10.常識の違いは、ときに気づきを与える

 王女の部屋は相変わらず薄暗い。というより、セーラにはもう真っ暗にしか見えなかった。

 侍女たちの働く範囲は彼女らが手元に明かりを持っているので薄暗いのだが、それ以外は壁の篝火のようなものさえついていない。その上、窓はふさがれている。今日もすこんと晴れた良い天気だというのに、この建物全体がどんよりと澱んでいた。


「おはようございます、ベルディン騎士団長。本日も例の者をお連れで?」


 中の様子は見えるものの、入口をふさぐように待ち構えていた人があった。

 召喚されたときにセーラを王女の部屋まで連れてきた、侍女たちの取りまとめ役のような人だ。


 年の頃は四十代くらいだろうか。小柄でふくよかな体つきながら、白いものの混じり始めた栗毛を後れ毛ひとつなくきっちりと引っ詰めた出で立ちといい、細く弓なりに描いた眉といい、きびきびとしたいかにも仕事のできる女性という風情だ。


 ヴァイセンは胸のあたりに頭のある彼女を見下ろし、至極穏やかにうなずいてみせた。


「おはよう、ゲルダ。〝例の者〟ではなくセーラ殿だ。陛下より彼女に一任しろとの命は聞いているだろう?」

「ええ、ええ。聞いておりますとも。例の者の言う通りにせよと。――まったく、陛下も姫さまのためとはいえ妙な占者に傾倒なされて……」

「セーラ殿は占者本人ではない。喚び出されただけだ。彼女に非はない。それどころか、なんの義理もないのに姫さまのために尽力いただいたことは、昨夜あなたもその目で見ただろう。――さあ、通してくれ」

「どうぞ、ご自由に。ですが姫さまの御身に危険があると判断したらすぐに出ていっていただきます。ここでの最高責任者はわたくしなのですから」

「それは私ではなく陛下と話し合って決めてほしい」


 徹頭徹尾、部外者は受け入れないとする頑とした態度だった。ともすれば高圧的でもある。しかしヴァイセンは気を害したふうもなく穏やかに微笑んだまま、難なく部屋の中へと入ったのだった。もちろん、彼女の攻撃的な言葉にはしっかりと反駁することも忘れない。


 セーラは彼がおそらく十歳程度年下であることなどすっかり忘れ、こういう人が上司だったらなあ、と考えてしまった。上司でなかったとしても、この世界で初めに味方になってくれたのが彼で良かった、としみじみ思う。おそらく不幸中の幸い、最初の仲間としてはSSRを引いたのだろう。自身の妙な幸運に喜べばいいのか、その幸運を無事に帰宅することに使ってほしかったと嘆けば良いのか、よくわからなくなっていた。


 セーラはヴァイセンに従って王女の部屋へ足を踏み入れる。

 これで三度目の訪問だった。


「さあ、セーラ殿。まずなにから始めますか?」

「えっ? ええっと……」


 もう始まっているのか。

 侍女たちはふたりを無視して昨日のように王女を起こしにかかっていたが、それよりもまず、セーラはぐるりと部屋を見回した。


「じゃあ、まずカーテンを開けてください。窓もです。喪に服すお気持ちやその文化は大事だとは思いますが、暗いところというのは余計に気持ちがふさぎます。姫さまが朝に起きられない要因のひとつでもあります。人間、太陽の光を浴びている間は活動して、日が沈んだら眠る準備をして身体を休める。リズムを作らないと体内時計がぐちゃぐちゃになるんですよ」

「なりません。外界に触れて姫さままであちら・・・に連れ去られるわけにはいきません」


 早速、横からぴしゃりとゲルダに止められる。

 セーラはため息をつきたい気持ちを堪え、「んな迷信とっとと捨ててくれ」と飛び出そうになった口をとっさに押さえる。


 どんな突拍子もないものであれ、人様の信仰に口出ししてはならない。争いの火種にしかならないからだ。だが、そこをどうにか納得してもらわない限りは、セーラの任務が遂行できないのもまた事実だった。


 セーラはツンと澄ました顔のゲルダに向き直った。


「お尋ねしますが、もしも姫さまがあちら・・・へ連れ去られるとして、連れ去るのはどなた・・・でしょう?」


 まさかそんな、誰もが当然のものとしている慣習に疑問を投げかけられるとは思わなかったのだろう。ゲルダはややたじろいだ顔で眉をひそめた。


「それは……あちらのモノですわ」

「あちらのモノとは、具体的にどなたでしょうか。今回の場合、姫さまのお母様だった王妃さまが亡くなられたということでしたね。とすると、姫さまをあちら・・・へさらってしまうのは亡き王妃さまと考えるのが自然かと思いますが」

「ぶ、無礼者――!」


 一国の王妃を悪霊扱いするか、と気色ばんだゲルダに、セーラは畳み掛けた。


「わたし、昨日、喪に服すのにこんなに部屋を暗くするのはなぜか聞いたじゃないですか。そのときにゲルダさんは姫さまが死者に連れ去られないよう外界と遮断しているって説明してくれましたけど、それにしたってこんなに暗くする必要はないだろうと言いましたよね、わたし。そうしたらゲルダさん、なんて答えてくださったか覚えてます?」

「なにを……」

「姫さまの場合はお母さまを亡くされているから、どんな状況でもあちら・・・に連れて行かれることがないように、と、お母さまを亡くされていることを強調されたんですよ。連れて行くのは王妃さまだと、あなたが仰ったんです」

「…………」


 死んだ者に連れ去られないよう、子供は外界から遮断する。


 彼女にとっては、いや、この国の人にとっては、生まれたときから自然と身についた慣習なのだろう。しかしあまりにも馴染みすぎて、それがなぜそう考えられるようになったのか、誰に連れて行かれるのか、言葉にしているくせに想像が及ばなくなっていた。


 昨日、暗いほうが霊は寄ってくると言ったセーラに対して不思議そうにしたゲルダに覚えた違和感がこれだ。

 自身が生来のものとして受け入れている文化や常識に対し疑問を呈されると、実は自分が盲信していたことに気付かされる。まさに昨日セーラがゲルダに体験させられたことを、そのままそっくりゲルダに指摘する格好になったのだった。


「我が子かわいさに、自分のいない我が子の将来を案じて連れて行ってしまいたい、そういうお母さまの気持ちもわかります。ですが、王妃さまはそういう方なのですか? わたしは直接王妃さまとは面識がありませんけど、昨夜の姫さまを見ていれば、とても愛情深い良い方だったのだろうと想像できます。そんな方だったらきっと、慣習に従って喪に服してほしいと思うより、慣習を無視してでも真っ暗な部屋で姫さまが泣き暮らすことのないよう、毎日健やかにお過ごしになることを願われるのではないでしょうか」

「…………」


 押し黙ってしまったゲルダに、言い過ぎただろうかと内心で心配になる。

 王女の体調と生活の改善を頼まれた身ではあるものの、本来の責任者であるゲルダや侍女たちを押しのけてまでその立場を奪い取りたいわけではないのだ。


 不安になってなんと声をかけようかと悩んだセーラだったが、しかし仲裁に入ってくれたのはヴァイセンだった。


「一本取られたな、ゲルダ。妃殿下のお人柄は我々のほうがよく知っているはずなのに、お会いしたことのないセーラ殿のほうが妃殿下のお気持ちに寄り添っている。我々もそれに続こう。――そういうわけだ。みんな、セーラ殿の言う通りにしてくれ」


 いつの間にか、すべての侍女が手を止め、セーラとゲルダの遣り取りを見つめていた。そんな彼女たちがヴァイセンに声をかけられ、粛々とカーテンと窓を開け始めたのである。

 その動きの流れるようなさまに、彼女たちもすこしばかりセーラを受け入れてくれたのだろうかと思わせられた。


 すっかり光を遮っていたものがなくなり、窓が開け放たれると、爽やかな風が部屋の中の澱んだ空気をさらっていく。

 陽の光が差し込んだことによってようやく部屋の全貌が明らかになって、この部屋はこんなにきらびやかで豪奢な部屋だったのかと、そのとき初めてセーラは感嘆した。


「……まぶしい……」


 そうしているうちに、頑なに掛布に閉じこもっていた王女がむずがり始めたのだった。

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