23.ラティーヤ・サラソワ

「改めまして、ラティーヤ・サラソワと申します。昼間はご挨拶もできずにすみません」

「セーラ・ミナカミです。こちらこそバタバタしてしまって……」


 白髪をゆるくひとつにまとめた、独特な顔立ちをしたラティーヤが、まっすぐにセーラを見つめる。そうしてから右手を自身の胸に当て、軽く膝を折った。ここでの挨拶の仕方らしいが、一瞬の出来事だ。セーラにはできない。

 代わりに、セーラは慣れたお辞儀で返した。ラティーヤは不思議そうな顔をしたが、しかし追及されることはなかった。


 王女の部屋の隣、主に侍女たちが使うらしい部屋に通され、ふたりは向かい合って椅子に腰掛ける。

 セーラはこれまでの王女の状態や今後王女と侍女たちがどうして行きたいのかを尋ねたかったし、ラティーヤもセーラにはいろいろと聞きたいことがあるだろう。


 ヴァイセンはふたりを引き合わせると、足早に立ち去っていく。同席してくれるのではないのかとセーラが狼狽えると、ラティーヤはほんのりと微笑んだ。


「ベルディン団長……いえ、ジュラーク卿は、現在はヤスミーンさまの護衛兵でいらっしゃるので、おそばを離れるわけには参りませんから」

「昨日の夜から昼間まではお屋敷にいましたけど……」

「それはセーラさまのためですわ。セーラさまは昨日の朝に召喚され、一度は投獄されたとか。それをベルディン団長の一存でふたたびヤスミーンさまのお医者さまとして徴用されたと聞いております。ですので、セーラさまをお世話する責任はベルディン団長にありますから、一度ヤスミーンさまのおそばを離れて、あなたにこちらのことを説明するためにご一緒されていたのだと思います」

「気を遣っていただいてたんですね……! わたしったら気づかずに……」


 セーラは思わず顔をムギュッと寄せた。

 この人暇なんだな、などと思って大変申し訳なかった。

 額をぴしゃりと打つと、ラティーヤは「お気になさることはありませんよ」と慰めてくれた。説明上手な上に気遣いも完璧でやさしい人だ。


「私は亡き王妃さま付きの侍女でございます。王妃さま――アディリマさまとヤスミーンさまのことはどこまでご存知でしょうか?」

「王妃さまのお名前と、半年前に残念ながらお亡くなりになったこと、この国の南方の島国からいらっしゃったことはヴァイセンさまから聞いています。ラティーヤさんも、王妃さまの故郷から唯一ついていらっしゃった侍女さんだとか。なので王妃さまと懇意にされていたのだと推察しています。だから王女さま――ヤスミーンさまとお呼びするべきでしょうか――も大変ラティーヤさんには心を開いているのかなと」


 ラティーヤは穏やかにうなずいた。


「僭越ながら、妃殿下ご存命の折には、わたしが筆頭侍女としてお側に仕えさせていただいておりました。ですので姫さまにとっても一番近しい侍女であったと思います」

「やっぱりそうでしたか」

「姫さまは、親しくされたいお相手にはお名前で呼ぶようにとおっしゃります。きっと、セーラさまにもお名前でお呼びいただくことをお望みだと思いますが、ご本人よりそのお話があるまではどうか〝姫さま〟とお呼びになってくださいませ。他の侍女たちにあまり良い顔をされませんから……」

「ああ、そういうことでしたら、もちろんこちらの方々の方針に従います」

「姫さまのことも私のこともそこまでご存知でしたら、改めて私の素性をお話することもございませんね。ご覧の通りこの国の出身ではありませんから、みなさん初めて私と話をする際には言葉が通じるのかどうか、どこの国の人間なのか戸惑われるので……」

「それを言い出すと、わたしのほうが圧倒的に異邦人ですからねえ。――そう、昼にラティーヤさんと初めてお会いしたとき、ヤスミーンさまと雰囲気が似てるなと思ったんです。それをヴァイセンさまにお尋ねしたら、ラティーヤさんは王妃さまと同郷の方でいらっしゃるから、王妃さまの血を受け継いでおられる姫さまともお顔立ちの雰囲気が似ているのだろうと聞きまして」


 セーラはひとつ口をつぐみ、それから言葉を選びながら率直な気持ちを吐露する。


「昨日ヴァイセンさまから姫さまのことをお願いされたときは、まさかラティーヤさんのような、姫さまが心を開かれている侍女さんがいらっしゃると思わなかったんです。だからずいぶん出しゃばった真似をしてしまったなと思いまして……」


 ラティーヤはけぶるような睫毛に縁取られた琥珀色の目を大きく瞠った。


「なにをおっしゃいます。セーラさまがいらっしゃらなければ、今夜も姫さまはあんなに安らかにはお眠りいただけなかったと思います。姫さまのお母上を亡くされた悲しみはよく理解しているつもりです。ですが、それでも私ではどうにもできませんでした」

「いえ、そんなことはないと思うんですけど……。むしろわたしは姫さまの生活改善にフォーカスしすぎて、悲しみにはあんまり寄り添えていないというか」


 セーラはラティーヤが手ずから入れてくれたお茶を一口含む。

 昼間、ヴァイセンの屋敷で飲んだものとはまた違う、麦茶のようなやさしい味わいがした。


「当たり前ですが、姫さまはわたしよりラティーヤさんを信用なさってるんです。だからラティーヤさんには甘えてわがままをおっしゃったりするんだと思うんですよね。その代わり、わたしはまだ客人と言いますか、医者みたいな扱いなので、ひとまず言うことを聞かなきゃと思われていると。それはそれで、わたしの言葉に集中しているうちに不眠の不安を忘れてくださるので今は成功しています。が、本音を言うなら、一時的にそばにいるだけのわたしではなく、ラティーヤさんや他の侍女さんたちのように生涯姫さまのおそばにいらっしゃる方々のもとで健やかにお過ごしいただくのがベストかと思うんです」

「ええ、ですが、姫さまはセーラさまも信頼なさっていると思いますよ。私は五ヶ月前にお暇をいただいた身でしたので最近までの姫さまのご様子は存じ上げなかったんですが、ああもお痩せになったお姿を見るに……他の侍女たちではもうどうしようもなかったのだと推察します。姫さまも大変真面目でおやさしい方ですから、侍女たちの言葉はなるべく受け入れようとなさったのでしょう。ですが、悪化する一方だった。そこへ、新しい気風をお持ちになったセーラさまがいらっしゃって、実際に姫さま自身が困っておられた不眠の問題を二日続けて解決なさった。セーラさまがそばにいてくださったから眠れた、という姫さまの期待は大きいと思います」

「そう……だと良いんですが。……というか、お暇されてたんですか? 王妃さまがお亡くなりになったから故郷へ戻られるつもりだったとか?」


 セーラが首をかしげると、ラティーヤは細い眉を下げ、言いにくそうにした。


「お恥ずかしい話ですが、解雇されていたのです。妃殿下がお亡くなりになった際、喪に服すとして姫さまの宮はすべてを外界からふさぎ、布で覆って光も空気も通らないようにされていました。それがハイデルラント王国の〝喪に服す〟文化なのです」

「ああ、わたしが最初に見たときもそうでした。あれは姫さまの精神衛生上大変に、そりゃもうめちゃくちゃよろしくないので、今朝は窓を開けてもらったんですが」


 ラティーヤは目を瞠る。それから琥珀色の目を潤ませて身を乗り出した。


「そうだったのですか。セーラさまが……。ありがとうございます。私は田舎者でして、ハイデルラントの風習を存じなかったのです。ですのでセーラさまと同じように、ただでさえ姫さまが悲しみに暮れているときに部屋を暗くして風も通さず鬱屈とした環境を作ることは逆効果ではないかと奏上して……それで陛下の不興を買い、解雇されておりました。ですが昨日セーラさまがいらっしゃって、ベルディン団長も私の解雇を取り消すよう働きかけてくださって、こうして戻って来られた次第です」

「なるほど……。それは大変でしたね。わたしとしてもラティーヤさんが戻ってきてくださってありがたく思ってます。姫さまが元気になるには、やっぱりひとりでも多く姫さまが信頼できる大人がそばにいることが肝要だと思います。それから、姫さまが楽しいと思えることについて、趣味や特技などラティーヤさんからも教えていただかないとなりませんし」

「ええ。私にできることでしたらなんでもご協力いたします。今はただ、姫さまがまた安らかにお過ごしいただけるようにすることが一番かと思いますので」

「そうですね。他の侍女さんたちは姫さまのご予定……っていうんですか。お勉強がままならないことが気になってるようだったんですが、それは一旦置いておいてほしいんですよね。ひとまず、悩まずに睡眠と食事が取れるようになるまでは、姫さまのお体の回復にだけ全力を注いでほしいんです。……とは思うんですが、それってやっぱり難しいんですかね?」


 セーラには、ハイデルラント王家の細かな事情まではわからない。

 王女が今すぐに国を統べる者として立てるようにならなければいけないのか、まだ猶予はあるのか、そういったことも理解できていない。それこそ部外者なのだ。おいそれと口出ししてはいけないような気がする。


 そうした部分の知識をラティーヤに授けてもらえればと思って尋ねると、彼女は力強くうなずいてくれたのである。


「教育に関しては、もちろん王女のご身分としては必要なものではありますが、なにも今すぐ急いでやらねばならないものでもありません。私からも、姫さまのお体の回復を最優先にできるよう陛下に奏上してみます」

「そうしていただけるとありがたいです。今の姫さまには、とにかく、しっかり身体を休めることと毎日楽しく過ごすことを習慣づけて、お母さまを亡くされた悲しみを少しでも癒やしていただきたいんです」


 私も同じ気持ちです、とラティーヤはしっかりとうなずき、セーラの手を握った。

 その熱意には少々驚かされたが、しかし、志を同じくしてくれる人がいるのは心強い。


 ――明日からにでもすぐにできることを考えておこう。できれば歌以外。


 セーラもまた気持ちを改め、王女の宮を辞してヴァイセンの屋敷へと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る