30.受け入れられていない世界は居心地が悪い

 ジュラーク公爵家の屋敷に連れ帰られて、セーラはようやく拘束を解かれたのだった。


「一体なにするんですか! ヴァイセンさま!」

「なにを仕出かそうとしたのか問いたいのはこちらだ」


 呆れ混じりのヴァイセンにセーラは一瞬怯んだ。

 これまでずっとセーラに対して紳士的だった彼が、敵意ほどではないにしろ非難するような目を向けたのだ。

 自分はどうやら、ヴァイセンが強硬手段に出るようなことを仕出かしてしまったらしいと想像はついていたものの、実際そういう態度を取られると思った以上に衝撃を受けた。


 しかしここで怯むわけにはいかない。もとの世界に帰るための確率を一パーセントでも上げたかったのだ。


「陛下に、もとの世界に返してほしいって頼もうとしたんですよ」

「送還魔法の不確実さについては話しただろう。確実にあなたの故郷に送り届けられると証明できるものが見つかるまでは帰せない」

「ヴァイセンさまたちが毎日資料を探してくれてるのも知ってますけど、それこそ国王陛下本人に言ったほうがもっと早く確実な方法が見つかるかもしれないじゃないですか。あの場にはわたしをここへ喚び出した張本人もいるんです。彼自身の腕は信用ならなくても、送還魔法に関する情報を知ってるかもしれないじゃないですか」

「不特定多数が見聞きしている場で不用意な発言はするな。酷なこと言うが、あなたの存在はほとんどの人間に望まれていない。諸侯たちの中には、あなたが殿下の健康を取り戻すために努めた功績をいまだ認めず、問答無用で王宮から追い出せと言う者もいるんだぞ」

「誰もわたしのことを歓迎していないことくらいわかってますよ。ですから早くもとの世界に帰る方法を……」

「不確実な方法で、ここでもない、あなたの故郷でもない場所に飛ばされそうになっても同じことが言えるか?」


 セーラは目を瞠る。

 そうではない。国王に求めようとしたのは、送還魔法の使用ではなく、確実に日本へ返してくれる方法を探すこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、だ。


「わたしは、送還魔法を今すぐやってくれと言おうとしたわけではありません」

「陛下は話をわかってくださるだろう。だが、あの場であなたの発言を聞いていた諸侯たちにはそう取られる・・・・・・、という話をしているのだ。あなたが早くもとの世界に帰せと言う。諸侯は、それはそうだ、用が済んだのなら早く帰してやらねば可哀想だ、などと話を合わせてくるだろう。とっとといなくなってもらいたいからな。そうなったら問答無用で送還魔法を試そうとするぞ」

「それは詭弁ですよ。わたしはちゃんと……」

「あなたが正しく送還魔法の確実性を証明してから帰せ、などと言ったところで聞くような連中ではない。早く帰せと言った部分だけを言質に取って利用されるんだ」

「……でも」


 ヴァイセンは毎日、多忙の合間を縫ってセーラをもとの世界に帰すために調べてくれている。ヴァイセンだけでは人手が足りないから、ジュラーク家の優秀な使用人たちや、ヴァイセンの率いるベルディン騎士団の団員に協力を仰いでいる。

 後宮のほうでは、王女つきの侍女であるラティーヤと、セーラに良くしてくれる他の侍女たちも一丸となって送還魔法について調べてくれているのだ。


 だが、その成果は芳しくない。

 セーラは少々焦っていた。

 もうこちらに来てから一ヶ月以上が経とうとしている。その間、王女はみるみるうちに元気を取り戻し、来週には王宮の外へ公務をしに行く予定も立てられた。


 国王へ報告した、王女はまだ回復の途上にあるという言葉は嘘ではない。

 昼間は元気でも、夜になるとぐずる日もある。明日はなにをするのだと元気に話していて、しかし翌朝になって急に母親を求めて泣き濡れる日もある。 

 まだまだ不安定で、だからセーラはまだ、周囲からは王女の健康回復の役割を求められるだろう。

 しかし、それが終わる日も近い。セーラがこの世界にとって必要とされなくなる日はすぐそこに迫っている。

 そうなったとき、もとの世界にきちんと帰れるかどうか不確定だからとここに居残ったとして、一体どんな顔をして過ごせば良いのだろうか。


 ――今だって、これほどまでにわたしを排除しようとする人間は多いのに。

 

 受け入れられないのは仕方がないと思う。自分だって、突然〝異世界から来ました〟などと主張する人間が、自国の大切な王女のそばに四六時中張り付いて、侍女たちに指示を出し、高貴な公爵家の人間の後ろ盾を得ていたら、良い気持ちはしないだろう。

 セーラはここにはいてはいけないのだ。だからこそ早く帰る術がほしい。けれど、一番その可能性のある人を頼ってはいけないと言われたら、もうどうしたら良いかわからなかった。


 この不安をどう説明したら伝わるだろうか。

 セーラが言葉をなくしていると、ヴァイセンがすっと跪く。背の高い彼が椅子に座ったセーラを見上げると、明かりを受けた彼の深海の目に、情けない顔をした自身が映っているのが見えた。


「間違いなくあなたの世界に送還できるかどうか、今私が調べている。――もう少し時間をくれないか」

「ヴァイセンさまを疑ってるわけじゃないんです。他の方も頑張ってくださってるのも知ってます。ただ、時間を掛けて調べている暇もないじゃないですか。ヴァイセンさまが言うように、わたしを一刻も早くこの世界から追い出したい人のほうが多いんです。呑気に留まってる場合じゃないんですよ」

「あなたに良い感情を抱いていない人間が多いのは事実だ。それは偽っても仕方がない。だが、私ならそれらからあなたを守れる。殿下が無事に回復し、あなたの力を必要としなくなっても、あなたが確実に帰れる方法が見つかるまでここに留まって良いんだ。安全にこの国で暮らしていけるよう、私が尽力する。……だから早まった真似はしないでくれ」


 セーラを見上げる白皙の面差しが僅かに紅潮する。それほどまでに切な訴えに、セーラは反駁しようと口を開き、しかし閉ざした。

 ――あなたがそうしてわたしに尽くすことで、あなたの立場が悪くなってしまうのが嫌なんです――とは、どうしても口にできなかった。


 セーラまでもがヴァイセンの心遣いを突っぱねてしまったら、それでヴァイセンが本当にセーラの後ろ盾になることをやめてしまったら、それこそセーラはこの世界で行きていけなくなるからだ。

 結局、セーラはヴァイセンを利用している。彼のやさしさの上に胡座をかいて、自分の居場所を確保しようとしている。そんな自分が浅ましく思えて嫌気が差すのに、だからといって彼の手助けを跳ね除けて自立する勇気もない自分が情けなく思えて仕方がなかった。


 気まずい沈黙が落ちる。

 次にヴァイセンがどんな言葉を発しても、それが自分を断罪する刃にならないだろうかと気がおかしくなりそうだった。


 沈黙に耐えきれずに口を開いたその瞬間、しかしにわかに部屋の外が慌ただしくなった。


「団長!」

「俺はもう団長ではないと――アスター? なぜおまえが……」

「は。メイヴェルさんたちはお客さまのお出迎えでお忙しかったので、俺が伝令役になるしかなく……」


 部屋に飛び込んできたのは、ジュラーク公爵家の使用人ではなかった。

 ベルディン騎士団の現団長、アスター・ゼンデルである。

 ヴァイセンが団長を辞するまでは副団長として常にヴァイセンのそばに控え、彼の補佐役として、そして実力もハイデルラント王国に名を轟かせている人物だった。


 アスターはジュラーク公爵家とは関係がない。しかし騎士団員としてヴァイセンのそばについていた関係で、ジュラーク公爵家の使用人たちとは面識があった。

 その彼が焦った様子で屋敷内を駆けてきたのだから、ヴァイセンはもちろん、セーラも何事かと席を立った。


 アスターは膝を折り、息も整わないまま告げた。


「――パヴァナ姫がお越しになっています。至急、お出迎えの準備をお願いします、とメイヴェルさんからの伝言です。それから、セーラ殿は決して姫のお目に触れぬよう御身をお隠しくださいとのことです」

「――――」

「え……パ……どなたですか?」


 セーラの質問に答える者はなく、ただ抗いがたい力で背を押された。ヴァイセンだ。


「アスター、おまえはセーラ殿を頼む。裏から抜けて大広間の隣の使用人用倉庫へ。あそこなら間違ってもお祖母さまもお探しにはなるまい」


 ヴァイセンからアスターへと受け渡され、セーラは促されるままに部屋を出るしかなかった。

 なにか、とんでもないことが起こっている。それだけは確かだった。

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