20.異世界から来た娘

「セーラ殿?」


 急に押し黙ってしまった眼前の娘に声を掛けると、黒い大きな目がぱちくりと瞬いた。


「はい?」

「いや……。やはりなにか思うところがあったのかと。遠慮せずに言ってほしい。あなたに大役を任せたのは私のようなものだし、こちらで暮らしていくために必要なものはできる限り用意する」

「ああ、いえ。大丈夫です。ちょっと考えごとをしてただけで」

「そうか?」


 セーラがこちらに気を払っていないのを見て取って、ヴァイセンはじっくりと彼女を見つめた。


 最初に会話したときから思っていたが、ずいぶんと奇妙な娘だった。

 セーラというのは、どこの国の者とも例えようのない不思議な顔立ちをした、若い娘だった。


 髪の色も目の色も黒。そんな色合いを持つ人間はこのハイデルラントにもありふれているが、しかし顔の骨格は見慣れない。

 くっきりとした大きな目に、すっと整った鼻梁をしているが、凹凸が少なく、幼く見える。実に愛嬌のある顔立ちなのだ。

 とはいえ、おそらく年の頃合いは妙齢の女性である。二十には満たないだろう。だが、それにしては話した雰囲気や所作に妙に落ち着いた雰囲気がある。

 有り体に言えば、鈍感なのだ。


 これまで彼女の身に降り掛かった事象を思えば、もっと取り乱し、もっと感情的に振る舞っても仕方がないと思える。それくらい、これは彼女にとって異常事態のはずだ。

 だが、セーラは落ち着き払っている。否、内心では慌てたり焦っていたりいろいろとあるようだが、しかし、表に出さないだけの理性がある。――あるいは、焦るほど動きが鈍くなる性質たちか。


 ヴァイセンは首を振る。

 そうではないだろう、と思うのだ。

 彼女の振る舞いのどれも、冷静さがある。理知的で、ただ流されているだけのようには見えない。十代の若い娘の落ち着きようとはかけ離れているのだ。


 ――達観、開き直り……。そういう図太さはもっと年嵩の者に見られる態度だが。


 彼女を前にしていると、ときどき、年若い娘であることを忘れそうになる。

 十歳は年上の、経験豊富な人物を相手にしているような気にさせられるのだ。


 しかし一方で、年齢以上に不用心なところもある。

 たとえば、出された食事を躊躇なく口にするところだとか。

 約束を交わすとき、一応は自身の有利なように条件を提示してはみるものの、大前提としてこちらの誠実さを信用しているいまいち詰めの甘いところだとか。


 前者に関しては、貴族でなければ想像もしない部分かもしれない。

 出された食事に毒が入っているかもしれないことなど、平民が常日頃から気に留めることではない。セーラの出自や異世界での地位はわからないが、そういう可能性に脅かされる環境で育ったわけではないのだとしたら、おかしなところはない。


 後者はどうだろう。彼女の世界ではそれが当たり前だったのかもしれない、とはいえる。

 だが、ああもこちらが善人であることを前提に信用を向けられると、なんだかむず痒い気持ちにさせられるのだ。


 ――信用というより、こちらの地位や立場を考慮していない率直な態度が物珍しいのだろうな。


 ヴァイセンは自身の心理を解き、ほろ苦く笑った。

 自身がこの地位を得られているのは偶然に過ぎない。本来は絶対に納まることのなかった立場だ。かつての友人たちは目下の者になり、部下になり、自分よりよほどできた年配の者たちが恭しく傅く。

 過分な身分だ。だが、これ以外にどうしようもなかった。

 だからときどき、なんの肩書も持っていなかった時代が懐かしくなる。

 セーラに対して抱く、心のうちをやさしく撫でられるような感覚は、きっとこの郷愁なのだろう。


 そう、彼女は国王に対しても気安いかった。国王だけではなく、誰に対してもそうだ。あまり身分というものに頓着しない。だから丁寧な言い回しはするが、ときどき妙な敬語を使う。あまり使い慣れていないのだろうと見て取れた。

 一国の王に対してもそれだから、勢いで死刑などを言い渡されるのだ。しかし、それでもなんだか楽観的なようにも見えた。


 不思議なことに、言葉は通じる。話もわかる。

 彼女は自分にはなんの能力もないと謙遜するが、そんなことはない。非常に頭の回転の早い人だ。柔軟で、応用力がある。

 だからこそ、土壇場で王女に故郷の物語を聞かせ、気を引くことに成功しているのだ。

 だが、それだけだ。話せば話すほど認識させられる。セーラとは、あまりにもヴァイセンとは違う常識の中で生きている。


 異世界から来た人間だと言われても、最初は信じることが難しかった。だが、会話をしていればわかる。

 この人は、確かにヴァイセンの常識の及ばない場所からやってきたのだろうと認識せざるを得ない。

 ヴァイセンがそれほどに強烈な違和感を覚えるのだから、裏を返せば、彼女にとってここは暮らしにくいところだろう。


 そんな場所へ、彼女がもともと持っていた生活も仕事もなにもかも捨てさせられて喚び出されたのである。

 正直、セーラがヴァイセンの言葉をあんなに真面目に取り合ってくれるとは思わなかった。

 ヴァイセンは召喚魔法というもの自体を信じていなかったが、それで喚び出された彼女も、まともにこちらの要望を聞き入れてくれるとは思えなかったのだ。


 だが実際はどうだろう。

 突然幼い姫の病気を治せだなどと無理難題を押し付けられて、無茶苦茶な、と愚痴をこぼしながらも試行錯誤する姿は、嫌々やっているようには見えない。

 助けを求めれば自分にできることはないと言いながらも、懸命に考えて、できることをやろうとしてくれる。


 きっと、それがセーラという人間なのだ。

 見ず知らずの誰かのために一生懸命になれる。それが義務ではなくても、そこに義理がなかろうと、目の前で困っている人がいたら、自分のできる範囲で手を差し伸べようとしてくれる。

 おそらく、異世界の人間だから、なのではない――と思う。

 それこそが、彼女の特性なのだ。


 ――まったく、お人好しなのか素直なのか……。


 ありがたいが、少し危なっかしくもある。

 まだまだ彼女のことに関しては知らないことばかりだ。常識の違いから突拍子もないことをしでかす可能性はある。目が離せない。

 だが、彼女になら王女のことを任せても良いと思える。

 それはきっと、この人が地位や肩書を気にすることなく、ただの人間のひとりとして他者を見る目を持っているからなのだろう。

 相手をひとりの人間として接する。そこに下心や忖度はない。だからセーラと接していると、それが彼女のすべてなのだろうと自然と信じられる。こちらも等身大の自分を見せて、誠意を示さなければと思わせられる。


 セーラが喚ばれたことには意味があるのだろう。

 異世界など信じてもいなかったヴァイセンが批評できる立場ではないのだが、それでもこの人で良かったと思える。


 彼女にとってはいい迷惑かもしれない。

 だが今だけは、もう少しだけ力を貸してほしい。

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