17.ハイデルラント現国王について

「現国王陛下は現在四十四歳。ヤスミーンさまは陛下の第一子であらせられる」

「四十四歳? それで四歳の子供が第一子っていうと……わたしの感覚では、なんですけど、まあまあお年を召してからの第一子だったんですねえ。王女さまを溺愛するのもわかる気がします」


 女性の場合は妊娠出産の過程があるために、特に地位の高い女性ほど若くして子を生むだろうが、男性の場合はもっと話は複雑になる。


 この世界とセーラの世界で寿命が変わらなければの話だが、四十路での初子は確かに遅い。だが、ない話ではない。

 特に権力のある男性の場合、後継者問題は深刻だ。故に、どれほど高齢だろうと、子を成すことはふつうにありそうな話である。


 王族ならばもっと若い時代に結婚して子を成せとせっつかれそうなものだが、その時々によって事情はさまざまだろう。

 セーラにはさほどおかしな話ではないように思えた。


 だが、ヴァイセンは少し難しい顔をしている。


「まあまあどころか、少々異例だな。――そもそも、亡き妃殿下、つまりヤスミーンさまのお母上は二番目の王妃にあたる。陛下は一度ご結婚されていたのだ」

「へえ。……あ、いや、ちょっと時系列を詳しくお願いします」

「側室問題で悩んだな?」

「そのとおりです」


 ヴァイセンは軽く笑って教えてくれた。


「陛下がまだ王太子でいらっしゃった頃――十代の終わりに一度目の正妃をお迎えになっている。その方はすぐにお亡くなりになった。それより長い間喪に服していらっしゃったが、長年の周囲の後押しもあって、六年前にようやく二番目の正妃を迎えられた。それがヤスミーンさまのお母上であるアディリマさまだ」

「ああ、そういう。その間に側室の方はいらっしゃらなかったんですか?」

「ああ。最初の正妃と二番目の正妃は互いに面識もおありでない。その間に側室として迎え入れた者もいないので、事実陛下はずっと独身を貫いていらっしゃった」


 セーラは腕を組む。


「ほう。……すみません、この国における王族の制度がピンと来ていないので、王さまが側室を持たなかったことが特殊なのか、それともよくあることなのかいまいちわかってなくて」

「国王がどれほどの妃を持つかは国によって違うところもあるからな。我が国では側室を持つのが一般的だが、それでも二、三人程度だな。王族の婚姻は基本的に政治的戦略だ。愛情はない。故に、歴代国王は精神的な支えとなる妻として側室を迎えられることが多かった」

「正妃は政略婚で仕事の取引先だけど、側室は恋愛結婚で本当の奥さん、みたいなものですか」


 ヴァイセンが喉奥でくっと笑った。


「私が包んだオブラートをきれいに剥がしたな」

「……すみません、考えなしで……」


 なるほど、気を遣ってもらっていたのか。

 セーラは己のデリカシーのなさに恥じ入った。


 ――それにしても、この世界にオブラートってあるんだ……?


 ヴァイセンが当たり前のようにもののたとえとして使ったが、オブラートなどとピンポイントなアイテムがこの世界にも存在するのだろうか。その上、比喩表現としても使われている。


 ――そもそも日本語喋ってる時点で不思議なんだよね。……てことはだ。もしかして、本当はお互い全然別の言語を喋ってるけど、召喚魔法かなんらかの影響でどこかで翻訳がかかってて、ついでに意訳もされてるのかな? ヴァイセンさまは彼の言葉ではオブラートなんて言ってないけど、彼の言語表現を日本語に直したときにしっくりくる表現に勝手に修正されてる……とか?


 そう考えるほうが自然である。

 便利なものだなと感心すると同時、少し怖くもなった。


 セーラには自分が日本語以外を話しているつもりはまったくないし、日本語以外の言語を聞き取っているつもりもない。それが魔法による副作用なものだとしたら、いつかこの効果が切れてしまったとき、己はどうなるのか。

 そもそも、この副作用は効果が切れる日が来るのか。来るとしたらいつ頃なのか。

 意思疎通ができている仕組みは解明されていないままその利便性に乗っかるのは、なんだか危険なことであるような気がしてならないのだ。


 ――いや、そのことはあとで考えよう。


 セーラは軽く頭を振る。

 知りたい情報が山積していて、どうも思考が散らかって仕方がない。


 ヴァイセンを見やると、彼はうなずいて続けた。


「そういう事情を鑑みても、陛下は少々特殊だった。そもそも、最初の婚姻も異例中の異例だったようでな。――平民を正妃として迎えられたのだ」

「ほほう」


 それはなかなかセンセーショナルな出来事だろう。場合によってはスキャンダルかもしれない。

 セーラは顎を撫でるようにする。


「王さまが平民と結婚するとなると、おそらくいろいろ問題があったんじゃ?」

「まさにいろいろあったそうだな。なにせ二十年以上前のことだ。あいにくと若輩の私は人づてに聞いた程度でしか記憶していないが」


 やっぱり、ヴァイセンは二十歳をいくらも出ていない青年なのだろう。

 あとでちゃんと年齢を聞こう、とセーラは胸の内のメモに書き留める。


「前王妃は婚姻を結ばれてすぐ病でお亡くなりになった。結婚式を執り行ってから一年も経たない間の出来事だったそうだ」

「それはまた……。もともとお体の弱いお方だった、とか?」

「いいや。もともとは狩猟先で陛下と出会われたほどで、大変お元気な方だったそうだ。王妃となられてから頻繁に体調を崩されるようになって、そのまま悪化したそうだが」

「え、それって毒……」

「しー……」


 ヴァイセンが唇に指を当て、黙るように指示する。

 セーラは思わず空気ごと飲み込んだ。


「滅多なことを言うものじゃない。どこで誰が聞いているともわからないんだ」

「す、すみません」


 言論の自由とは。

 たぶん自宅なのだろうヴァイセンの屋敷の中でも、王族のあれこれについて憶測を口にしてはいけないのか。ずいぶんと窮屈な国だな、と思いながらも、セーラはヴァイセンの表情を見逃さない。


 突拍子もないことを言うな、とは彼は言わなかった。

 呆れたふうでもない。

 それが真実だから、蓋をしたものを引っ掻き回すなという態度に見えた。


 つまり、そういうことなのだろう。

 ずいぶんときな臭い話になってきた。


 セーラはちらりと目線を上げる。するとすかさずメイヴェルがやってきて、新しいティーカップに紅茶を注いでくれる。

 これは長い話になるだろうなと思ったセーラが、ならば先ほど断った紅茶をもう一杯もらえるだろうかと声をかけようと思ったのだが、メイヴェルはそれを先回りして察したようだった。


 ――メイヴェルさん、おそろしい人……。


 気分は七十年代の睫毛バシバシの少女漫画のごとく、セーラはいただいた紅茶を一口含む。

 思い切りが良すぎたのか、見事にやけどした。

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