16.異世界だろうとそれぞれ事情がある
王女からの招集がかからないのを良いことに、午後のほとんどをヴァイセンに質問しまくって過ごした。
ヴァイセンも、よく飽きずにセーラの頓珍漢で非常識な質問に付き合ってくれるものだと感心する。
――もしやこの人、実はめちゃくちゃ暇な人なのでは?
有能な人は多忙、というのもセーラの常識に過ぎない可能性もある。
封建社会時代のお貴族さま方がどういう暮らしをしていたかは知らないが、現代でも、富豪と言われる財閥や企業トップの二代目ばボンクラなどと言われることもあるくらいだし、金持ちほど仕事をしないものなのかもしれない。
――いや、あれは貴族=金持ち=労働者のトップがごっちゃになってるだけで、本物の貴族は労働をしないことこそが貴族を貴族たらしめるものだから、また考え方がちょっと違うか。
セーラが知っている限りだと、有名なイギリスのテレビドラマシリーズで、伯爵夫人が「週末ってなに?」とのたまうセリフがあるくらいだ。
そう、週末の概念もないのである。なぜなら労働という概念がないからだ。
イギリスは階級社会で、特権階級は労働階級とは完全に一線を画している。
貴族は言わずもがな、特権階級である。それ以外に
実際には、領民からの税徴収で暮らしていく代わりに、その領民が快適に暮らせるよう自然災害から守る仕組みを作ったり、外部からの侵略に備えたり、領民同士の諍いを治めたりしていたはずだ。
つまりやっていることは小さな領土の政治であって、仕事は尽きなかったと想像がつく。
この世界における貴族がどういう立ち位置なのかはわからないが、現状知っている限りの貴族はヴァイセンしかいない。その彼が暇そうに丸一日をセーラに付き合っているところを見ると、どうにも暇を持て余しているのではないかと思えるわけだ。
とはいえ、それでセーラが助かっているのも事実である。
これでかつての上司よろしく「王女の面倒見といて。仕様書? そんなもんないけど、女ならできるでしょ?」だけで放り出されたとしたら、確実に発狂していた。
その点、やっぱりヴァイセンはよくできた上司だと再認識できる。――いや、上司ではないが。
この世界の魔法に始まり、あれこれと質問を重ねたおかげで、この世界での生活力は現代日本とほぼ変わらないものであると知ることができた。
調理には火魔法を使い、火加減もお手の物。水魔法は水道管で引いて、蛇口から出る。これを応用して湯殿と呼ばれる、日本とほぼ変わらない入浴のシステムがあるようだった。
明かりはヴァイセンが最初に説明してくれたように、光魔法を用いて照らしている。調光も自由自在だ。
そして衛生面。
これも掃除に関する魔法――というより、
これには大いに安堵した。
この世界へ連れてこられて、真っ先に気にしたのが衛生観念である。それが現代日本とほぼ変わらないものであると認識できて、セーラは初めて心の底からほっと息をついたのだった。
セーラの世界でだって、国が変われば水を飲んだだけで食中毒で救急搬送されるような場合もある。
特に日本の衛生観念は世界でも随一だ。そこで生まれ育ち、清潔であることに慣れきった身体では、その水準を少しでも下回る環境では暮らしていくことすら難しい。
現地の人ならなんでもないことで食中毒を起こしてお陀仏、なんてことも有り得るのだ。
その懸念がなくなっただけでも僥倖だった。
この国での生活について理解したところで、セーラはならばと首をかしげる。
「生活に魔法が当たり前に使われてるってことは、もしかしてヴァイセンさまのように戦う人も魔法を使って戦うんですか?」
しかしこれにはヴァイセンは笑って首を振ったのである。
「それはないな」
「えっなんでですか? 魔法で戦うほうが効率がいいと言うか……。いや、戦いはないほうが良いと思うんですが、もしものときに便利だと思うんですけど」
セーラの世界でも、日常の必需品、主にインフラと呼ばれるものの歴史をたどると、もともとは軍事利用から開発されたものだった、ということがある。
インターネットがその最たるものだ。
魔法こそ便利なものである。
軍事利用のために魔導具が発展していって、それを応用して生活道具にするほうが自然なように思えるが、しかしヴァイセンは否定した。
「戦いの場で使うことはまれだな。なくはないが、ほとんどない。燃費が悪いんだ」
「燃費……」
思ったよりだいぶ俗な理由だった。
「日常生活程度に必要な魔力も国民から少しずつ魔力の供給を得て回っている。それが軍事利用となると、膨大な魔力量が必要になることは想像がつくだろう。それを国民に差し出せと命令することはできるかもしれないが、実際には難しい。反発もあるだろうし、そもそも子供や老人は国の指定する魔力量を提供できないだろうしな」
「なるほど……。軍人さんだけで賄うのは難しいんですね」
「無理だな。我々が実際に戦うときも体力や気力を使うだろう。そこに魔力にまで体力を回せと言われたらさすがに身体が保たない。兵力も落ち、十分な魔力供給を得ることはできず、ただ中途半端なことになる」
「ははあ……。そう考えるとたしかに」
それに、とヴァイセンは腕を組む。
「我が国は長らく戦いを経験していない。無論、ハイデルラントを代表する十二の公爵家が抱える騎士団はそれぞれ日々の鍛錬に余念はないが、いざ有事となってもできるのは各々の兵士が各々の磨いてきた力で困難を退けることくらいだろうな」
ヴァイセンによると、軍事目的での魔導具の開発は進んでいないという。
納得してうなずきかけたセーラだったが、それよりもっと重要な情報が今の会話に隠れていた気がする。
「長い間戦っていない……んですか? ということはだいぶ平和な国なんですね。もしかしてハイデルラントって近隣では大国とか呼ばれてたり?」
あるいは、日本のようにこの国が島国で、周囲を天然の要塞に囲まれているために他国の侵略が困難を極めているか。
どちらだろうかと首をかしげると、ヴァイセンは微笑んだ。
「察しが良いな。我がハイデルラントは、東側に隣接したルベルツ王国、北方のサン・ルメア帝国、西のロンタナ王国と並んで
「おお……大きな国なんですね」
「そうだな。そのうち、サン・ルメア帝国とロンタナ王国は小競り合いが尽きない。幸いにも我が国とは地理的に離れているから、この影響は少ないんだ。一方、東方を隣接するルベルツ王国とは緊張関係にあるといえばあるが、東方は険しい山脈に隔たれている。これが天然の要塞の役割を果たし、ここ数十年は戦らしい戦もない」
「ふんふん。平和なのは国民にとってはなによりですよ」
世界の地理、そして世界情勢など喉から手が出るほど欲しい情報だ。
セーラが前のめりになると、ヴァイセンもしかりとうなずいた。
「まさしくそう思う。しかし、外部からの問題ごとが減ると、内部から問題が発生するのが世の常でな」
まさか、と背筋に嫌な汗が流れる。
国王が、側近でさえ眉唾ものとして信じていなかった召喚魔法に手を出し、セーラを喚び寄せた。
その理由は、「王妃を亡くし、意気消沈していた王女の元気を取り戻すこと」と一見はっきりと筋が通っているように思えるが、しかし遡るといくつも不明な点がある。
まず、王妃はなぜ亡くなったのか。
真っ先に考えついて良い疑問なのに、自分の身に降り掛かったトラブルを解決するのに忙しくて、今の今までその疑問に蓋をしていた。
セーラはこの段になって、そのことに気づいたのである。
「……まさかとは思いますが、わたし、その内部のゴタゴタに巻き込まれました?」
ヴァイセンはきりりと弓なりになった眉を困ったように下げる。
煮えきらない表情で、しかしゆっくりとヴァイセンはうなずいたのだった。
「おそらく。……まずは、現国王陛下について、お話しよう」
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