15.予想より長逗留になりそうな予感
「召喚魔法の存在は知られていても、実際に成功を目撃した人はいないと話したな。その逆もまた同じなんだ。送り返す魔法は存在する。――これを送還魔法と言うが。だが、それで成功した事例もまたないんだ」
「……あー」
言いたいことがわかった気がする。
嫌な予感にセーラが引きつった顔を見せると、ヴァイセンも重々しくうなずいた。
「召喚魔法でさえ私も懐疑的に思っていた。送還魔法も同様だ。手順はあるが、万が一この場からあなたを送ることが成功したとしても、その行き先が本当に正しくあなたの世界に送り届けられたかどうかはわからない。だから送還魔法ができるできないにかかわらず、安易に送還すべきではないと私は考えている。……それでもあなたがやってほしいと望む場合は別だが」
「いえ、
ヴァイセンも困りきった顔をしている。
「だろう? だから、まだ私から陛下にはあなたが送還を望んでいることは奏上していない。今は至急手の空いている者に資料を集めてもらっている。過去に送還魔法で正しくもとの世界に帰れた者がいるかどうか、少しでも良いから手がかりを探したほうが良いと思ってな」
「そうしてもらえるとありがたいです」
だが、と言いかけて、ヴァイセンはしかし口をつぐむ。
悄然と肩を落としたセーラを前に、これ以上希望のないことを言うのも気が引けたのだ。
そんなヴァイセンの気遣いなどつゆ知らず、セーラは頭を抱えていた。
楽観的に二、三日の問題と考えていたが、思いの外長逗留になりそうだ。衣食住はヴァイセンに整えてもらう約束をしたが、問題はその他。
現状一番ネックになっているのは、ヴァイセン以外の人から向けられる目線が痛いということだった。
特に、ヴァイセンのこの屋敷の人たちに歓迎されていない現状はつらい。数日なら、セーラも「二、三日のことなので我慢してくださいね」と内心で言い訳しながら彼らの態度に目をつむることもできたが、短期間という前提が崩れるとなるとそうもいかない。
好きでもない、むしろ追い出したいと思える相手を長期間世話させるのは申し訳ない。
これは、早晩この館を離れ、ひとりで生活していく必要があるかもしれない。
セーラは薄らその可能性を脳裏に引っ掛ける。
だとしたら、そのときに必要なのはなにか。まずは、自分がこの世界の生活様式や常識を知ることだろう。
痛む頭で考えながら、セーラはずっと気になっていたことを口にした。
「あのー、召喚魔法とか送還魔法とか、魔法、という言葉が当たり前に使われているくらいなので、この世界には魔法なんてものが存在する……んですよね?」
「そうだが」
不思議そうなヴァイセンに、やっぱりこれも常識なのかと納得する。
「とすると、日常生活の中にも魔法は使われてるんでしょうか。たとえば、この紅茶はメイヴェルさんが魔法で入れたものだとか、さっき食べたお昼ご飯も魔法を使って調理されたものだとか……」
「具体的になにに使われているかは枚挙に暇がないが、メイヴェルの入れる紅茶に魔法が使われているかと問われたら、おそらくないだろうな。俺の知らないところで使っていなければだが。――どうだ、メイヴェル」
「とんでもないことでございます。もちろん、湯を作るのに魔法で火を起こしましたが」
「だろうな。だから、調理に魔法が使われていたかという質問なら是だ」
「生活魔法みたいなものですか……。ああ、あの明かりなんかも魔法だったりします?」
セーラが指さしたのは、天井から吊るされたシャンデリアだ。
現代ならいざ知らず、時代が時代なら、あれはろうそくをたくさん置いて、その明かりで部屋を照らすものだった。とすると、部屋を明るくするのに使われていた動力は〝火〟ということになるが、今セーラが見ているシャンデリアは炎が揺らめいている気配がない。
現代風のシャンデリアだな、とは思っていたのだ。
形はシャンデリアだが、現代では明かりと言えばやっぱり電気だ。
あのシャンデリアも、ろうそくの先端になる部分は、電球らしい揺らぎのない明かりであるように思えたのだ。
尋ねると、ヴァイセンは視線を上に向けてからうなずいたのだった。
「ああ、よく気づいたな。この部屋の明かりはあれだが、壁にランプがかかっている場合もある。あれも光魔法によるものだ。先ほど、セーラ殿は湯殿に入りたいと言っていたが、湯殿でも魔法が用いられている。魔法は基本的に生活に使われるものだな」
「なるほど……」
「セーラ殿の世界では、魔法はどのように使われてるんだ?」
「うーん、魔法はないんですよね……」
きょとんとしたヴァイセンに、セーラは「まあそうなるよなあ」と苦笑いしかできない。
「ではどうやって暮らしているのだろう?」
「うーんとですね……」
どう説明したものか、それが難しいのだ。
きっと突然「インフラ」と言ったってわかるはずもない。
自宅のガスコンロを捻れば火がついて、スイッチを押せば電気がついて、水栓を捻れば水が出る、といっても何も伝わらないだろう。
かといって、インフラの歴史から説明するほど詳しいわけでもない。
「料理するときに火を付けたりお風呂を入るときに湯を温めるエネルギーや、部屋を明るくしたり、いろいろな便利な道具を使うためのエネルギーなどが各家庭に供給されてるんです。国のある場所でそういうエネルギーを生み出す巨大な施設があって、それを各家庭に供給できるような設備がもう整ってるんですね。で、市民はお金を払えばそのエネルギーを使うことができます。なので、わたしたち市民はお金を払って、家についている設備を使えば火を使って料理して、お風呂に水を入れて沸かして、明かりをつけることができるんです。この〝エネルギー〟ってやつが、こちらの世界で言うところの魔法だと思ってもらえれば」
「ほう……。国が魔力を供給しているのか。便利な仕組みだな」
ものすごくふわふわした説明だったのに、よく理解してくれたものだ。その上、すっぱりわかり易い言葉で返してくれる。
もしかしなくても、ヴァイセンはすごく頭が良い人なのだろう。
王女のお付きの護衛騎士だし、周囲の人の態度やこの屋敷の主人であるところから見ても、王族ではないにしろ、この国で相当な地位のある人だと見受けられる。
彼の庇護下にあれば、おそらく食いっぱぐれることはない。周囲がどれだけセーラを排除しようとしても、そう易々と国を追い出されることもないだろう。
だが、そうしてセーラを庇い続けたままでは、きっとヴァイセンの立場も悪くなる。
そうなる前に、セーラ自身がなにか、現状を変えるようなことをしなければならないだろう。
この国の人達に受け入れられるようになるか、ヴァイセンから離れるか、どちらかだ。
前者にしても、後者にしても、まずはこの世界を知らなければ溶け込むこともできない。
セーラは質問を重ねた。
「生活に魔法が根付いているということですけど、供給はどのようにしてるんでしょう。みなさん個人個人で魔力を込めて発動するものなんでしょうか。わたしはこちらに来たからといって魔法が使えるような感じはありませんし、もしそうだとすると、今後生活に困るみたいなことになりませんかね」
ヴァイセンは首をかしげる。
「あなたが調理をしたり侍女の真似事をする必要はないが。……しかし、そうだな。確かに個人が
「溜められてる……んですか」
「そうだ。魔力の提供は国民の義務だからな」
「ああ、なるほど。税金ってことですか」
「税金自体は別にあるが。まあ、そういうものだと思ってくれれば良い」
なるほど、魔力を納めることを国民の義務としているのか。税にしてしまえば、確かに安定供給が望める。
しかしセーラはますます青くなった。
「ってことは、もしわたしが野に放たれたら納めるべき税金も納められない非国民じゃないですか」
セーラには魔法が扱えるような気配もない。これではいざヴァイセンのもとを離れてひとりで生活していこうと思ったとき、行き詰まってしまうかもしれない。
そう言えば、ヴァイセンは苦笑しながら首をかしげた。
「おそらく、ないわけではないと思う。魔力とはつまり人の生命力だ。体力のある若者のほうが子供や老人よりも持っているものだし、使いすぎると疲れる。あなたも魔力を差し出せと言われたら、おそらくできると思うがな。あなたの衣食住はうちで保証しているのだから、ひとりになったときのことを心配する必要はないが」
「いや、まあ、なにがあるかわからないじゃないですか……」
「そのときは陛下にもあなたの身柄の安全を保証してもらえるよう奏上してある。もともと喚び出したのは陛下ご自身だからな。陛下も厳格な方ではあるが、決して人をないがしろにするお方ではない。ご自身の行ったことに責任は持つだろうさ」
「……そうですかねえ……」
なにせ、喚び出して即無茶振りをした上、ご機嫌ひとつでセーラに死刑を言い渡した人である。
セーラにとっては、あの国王は「ヤバい人」の括りだ。
常識が通用しない。パワハラは当たり前。それで、たまたま間が悪かった、と言われても、なかなか信用できるものではなかった。
ヴァイセンのティーカップにメイヴェルが二度目のおかわりを継ぎ足す。
セーラにも勧められたが、これは断った。
だいぶお腹が満たされたところに食後の紅茶を飲んでいたものだから、お腹がたぽたぽなのだ。
「魔法の話が出たついでだ。王女殿下より及びがかかるまであなたの疑問に付き合おう。あなたの話は私にも興味深い」
改めてヴァイセンがそう言ったので、セーラはいの一番に手を上げ、尋ねたのだった。
「あ、じゃああのお姫さまの呼び方について教えてください。姫さまだのお名前だの、今度は王女殿下ですか? ずいぶんと呼び方があるようですけど、法則ってあるんですか?」
「ああ、正しくは王女殿下だ。または殿下とお呼びする。だが、姫さまはまだ幼くいらっしゃるので、親しみを込めて姫さまとお呼びしている。お名前は基本的にお呼びしない。畏れ多いからな。姫さまご本人から名前で呼ぶように命じられれば別だが。法則などそんなものだ」
簡単なもののようにさらりと言ってのけたヴァイセンに、セーラは頭をぐるぐるとさせながら唸る。
この封建社会の常識と認識をすり合わせ、この国に溶け込み部外者の立場を脱するのは、とても困難なことのように思われた。
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