13.子供の心を掴むには

「さあ、お母さまの大切なハープが元気になりましたよ」


 ――音は狂ってるけど。


 弾けないほどではなかった。もしもこれが数年放置されたようなものだったら、弾いた瞬間に弦が切れていた可能性もある。それを思えば上出来なほうだった。


 さて、どんな反応が返ってくるか――とハラハラしながらリアクションを待っていると、青灰色の目がきらりと光って――光った!?――セーラにずいと身を乗り出してきた。


「もういっかいうたって」

「えっ」


 思わず素っ頓狂な声が出た。


「しらないお歌だったわ。もういっかい」

「えっと……」


 まさか、ねだられるとは思ってもみなかった。

 せいぜい泣き止んでくれれば、と思っていた程度なのだ。それがこんなに興味津々に覗き込まれるとは、一体何事か。


 ちらりと視線を投げかければ、侍女たちはなにやら不審そうな目でそっとこちらを伺っている。

 当然だろう。

 王女が泣くから総出でご所望のハンカチを探しているのに、怪しげな異世界人だけが王女のそばで、王妃の遺品であるハープを勝手に爪弾いて、よくわからない歌まで歌っているのだ。――それも、あまりうまくはない歌を。

 一体なにをやっているのか、大事な王女になにを聞かせているのか、不安にもなるだろう。


 ただの子供向けの歌ですよ、と引きつった笑みを見せてみるものの、それで侍女たちの疑念が晴れるわけもない。

 侍女たちも、一体なにをやっているのかと不安には思いつつも、おいそれと待ったをかけることもできない。

 王女をセーラに任せることは勅命だからだ。


 やきもきしながらちらちらとこちらに向けられる視線がたくさんある。

 そうしている間にも、王女は「もういっかい」とぐいぐいと近づいておねだりを始めたのだった。


 ――どうしよう、もう一回やる!? いやでも、他の人が一所懸命ハンカチを探してるのにこっちで別のこと始めちゃったら……。もう、なんでこんなときにいないんだ、ヴァイセンさま!!


「姫さま、お待たせいたしました」


 ここにいないヴァイセンに内心で悪態をついたそのとき、誰よりもセーラが待ちわびた張りのある低い声が、ようやく部屋へと戻ってきたのだった。


 王女よりも早くセーラのほうが顔を向けると、黒尽くめのヴァイセンの後ろにまた見知らぬ人がいる。


 これまで見てきた人とは少し趣の違う女性のようだった。

 着ているものは他の侍女と同じだ。ふんわりと布量の多いスカートのワンピースに、白いエプロン。だが、他の人よりもずっと暗い肌の色をしていて、ひとつに結った髪は白髪だった。

 しかしそれでも年の頃は若い。セーラと同じくらいだろうか。三十を越えたかどうかというところである。


 そして何より特徴的なのが、その顔立ちだった。

 この国の人ではないとひと目でわかる、異国ふうの人なのだ。

 彫りの深い、欧米系の顔立ちであることは同じ。だが、系統が違う。

 セーラは人種にも詳しくないからはっきりとはわからないが、そういう印象を抱いた。


 侍女は多くいるが、その中でもいっとう雰囲気の変わった人だ。

 その人が静かに顔を上げる。目が合った、と思う間もなく、視界の端を白いもの――王女の、ふわふわと傷んだ銀髪が駆け抜けていった。


「ラティーヤ!」


 王女だった。ぐいぐいと迫っていたセーラの前からぱっと身を翻し、その侍女へとぎゅっと抱きついたのである。

 王女があんなに素早く動き、大声を上げたところをセーラは初めて見た。


「まあ、ヤスミーンさま。どうしたのです。こんなにお痩せになって……」

「だって、おかあさまもラティーヤもいないんだもの……」

「私がいなくとも、たくさんの侍女がヤスミーンさまの助けになりますよとお伝えしましたでしょう」

「ラティーヤじゃなきゃいや」

「まあ、まあ」


 王女の反応を見ればわかる。彼女は特別な侍女だ。おそらく、一番のお気に入りか、主従の枠を越えて親しい人だったのだろう。

 あの泣いてばかりの王女の心を、あんなふうにいとも容易く動かす人もいたのか。

 呆然としながら、セーラははたと気づく。


「姫さまとお顔立ちが似てるのか」

「誰がだ?」


 不意に声をかけられ、セーラは隣を見上げた。

 ヴァイセンだ。

 セーラはつい呆れた顔になった。


「ヴァイセンさま……。おかえりなさい」

「留守にしてすまなかった。姫さまとどなたが似ているんだ?」

「あなたが連れてきた新しい侍女さんです。――一体どちら様で?」


 ラティーヤ、と呼ばれた侍女は、王女と顔立ちの雰囲気が似ているのだ。

 正確に言えば、ふたりを比べてしまえば、王女のほうが圧倒的に他の侍女たちと同じ系統の顔立ちをしている。だが、王女もまた独特の雰囲気のある顔立ちをしていた。ラティーヤと呼ばれた侍女と並ぶと、確かに雰囲気が似ている。


 そう言えば、ヴァイセンは当然とばかりにうなずいた。


「ラティーヤは妃殿下が輿入れの際に故郷からお連れになった侍女だ。妃殿下と同郷だから、妃殿下のお子であらせられる姫さまともお顔立ちが似た雰囲気なのだろう」

「ああ、そういうことですか」

「姫さまが探してらっしゃる王妃のハンカチの場所だが……。おそらく彼女が知っているかと思って連れてきたんだ」

「なるほど。……ていうか、なんで今日まで彼女いなかったんですか?」


 非番だったりしたんだろうか。

 というか、王女付きの侍女たちに休日という概念はあるのか。そのあたりの仕組みがまるでわからない。

 首をかしげると、ヴァイセンはそれには答えず、長い指でセーラの手元を示した。


「ところで、聞き慣れない曲が聞こえたが。あなたが演奏を?」

「えっ? あっ、ハイ」

「姫さまの許可を得てそのハープを?」


 ――あ、これやっぱりハープなんだ。


 三角形っぽくて、弦が一列に並んでいたから、竪琴ではないだろうとは思っていたが。

 手にしたハープをもう一度眺めようと視線を落とし、それからはっと気づいてセーラはハープから手を離した。


「す、みません。勝手に触るつもりはなかったんですけど、なんというか流れで……」

「いや、姫さまが許可したのなら構わないんだ」

「セーラ」


 これまで聞いた中で一番弾んだ、元気な子供の声がセーラを呼ぶ。

 振り返ると、ベッドに飛び乗ってきた――ラティーヤにはしたないと窘められていたが、おかまいなしだ――王女が、青い目をきらきらさせながらこちらににじり寄ってきた。


「もういっかい、お歌うたって」

「えっ」

「あのね、セーラはふしぎなお歌をうたうのよ」


 王女はラティーヤを振り返り、それからヴァイセンにも向かってご丁寧にそう紹介してくれた。


 ――やめてくれ。こちらに気を払っていない侍女さんたちならまだしも、ちょっとでも好印象ポイントを稼いでおきたいヴァイセンさまにまでヘタウマを聞かせるわけにはいかないのだ。


 そうは願ってみたものの、しかしヴァイセンはにっこりと美しく微笑んでみせたのだった。


「そうですか。先ほど私も少々耳にしましたが、確かに聞いたことのない歌でしたね。ですがとても楽しい気持ちになるものでした」

「でしょう。もういっかいうたってほしいの。わたくしもうたえるようになりたいの」

「……だそうだ、セーラ殿」


 きりっとしたヴァイセンも、王女の前では相合を崩すらしい。


 彼ははっきりとした目鼻立ちに、きりりと弓なりになった眉、涼やかな目元が印象的だ。軍人らしく表情を引き締めると冷たい印象にも見えるが、しかしその実、言葉遣いも態度も実に丁寧でやさしい。

 目元を隠しがちな癖の強い前髪に、うなじでゆるく結いてひとつにまとめた髪は、鎖骨に流れる程度とはいえ、男性にしては長さもある。

 そのせいだろうか。雄々しい男性というよりは、やや中性的な印象があるのだ。


 そのヴァイセンににこりと微笑まれた女性たちは、きっと顔を赤らめ、彼に懸想する人も多いのだろうと想像できる。

 そう、典型的なモテ男に見えるのだ。


 セーラだって分別のある大人だ。

 顔立ちの良い好印象の男性に微笑まれた程度でうつつを抜かすほど若くはないが、しかし鉄壁の理性の要塞は確かにダメージを受ける。

 これだからツラの良い男は、とできる限り絆されないよう顔の中心にぎゅっと力を入れてみたものの、王女の無邪気な期待とヴァイセンの美しい笑みの前には白旗を揚げざるを得なかった。


「……あまりうまくないので、批評はしないでくださいね」


 できれば褒め言葉も要らない。気を遣われているとしか思えないから。


 そう言い添えて、リクエスト通りもう一度ハープを爪弾く。

 観客が増えた中での二度目の発表会は、しかし一度目よりずいぶんと緊張してしまったせいで、余計に下手なものになってしまった。声も震えていたし、ミスタッチばかりだった。


 ――くーっ! 恥っず!


 なにより一番恥ずかしかったのは、明らかに緊張してミスの多かった演奏に対し、王女とヴァイセンから盛大な拍手が送られたことだった。

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