19.もとの世界に帰らなければならない
「ちなみにつかぬことをお伺いしますが、王女さまのお母さまもまたお体が弱い方だったり?」
「ではないな」
「この国の風土病などはあったり……?」
「それもないな」
「……じゃあやっぱりど……」
と言いながら、セーラは口をつぐんだ。
つまり、そういうことである。
実に不穏な国だ。
国王は四十歳を越えた。まだまだ健康だが、現在、彼には世継ぎがひとりしかいない上、これからその望みをつないでいくはずだったふたり目の王妃もまた亡くなった。
これはただの不幸な事故では済まされない話だろう。
その上、下手を打てばメスフィーン公国との関係も悪化する。
安全保障をと送り出した娘が若くして死に、メスフィーン公国の領主はどう思うだろうか。
ハイデルラントとメスフィーンの関係に亀裂が入れば、必ずルベルツ王国は打って出てくる。その機を逃すほど悠長な国ではないからだ。
「今現在、陛下の抱える問題は多くある。ヤスミーンさまの体調のことはもちろんだが、それ以上に要になるのはメスフィーン公国との関係を維持することだ。そのために昼夜奔走なさっている。その隙にルベルツ王国になにをされるともわからない状態の上、国を空ければ今度はヤスミーンさまもどうなるかわからない」
「気が休まりませんね」
こういうのをなんと言うのだったか、セーラは頭の中で歴史の教科書を開く。
確か、内憂外患だったか。ともかく、あの国王は超多忙を極めているらしい。
そうしてただでさえあちこち忙しかったところへ、王女が命を狙われるまでもなく病がちになったら目も当てられない。
何より、待望の子どもとあって、国王は目に入れても痛くないほどかわいがっている。
だからあれほどに焦って、召喚魔法になど手を出したのだ。
最初、召喚魔法を試すとお達しがあったとき、側近たちの誰もが信じなかった。
あんなものはまやかしの類だと認識されていたし、そんなものが成功した例もない。
ついに国王まで正気を失いかけたかと悲観する者、どうせ口先だけなので気の済むまでやらせておけば良いと様子を見る者とさまざまだった。だがそうしている間にも、国王はどこかから怪しげな占者を連れてきて重用し、その上本当に召喚魔法を成功させてしまったのだ。
これには諸侯も黙らざるを得なかった。その上で、あの占者は何者かと議題は紛糾した。 同時に、召喚魔法によって喚び出されたセーラの話題も尽きない。
セーラは占者と共謀し、異世界から喚び出されたように見せかけたのではないか、と見る意見が大多数だった。
だが、現実に目の前で召喚魔法の成功を見た重鎮も数多くいる。自身が目にしたことを詐欺だのまやかしだのと断じるには慎重になったほうが良いと諌める者もいた。
セーラへ懐疑的な目線を向けられるのは、こういった理由があるからのようだった。
「ヤスミーンさまの回復を願っていたのは私も同じだ。藁にも縋る思いであなたを頼ったのは本当だが、セーラ殿がヤスミーンさまを回復させたら、ますますあの占者は国王の信も厚くなり、力を増す」
考えてみれば厄介なことになったかもしれない、とヴァイセンはつぶやく。
セーラは困惑することしかできない。
自分は言われるがままに、目にして思いついたことをやったまでだ。専門的な知識もなにもない。それは最初に何度も口にしたし、それを理由に何度も断ったが、結局、やらせたのは国王やヴァイセンだ。
今更、セーラにテコ入れしてもらったのはまずかったかもしれない、というような態度を取られても、どうしようもない。
「なんでわたしに託しちゃったんですか……」
「あなたの言っていたことが真っ当だったからだ」
ヴァイセンは「あなたに託したことは後悔していないぞ」と苦笑した。
「誰か、あの状況に異を唱える者が必要だった。暗い部屋は余計に気持ちを暗くさせるだとか、侍女が寄って集って四歳の子供に大人の振る舞いを求めるなだとか、私も指摘した。だが、あの異様な環境の中では侍女たちももう正気ではなかったから、内部の人間がなにを言っても聞かなかったんだ。あの宮を初めて目にした無関係の人間で、なおかつ侍女たちが従わざるを得ない力を持った人物が、侍女たちに状況を変えろと言うこと。これが肝要だった」
セーラはその条件に見事に当てはまったというわけだ。
まったくの別の場所から来た人物で、真っ先に王女の宮の異様さを指摘し、国王が王女の体調改善のために連れてきた、いわば国王その人に立場を任された人間。
ヴァイセンはセーラを見たとき、救いを見た気持ちになった、と言った。
王女の状況が異常だと思っていたのは、自分だけではなかったのだと。正気を肯定された心地になって、だから頼ってしまった。
同時に、ヴァイセンが常々思っていたことをそのまま言葉にして死刑を言い渡されたセーラを不憫に思った。
自分の姿と重ねたのだ。これで本当に刑が執行されたら、ヴァイセンの思想も死刑に値することになる。それは受け入れがたかった。
ヴァイセンはぽつぽつと心情を吐露し、それから頭を下げた。
「だから、結果的には私の私利私欲であなたを利用したのだ。すまなかった」
「いや、謝られることではないですよ。実際それで死刑を免れたんだし。助かったのは本当です」
律儀な人だな、と思う。
内心どう思っていたかなんて、口にしなければわからないだろうに。それでも彼は、まっすぐな献身でセーラを、王女を救ったわけではないと悔やみ、素直に謝罪した。
「わたしは特になにか確信を持ってアドバイスできたわけじゃないし、その場しのぎにやったことがたまたま良いほうに作用しただけなんです。今は王女さまも持ち直したように見えていますが、たぶん、まだ本当にすっきり治ったわけじゃないと思います。そこはこれからも注意して見ていかないといけません」
四歳の子供が、大好きな母親を亡くして半年で立ち直れるわけがない。
きっと、これからも心の調子を崩す日はたくさんあるだろう。そのときに本当に王女に寄り添って少しずつ支えていけるのは、側付きのヴァイセンやラティーヤ、そしてあの侍女たちだけである。
セーラはただ、一時的にこの場にいるだけだ。
生涯をかけて王女を支えていくことなど、とてもできやしない。セーラにはセーラの生きるべき場所があるからだ。
そう、もとの世界こそ
いや、これからどうにかしていけば良い。なんでもいい。興味のあることで資格を取ったりして、手に職をつけて……それで?
――お母さんが言っていた通りだと認める?
心臓が冷たいものにさらされたような気がした。
星羅は母親の言いなりになるのが嫌で、母親の言いなりになったって大した人生にはならないと決めて、親元を離れて自由に生きようと決めたのではなかっただろうか。
その決定こそが、星羅が母親に支配されていた人生の中で唯一、
――昔みたいに手当たり次第資格を取ったり習いごとをやってみたりして、才能がないとわかったらすぐにやめて、その繰り返しで何が得られる?
――そうしていれば、わたしに合ったなにかを見つけられる?
――それとも、もとの世界に帰ってからも、またいつもと変わらない、なににもなれない、なんの力もない、ただ流されるままに生きる人生を送ったほうが良い?
――そもそも、わたしがあの世界からいなくなったとして、なにが変わるんだろう。別に誰かに求められた人生でもなくて、誰も代わりになれない特別な力もなくて……。
――もう実家も離れて長いんだ。最初は頻繁に連絡を寄越したお母さんも、最近はもう諦めたみたいに音沙汰もなくって……。
――お母さんは、わたしがいなくなったとしたら、どう思うだろう。
その答えを知りたいような、しかし希望の持てる想像がまったくできない。
セーラはにわかに目の前が真っ暗になってしまったような気がした。
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