27.異世界召喚に付随する影響

 王女ではなく国王本人に呼び出されたのは、王女の宮にすっかり通い慣れた頃だった。

 予定をねじ込まれたのは前夜のほぼ寝る直前である。まさか寝間着に着替えたところでそんな爆弾を投下されるとは思わなくて、今日は若干の寝不足だった。


 国王とは、会うのは二度目になる。

 召喚されたそのときに会ったきり、ヴァイセンや侍女たちの話から彼が超絶多忙であることは窺い知れたが、まさかこんなにも長期間放置されることになるとは思わなかった。

 それも、前夜に「明日会いに来い」とは。

 今どきワンマン社長でもそこまで横暴ではない。――いや、本物・・のパワハラワンマン社長なら当日予告無しで内線呼び出しをかけるか。それに比べれば、前夜にヴァイセンから先触れをもらえただけでもマシなのかもしれない。


 セーラはその日、睡眠不足と緊張を孕んだ青白い顔で内朝へと向かった。

 隣にはもちろん、ヴァイセンがついてくれている。ここのところ、彼はセーラに付き添うことなく忙しくしている様子だったのだが、さすがに国王への謁見はお目付け役としてついてきてくれるらしい。正直彼がいないと、また思いも寄らないところで死刑だとか唾を飛ばされる可能性も考えていたので、これには心底安堵した。


「セーラ殿。顔色が悪いが、大丈夫か?」

「お気遣いなく……。昨日寝る直前に知らされると思ってなくて、アドレナリンドバドバでちょっと眠れなかっただけなんで」


 出発する段になって部屋へ迎えに来たヴァイセンが一言、心配そうに首をかしげたものだから、すっかり顔なじみとなったセーラの世話係の使用人たちが大慌てで駆け寄ってきた。


「ですからセーラさま、もう少しお化粧しましょうとあれほど申しましたのに……」

「いえいえ、塗りたくったところで塗りたくったことに気づかれて同じなんですよ」


 化粧箱を持って心配そうにする女中メイドは、羨ましくなるくらいまっすぐな茶髪をきれいに束ねた、二十代半ばの女性だった。

 彼女の名前を、トゥーリーンという。


 そもそも彼女はジュラーク公爵家の女中であり、女性主人に仕えて身の回りを世話する侍女とは違う。しかし成り行きでセーラがジュラーク公爵家に居候することになったので、女中の中でも相性の良かった彼女がセーラの世話係として固定されているのだ。


 最初こそ怪しげな異邦人として警戒されたが、彼女もさすがは公爵家に仕える人である。初対面でも表向きは一応客人として受け入れてくれていたし、数日をともに過ごせば次第に余所余所しい態度も軟化し、現在ではすっかりセーラの人柄を受け入れてくれている。これほど頼もしい存在もなかった。

 年の頃も近いし、日々の装いや化粧などは、すべて彼女が選んでくれている。セーラが気に入ったこの国での食事や飲み物も把握していて、ちょっと一息、と思った絶妙なタイミングで差し出してくれる、実に頼りになる人だった。


 その彼女にも、今朝は起き抜けから顔色が悪いと心配され、急いで消化に良い朝食を提供してくれたし、化粧も念入りに整えてくれた。だが、まあ、このくらいの寝不足は会社員としてなら当たり前のことだし、こちらに来てから今日までの生活が少々イージーモードだっただけで、セーラにとっては大したことではないのだ。


 ――あんまり意識してなかったけど、こっちに来てから何気に睡眠時間増えてて肌ツヤめちゃめちゃ調子良かったもんな……。


 仕事を辞めると、多かれ少なかれ不調や悩み事から解放されるものである。――やはり労働は人生最大の敵。

 しみじみと感じ入りながら、それに、とセーラは続けた。


「もう三十も越えたいい大人がこんなひらひらのドレス着て頭にきらきらした飾り乗っけて、その上化粧まで盛りに盛ってもね……。いや、人さまがやる分にはなんとも思わないんですが、自分がやるとなるとちょっと気恥ずかしいと言いますか。ほどほどに落ち着いた雰囲気のほうが個人的には好みなんです」

「――え?」

「……三十?」

「ん?」


 今、すごく空気が凍ったような気がする。

 セーラがぱっと振り返ると、トゥーリーンもヴァイセンも理解ができないというような難しい顔をしていた。

 ――わたし、なにかしちゃいましたかね。


「セーラさまがなんでも謙遜なさる性格なのはもう十分に理解したつもりですけど、そんなに大げさにご年齢を偽る必要はありませんよ」

「年端も行かない子供が大人びて見られたがったり、四十路五十路の者が実年齢より若く見られたいとそれらしく外見をつくるのはわかるが、妙齢のあなたがなぜ三十歳を越えているなどと偽る必要が……?」

「え? いえ、あの、事実なので……」


 ものすごく理解できないという顔で迫られたが、理解してほしい。

 本当に事実でしかないのだ。

 セーラは今年で三十二になる。そろそろ入社して十年選手。会社では既に、若手ではなく中堅と呼ばれるようになっている。たまに学生時代の友人たちに会えば、誰かしらは役職の肩書が付いている頃なのだ。

 たとえ実年齢より若く見られたとしても、まさかそんな、大げさに偽っていると思われるほど童顔でもないはずだ。――ないはずなのだが。


「セーラさま、ご冗談を仰りたいならまずは鏡を見てから言ってください。毎日鏡とは睨めっこしているはずですけども」

「んん……? 待ってください、わたしもちょっと、なんかこう」


 引っかかる節があることを、今になって思い出したのだ。

 トゥーリーンが持たせてくれた手鏡を、セーラは矯めつ眇めつじっくりと眺める。


 ――そう、違和感はあったのだ。

 たとえば、最近、化粧ノリが良いなとずっと思っていたこととか。

 たとえば、王女と外でよく遊んだ日の翌日、思ったより身体が軽くて「最近ちょっと体力ついたかも?」なんて思っていたこととか。

 たとえば、三十路を越えて諦めていた浮き輪肉や二の腕がちょっとスッキリしたかも、なんて嬉しく思っていたこととか。


 「いやー最近生活リズム変わったからなー」などと呑気に考えていたが、もしやあれは、生活習慣の問題ではなく、もっと根本的なこと――この世界に来て、肉体年齢が十歳ほど巻き戻っていたりするのではないだろうか。

 ない、とは言い切れないことである。なにせ、異世界に来てしまったのだ。現実にあり得ないことが既に起きていて、それに付随して肉体年齢が若返っていてもおかしくはない。なぜそうなったのかは、おそらく誰も説明できないだろうが。


「ちなみに、ヴァイセンさまとトゥーリーンさんから見て、わたしって何歳に見えます?」

「……女性の年齢を印象で答えろと男に要求するのは少々酷ではないか?」

「あっ、別に忖度を求めてるわけじゃないので! 忌憚なきご意見をぜひ! 大事な確認ですので正直に教えてください……!」


 心底難しい質問をされたとばかりに眉根を寄せたヴァイセンの横で、トゥーリーンは真面目な顔で答えた。


「十代後半……。ですが、私から見れば外国人ふうのお顔立ちでお若く見えますので、もしかしたら実年齢は二十歳前後なのかも、といった印象です」

「俺も同じだ」

「マジかぁ……」


 ふたりともにそう見られているのなら、おそらくセーラの予想は確定である。

 こちらにやって来たときに、肉体年齢も十歳ほど若返っているのだ。


 ――ていうか、ほぼ成長期を終えた二十歳の頃の顔と三十を過ぎた今の顔なんて、証明写真でもよくよく見比べなきゃわかりゃしないよ!

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