26.歌と物語は万国共通のエンターテイメント

 ラティーヤは驚いたように目を瞠り、それからまずいことを口走ってしまったかと言わんばかりにおろおろと口元を押さえた。


「もしかして、これまでベルディン団長が何者であるかご存知ありませんでしたか……? あら、嫌だわ。もしかして団長は隠していらっしゃったのかしら……」

「や、たぶん、わたしが聞き漏らしていたか、聞いてなかっただけだと思います……」


 屋敷にまで招き入れておいて、身分を隠す理由はないだろう。

 それにしても、どうりであんなに立派な屋敷を持っていたわけだ。


 突然この世界に喚び出されたセーラには、この国の地理がわからない。だが、ここが王宮なのだから、今いるここがハイデルラントの首都、おそらくはその首都の中心なのだろう。東京でいえば皇居である。

 そして、ヴァイセンの屋敷はその近隣にあった。――つまり、千代田区民である。


 もちろん、近隣といっても、行き来には馬車を使う。

 それも、王女の宮――宮といっても、個人宅というより、図書館のようなだだっ広い二階建ての建物と、その周囲の憩いの場のような敷地丸々ひとつが、王女ひとりに与えられた〝宮〟である――の中に馬車が入ることはできないので、王宮の入口までを馬車で乗り付けて、そこから徒歩であちこちの建物を経由するのだが。


 ヴァイセンの屋敷は、そうしたいくつもの建物が渡り廊下でつながっていたりするわけではないが、それでも、王宮に見劣りしない立派な建物だった。三階建てで、広さは学校の校舎一棟分ほどだろうか。個人の邸宅とは思えない広さがあるのだが、それほどの規模の個人宅が、王宮から馬車で数分もしない距離にあるのだ。


 ヴァイセンは、セーラの死刑にも介入し、直接国王に取り消しを要求できる身分だった。数日をともに過ごすだけでも、貴族の中でも地位のある人なのだろうとは推察できていたが、まさか公爵とは。

 ヴァイセン・ジュラーク公爵その人であり、屋敷でも〝旦那さま〟と呼ばれていたところを見るに、現当主で間違いない。あれほどの若さで既に爵位を継いでいるのは、おそらく親世代以上になんらかのトラブルがあったのだろう。だからセーラには詳細に名乗らなかったのかもしれない。


 ――というより、言ってもわからないだろうと思われてたか、わたしを預かるのに身分の話は重要じゃないから後回しにされてただけでしょ。


 とはいえ、驚愕度合いは半端ではなかった。


「ということは、ヴァイセンさまが昨日おっしゃってた〝十二の公爵家が抱える騎士団〟とか、〝ベルディン団長〟って呼ばれてるのも……」

「はい。国を守る騎士団として、十二の公爵家がそれぞれに騎士団を設立しているんです。その中で、ジュラーク公爵家が設立したものがベルディン騎士団といいます。代々公爵家の中で爵位継承権のない方が団長をお務めになるのがふつうですが、ベルディン団長の場合は少々特殊な事情があって、公爵位とベルディン騎士団長を兼任しておられます」


 ――騎士団長とかカッコイイ。

 謎の笑みが零れそうになり、セーラはぐっと歯を食いしばった。ふひゅ、と変な音が漏れてしまう。


 しかし、彼は王女の護衛兵だと言っていた。ベルディン騎士団の中に王女の護衛をする任務があるのだろうか。だとしたら、領地の自治と、騎士団の指揮や運営と、王女の護衛の仕事があることになる。

 とても突然やってきただけの異邦人に使っている暇はない。その多忙を押してでもセーラのためにわざわざ時間を作ってくれたのだ。――この人暇なのかなとか思って本当に申し訳なかった。あとで会えたら謝っておこう、と心に決める。


「ねえ、ラティーヤ、セーラ。おはなしはまだつづきますか?」


 不意に幼い声が割って入って、はたと我に返る。

 そういえば、王女の保育――他にどう表現して良いのかわからないので、ひとまず保育とする――をするために呼ばれたのだった。


「申し訳ありません、姫さま。私がセーラさまを独り占めしてしまうのは良くありませんでしたね」

「すみません。ええと、今日は歌でしたね」

「そうよ。昨日のおうたをおしえて。それから、昨夜とちゅうだったおはなしを、もういちどききたいの」


 大人の――それも彼女にとっては身分が下の大人の――会話に余計な口を挟まず、けれどもさり気なく意識を引き戻す。

 気の遣い方が大人のそれである。言葉遣いひとつをとってもそうだが、この王女はやっぱりあまりにもできた・・・王女だった。


 王女たるもの、どれだけ幼くともふつうの子供らしくはいられないのだろうが、それでも若干心配になった。

 まだ甘えたい盛りの子供が母親を亡くし、その悲しみに浸ってゆっくりと昇華する時間も与えられず、周囲の大人に対しても責任ある立場の者として振る舞おうとしている。彼女の子供らしい心は、一体どうしたら安らぐのだろうか。


「今日は昨日の歌も歌いますが、新しい歌を披露してもよろしいですか?」


 少々不安に思いながらも、セーラはいてもたってもいられず自ら提案していた。

 途端に王女の青灰色の目が輝く。


「ちがうお歌もあるの? またたのしいお歌?」

「ええ。昨夜、姫さまに人魚姫のお話をしましたでしょう。あの物語には、実は作中で歌を歌う登場人物がいるんです。人魚姫は父王や周りの人の反対を振り切ってまで地上を夢見て人間になりたがっていましたが、そんな人魚姫に海の世界のほうが素晴らしいのだから、地上に行くことはないじゃないか、と引き止める歌なんです。とても愉快で楽しい歌ですよ」

「ききたいわ! うたってうたって! おはなしのつづきもききたいの」

「お時間の許す限りお付き合いしましょう」


 今日は昨日ほど抵抗はない。なにせ、午前中はずっとハープで弾き語りの練習をしていたのだ。

 昨日披露した〝世界中の人々と仲良くする歌〟もそうだが、もしかしてこうなるのではないかと思って、あのカニ――ロブスターとしか思えないあの・・カニだ――の、海の世界の素晴らしさを伝える陽気で有名な一曲も練習しておいた。


 傍に控えていたメイヴェルから拍手をもらう程度には上達したので、今日は戸惑うこともないだろう。メイヴェルの拍手はお世辞だったにせよ、だ。


 果たして、セーラの二度目の弾き語りの成果はまずまずだったのではないだろうか、と思える程度には誤魔化せた。

 本当は多少音を外したり、ハープの手が止まってしまったりとアクシデントもあったが、それでも聴衆は一応の拍手でもって歓迎してくれたのである。――聴衆といっても、王女とラティーヤしかいなかったが。


 特に物語に歌を組み合わせた形式は、王女の興味を大いに引いたようだった。他にもいくつもリクエストされたが、そこは上手いこと誤魔化して明日以降の課題にさせてもらう。


 ――もっと即興に強ければあれもこれも応えて姫さまの元気ももっと取り戻せたかもしれないんだけどね。なにせお役目を任されたのがわたしみたいな無能だったもので、ほんとすみません、姫さま、ヴァイセンさま……。


「もっといっぱいおはなしがききたいわ! ねえ、セーラの国にはほかにはどんなおはなしがあるの?」

「たくさんありますよ。楽しいお話、素敵な恋のお話、やさしい心を大切にするお話……。ですが、それはまた今夜のお楽しみにしましょうか。いっぺんにお話してしまったら楽しみが減ってしまいますからね」

「ええ、いいわ。今夜ね。たのしみにしているわ!」


 練習はしても素人の覚束なさや必死さは拭えなかったが、今はとりあえず、王女の口から「夜が楽しみだ」と引き出せたことで良しとしてほしい。

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