動かせなかった。
――これ、めちゃめちゃ拘束されてません?
抗議をしようにもなにもできず、ただ視線だけで訴えるしかない。だが、ヴァイセンは深海の目を憐憫に染め、慌てたように段上の国王を振り仰いだ。
「陛下、セーラ殿は体調を崩されたようです。今朝から調子が悪かったようで……。申し訳ありませんが、これにて下がらせていただきたく」
「おお、そうか。それは具合の悪いところ呼び出してすまなかった。まだセーラの力は必要だ。よく身体を休め、これからも姫のために尽力してほしい」
「承知しております。セーラ殿にも伝えておきます」
――いやいや待って、わたし別にどこも具合なんて悪くないんですけど――!? ていうか、ヴァイセンさま、ドサクサに紛れて布でわたしの口ふさいでません!? あっ、そんな、歩けますから抱き上げないでください!
セーラの必死の抵抗も虚しく、口を布でふさがれた挙げ句、ひょいと横抱きにされた。
ヴァイセンはそのままスタコラと広間を後にする。
セーラだって成人女性の平均的な体重はあるのだが、まるで人間ひとりを抱えているとは思えない、実に機敏な動作だ。さすがは軍人――などと、感心している場合ではない。
――ちょっと待って! 国王に直接とっとともとの世界に返せって訴えたほうが良い資料も集まるかもしれないじゃん!! ヴァイセンさま! ちょっと!! ……ちくしょう! これで長期無断欠勤で職を失ったらヴァイセンさまに責任取ってもらうからね!!
んー! とくぐもった声で叫ぶセーラの奇妙な叫びが聞こえたはずだが、しかし広間にいた国王、そして臣下の誰も、退室していくヴァイセンを止めなかった。
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