14.食文化が似通っていて助かった

 あれから、何度も王女に歌を望まれるという拷問のような催促に遭ったが、ラティーヤが王女の世話を引き取ってくれたのでようやく解放された。


 時刻は、いつの間にやらもう昼近くである。

 セーラたちは一度引き上げ、昼食を済ませることにした。


 王女自身が「お腹が空いた」と訴えてくれたから、侍女たちの仕事が急速に増え始めたというのもある。

 まさか、あの王女が空腹を訴えるとは。

 その場にいた誰もが驚愕し、半ば悲鳴を上げながらその準備に追われ始めた。気まぐれな子供の気が変わってしまわないうちにとみんなが急ぎ足だったが、しかしその表情は明るい。


 大わらわになった侍女たちを前に、セーラにはやれることもない。ひとまずまた呼ばれるまでは待機だということで、ヴァイセンとともに彼の屋敷に戻ることにしたのだ。


 昼食はシチューのようなものだった。

 ようなもの、というより、おそらくそのものである。


 不思議なことに、この国は日本とさほど変わらない食文化をしていた。基本的には、ひと目見て料理名が浮かぶものばかりが並ぶ。味も想像したものと大差ない。


 他にはどんな料理があるのか、食べながらヴァイセンに尋ねてみると、返ってきた答えはほとんどが洋食だった。

 といっても、セーラの知っている〝ちょっと洒落た洋食〟であって、外国の郷土料理ではない。〝日本の洋食〟に近いのだ。


 たとえば、今食べているシチューのような乳製品を使った煮込み料理。これに柔らかい丸いパンを浸して食べる作法など、まさに〝よくある洋食〟の姿である。

 表参道のちょっといいレストランに行ったら、ちょうどこんな料理が出てくるだろうなと思える。


 使っている食材も聞いてみたものの、特別変わったところもない。

 肉なら牛、豚、鶏。野菜はやはり芋系が多いが、葉物野菜も見事なものだ。多少日本では馴染みのないものもあるが、それでもまったく見知らぬものではない。


 これは嬉しい誤算だった。

 食事は精神に大きく関わる。

 学生時代に短期留学をしたことがあるが、あの数週間でさえ、食べ慣れない料理や味付けにしんどさを覚えたものだ。

 幸いにもセーラには経験はないが、ホームシックも食文化の違いが大きな影響を及ぼすものだと聞いている。

 それほどに、口にするものが慣れたものであることは大事なのだ。


「ヴァイセンさまが良いところお家の方で本当に助かりました」


 乳製品のコクの効いたシチューをパンでかすり取りながら平らげ、満足の行く食事の味に感謝を告げる。

 両手を合わせてぺこりとお辞儀をしたセーラに、ヴァイセンは「大げさだな」と苦笑しきりだった。


「この程度の食事はこの国ではどこでも食べられる」

「……そのご感想は話半分に受け止めておきますね」


 おそらく、こんな絵に描いたような貴族の屋敷で生まれ育ったのであろう彼の常識では、庶民の暮らしとやらは念頭にない可能性がある。

 となると、やっぱりセーラが食事のおいしさをありがたがれるのはヴァイセンの実家が太い――実家のおかげかどうかはわからないが――おかげだろう。


「しかし、セーラ殿。今朝も思ったが、本当にあんなに少量で足りるのか? 遠慮せずに満腹になるまで食べて構わないのだぞ」

「いえ、今のところ腹十分目まできっちりいただきましたので大丈夫です。……このままだと二、三日後には体重が気になりそうなので、午後は腹ごなしに軽く運動させてもらえたらありがたいんですけど」


 買い物とか、散歩とか。午後は王女と散歩の任務があるかと思ったが、外に買い物に行く機会があっても良い。突然とはいえ見知らぬ場所に来たのだから、街並みは見てみたかった。

 いや、できればこのあとの予定を気にすることなく、その頃には元の世界に帰れていることが一番なのだが。

 

 ひとまず食事を終えると、使用人らしき人が食器を片付けてくれて、代わりに一揃いの茶器を持ってきた。

 それらの準備が整った頃、ヴァイセンはやにわに「今朝の件だが」と切り出した。


「今朝?」

「質問しただろう。召喚魔法について」

「ああ。この世界でも都市伝説級の怪しげな術に巻き込まれたってところまでは認識しましたね」

「……トシデンセツキュウとはなんだろうか」

「都市伝説ですね。ええと……人の噂では良く知られていて有名だけど、実際に目にした人や確かめた人はいないもののことです」


 ヴァイセンは納得したようにうなずいた。


「ああ、そういう意味合いなら、召喚魔法はまさにそういうものだな。――そう、だから召喚魔法の現場にいた者以外から見れば、そんな存在も怪しげな魔法で喚び出されたと噂されるあなたのことにも懐疑的になる。あなたも占者と口裏を合わせて、人々をそうやって騙しているんじゃないか、と思われるわけだ」

「みたいですね。わたしは早いうちに帰してくれればそれで良いので、この国の人にどう思われるかは、身動きに不自由がなければどうでも良いんですけど」

「……それなんだがな」


 ヴァイセンは気まずそうにお茶に口をつける。

 眉をひそめているというのに、実に優雅な仕草だった。

 その様子を見ながら、セーラもつられてティーカップを口元に運んだ。飲む前にカップの絵柄や模様について語り、飲んだら「結構なお手前で」などと言わなければならない――といったような、複雑な作法はないと判断できたからだ。


「……あ、おいし」


 セーラは思わず感想をこぼしていた。

 本当においしいのだ。

 よくある紅茶よりやや薄めの見た目に思えるが、それが却ってすっきりとした味わいに仕上がり、鼻に抜ける芳醇な香りが楽しめる。

 セーラは紅茶にはミルクと砂糖派だったが、これはストレートでおいしい紅茶だった。


 驚いて紅茶に視線を落とすと、ヴァイセンもほっとしたように笑った。


「む、そうか。紅茶はセーラ殿の国にもあるものなのか?」

「はい。もともとは日本発祥の飲み物ではないんですけど、他国から輸入されてきて今ではメジャーな飲み物ですよ。日本ではお砂糖とミルクを入れることもありますが、これはむしろないほうが味わいを楽しめて良いですね」

「こちらでも砂糖とミルクは一般的だ。だがセーラ殿の言う通り、これにはないほうがうまい。その分入れ方が難しいから、うちではメイヴェルか料理長しか入れられないんだが」

「メイヴェルさん、なんでもできるんですね」

「恐れ多いお言葉でございます。セーラさまもお好みのお料理や飲み物などございましたら、お気軽にお申し付けください」

「ありがとうございます」


 ヴァイセンの屋敷で働く人は、みんな概ね丁寧に接してくれる人ばかりだが、中でもメイヴェルは穏やかでやさしい印象だった。

 内心はどう思っているかはわからない。取り繕うのが上手いだけかもしれないが、それでも、今のセーラにとっては表面上でもやさしくしてくれる人間は貴重だった。


 彼は見ず知らずのセーラを前にしても、詮索もしなければ探るような目も向けてこない。ある程度ヴァイセンが事情を説明しているのかもしれないが、どこへ行っても誰もがセーラに部外者を見るような目を向けてくる今、態度だけでも受け入れられていると落ち着くことができた。


 セーラがのんびりと緊張を解いている横で、しかしヴァイセンは弓なりになった眉を難しそうに寄せ、また紅茶を一口含んだのだった。


「セーラ殿。元の世界に帰してほしいとあなたは言ったが」

「はい」

「それが、少々難しいかもしれん」

「えっ。ええ!?」


 優雅に香りを味わっていた紅茶が気管に入りかける。

 咳き込むと、ヴァイセンは慌てた様子で「すまない」と手を伸ばし、しかし引っ込めた。代わりにメイヴェルがさっとハンカチを差し出してくれる。


 セーラはありがたく受け取って口元を押さえると、気管に迷い込んだ紅茶を軌道修正するために目一杯咳き込んだ。


「い、いやいや……。そこが一番肝心なんですよ! そこを叶えてもらえなければもうほかの条件も全部パーですって」


 もとの世界に帰る。

 なにを差し置いてでも一番に叶えてほしい条件だ。


 セーラがここに連れてこられたのは偶然で、本来はこの国どころか、この世界の人間ですらない。周囲の人もセーラを部外者扱いするし、怪しげな人間を見るような目を向けるし、中には露骨に顔をしかめる人もいる。

 それでもセーラが気にしないでいられるのは、一時的なことだと割り切っているからだ。


 すぐに帰るから、今すぐ害が出るような扱いでなければ、多少居心地が悪くても目をつむれる。

 そう思って諦められているのである。

 だというのに、帰れないとは一体何事か。話が違うではないか。

 

 身を乗り出したセーラに、しかしヴァイセンは実に申し訳無さそうに藍色の目を伏せるばかりだった。

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