12.埃をかぶったハープ
聞き取り調査の結果は芳しくなかった。
王女は泣き叫ぶほどの恐慌状態ではなかったのだが、単に騒ぐだけの体力がないように思える。代わりに、ずっとしくしくと泣き続けて、話しかけても言葉少なに「おかあさまのたいせつなハンカチ」と繰り返すばかりだった。
侍女たちがせっかく大人数で捜索に入ろうとしてくれても、その手がかりさえもらえないのでは探しようがない。
協力をしたいのだから、頼むから泣く前に聞かれたことに答えてくれ、とわずかな苛立ちを覚えないでもなかったが、しかしなんといっても、相手は四歳の子供だ。同世代の仕事相手とは違う。
セーラはため息をぐっと堪え、ない知識を振り絞って頭をフル回転させる。
〝特徴を聞き出す〟という答えを引き出すのに必死になっていたが、これは別の方向に意識をそらしてみたほうが良いだろうか。
不意に思いついて、なにか気を引けるもの、と当たりを見回す。
室内が明るくなったから、見覚えのない家具や調度品がいろいろと目に入ってくる。セーラには使い方の見当もつかない道具もたくさんあった。
異世界出身でものを知らない自分に教えてくれ、という名目で、セーラはあれこれと質問をしてみた。だが、王女の反応は鈍い。
途方に暮れて、最後に目についたのが、ちょうど王女の座るベッドの後ろにある、大きな弦楽器だった。
三角形のような形の木の枠に、長い弦から短い弦までいくつも張られている。
だいぶ埃をかぶっているようだが、セーラの記憶とこの世界の常識が一致していれば、それは〝ハープ〟と呼ばれるもののはずだった。
「姫さま、音楽をなさるんですか?」
尋ねても、王女の反応は鈍い。ボロボロと涙を流すほどではなかったが、ずっとぐすぐすと鼻を鳴らして嗚咽している。
既に何度も試してろくな会話ができないことは実証済みだったから、まともな回答がなかろうと、セーラはもう動じなかった。
触れて良いものか悩んだが、もうほかに良案もない。
セーラはベッドの隅に回り、骨董品のようなハープにそっと触れてみた。
「ずいぶん埃をかぶってますねえ。置物ですか?」
「おかあさまの……」
思いの外応えがあって、セーラは心臓が口から飛び出るかと思った。
――なるほど、亡くなったお母さんのもの。そりゃあ埃もかぶる。
内心でめちゃくちゃに焦りながら、セーラはホールドアップの形を取る。大切なものに勝手に触れませんよ、の合図だ。
「す、すみません……勝手に触って。お母さまのものだったら、姫さまにとっても大切なものなんでしょう。だとしたら、なおさら埃をかぶったままにはしておけませんね」
「でも、わたくし、おかあさまみたいにひけないもの」
「お母さまは音楽もお上手な方だったんですね。それならやっぱり、毎日触れてお手入れしてあげませんと。楽器は放っておくとすぐに音が悪くなってしまいますよ」
ハープについては、実物を見たことも触ったこともない。
楽器の特性はまるで知らないが、楽器である限り正しい管理が必要なのは確かだろう。
特に弦楽器はすぐに音が狂う。
ピアノでさえ、毎日弾いていても、半年から一年に一回の調律は必要だ。ギターやヴァイオリンなどだったら調弦は毎日――つまり、練習する際に毎回しなければならないものだと記憶している。
――だから簡単に手で摘んで調弦できるようになってるわけだし。
どちらかといえば、ハープもギターなどの部類だろう。ハンマーで弦を叩くのではなく、弦を左右に引っ張って弾くものだから、おそらく本来は毎日調弦が必要なタイプだ。
王妃のハープは王女のベッドの隅に鎮座していたが、そのすぐそばにはきれいな飾り彫りがされた木箱がある。こちらも相当な埃をかぶっていた。
開けてみると、どうやら調弦に必要な道具が揃っていそうである。これで調弦はできそうだ、と王女を振り返って、セーラはぎょっとした。
王女がぼたぼたと涙を流しているのだ。
「あっ!? えっ? あっ、勝手に触ってほんとすみません!! あの! 調弦の道具がありましたので! これでお母さまの大切なハープもきっと、」
「……おかあさまのハープ、だめになってしまうの?」
「いえ! ……ああ、そっか」
セーラはしどろもどろに答えながら、己の失言を恥じた。
楽器を放っておいたら音が悪くなる。王妃の遺品で、大切なものであるならば、放っておかずに毎日手入れをしたほうが良い。
これは確かに正論で、事実だ。
だが、今の王女にはもっと言い方を考えるべきだった。
セーラは頬を掻き、それから頭が沸騰するくらい悩んでから、慎重に言葉を選んだ。
「だめになることはありません。言い方が良くなかったですね。すみません。調弦の道具が見つかりましたので、これでお手入れすればまた良い音になってくれますよ。……あいにくとわたしはハープに詳しくはないので、侍女さんたちにお願いしたほうが良いかと思いますが」
誰かに頼もうとあたりを見回したのだが、あいにくと王妃のハンカチを探すのに忙しくて、誰もこちらに気づく様子がない。
セーラは仕方なく、手近にあった、おそらく洗面などで使われた布でハープの埃を払った。王女の顔を拭くための布を掃除用具にするなと怒られそうだが、今は許してほしい。
あらかた拭うと、弦を弾いても埃が舞いそうな気配はなくなる。
そこまで確認してから、まずは軽く指で撫でるように弦を弾いてみた。
――狂ってはいるけど、まあ聞けないほどじゃないかな。
王妃の生前はよほど大切にされてきたのだろう。メープル色の木目が温かく、王女やヴァイセンなどから伝え聞く王妃の人柄を表しているようだった。
ハープは初めて弾いたが、全音階ではなくスケールになっているらしい。半音にする場合はどうすれば良いのかはわからないが、とりあえず、弾くときにややこしいことは考えずに済みそうだ。
ピアノは習っていた時期もあった。それとは弾き方が大いに異なるが、さほど難しくはないように思える。――本当は弾き方や音の出し方など、追求すればきりがないのだろう。だが、今ばかりは素人の遊びでも許してほしい。
セーラは試しにポロポロと弾きながら感覚をつかむ。
右手がメロディ、左手が伴奏。これもピアノと変わらない。この調子なら弾けそうだ。
間違えたら笑ってもらえればそれで良い。――というより、おそらくこの世界でこの曲を知っている人はいないだろうから、誰もミスタッチに気づかないことを祈った。
セーラはめそめそと涙を拭い、鼻をすする王女に向かい、にこりと笑った。
とにかく気が晴れるようなことをしなければ、この王女はベッドから出ることもままならない。
「では姫さま。大切なお母さまのハープが元気になる音楽を一曲、弾かせていただきますね」
「おうた……?」
言って、セーラは左手で伴奏を弾き始めた。イントロのつもりだったのだ。それに合わせて右手でメロディを奏でようと思ったのだが、これが案外難しい。
少々焦ったが、すぐに両手を伴奏に変えてしまい、メロディは歌うことにした。
演奏したのは、セーラの世界では誰もが知っている有名な一曲だ。
世界中のどこにいたってみんな同じ人間なのだから、手を取り合って仲良くしよう、助け合おうよ――という、あの曲である。
ちなみに、セーラの歌唱力のほどはヘタウマである。
歌も小さいときに一時期習っていたことがあるが、先生に「個性があるわねぇ~」と微笑ましそうな感想をもらって、それっきりだ。先生のその一言で、母親はセーラには才能がないと思ったようでやめさせられたのだ。
だから、人様に聞かせるほどの実力があるわけではない。
けれども、この曲は子供ながらにわくわくするものだった。
きっと王女も感じ入ってくれるものがあればと半ばヤケクソだったが、効果のほどはどうだろう。
最初こそほとほとと涙に白い頬を濡らしていた王女だったが、セーラが歌い出すと大きな目をぱちくりと瞬き、次第に聞き入るように青い美しい目をこちらに向け始めたのである。
そうして一曲が終わる頃には、すっかり涙も引っ込んだ様子で食い入るようにセーラを見つめていたのだった。
弾き終わると沈黙が流れる。
――非常に気まずい。
何を言われるのかとおっかなびっくり冷や汗をかきながら、セーラは引きつった笑みを浮かべて王女に向き直ったのだった。
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