02.気鬱まっしぐらの陰惨な部屋

 ――どうしてこんなに暗いんだろう。


 星羅せいらは案内の女性について歩きながら首をかしげた。


 あの〝偉そうなおじさん〟こと、ハイデルラント王国の王を名乗る人物と、おそらく臣下――の役割かもしれない――の人たちに囲まれたこの建物は、そのロールプレイに見合った広さと豪奢な造りをしていた。


 もはや巨大な展示会場の通路のような廊下をずっと進んでいくと、屋根付きの半分外のような場所に出る。そうしてから、ふたたび屋内へと続いていた。

 おそらく、母屋と別棟をつなぐ場所を歩いているのだろうと、星羅は頭の片隅で考える。


 だが、あたりは次第に様子がおかしくなってきた。

 進めば進むほどに薄暗くなっていく。やがて、暗幕のような重苦しい布で外を遮断し、明かりを極限に抑えた様相を呈してきたのだった。

 先を歩く女性は、どこからか明かりを取り出し、手元を照らしながら変わらない調子で進んでいく。


「あ、あの……?」


 星羅を取り囲んでいた女性は四人。

 先頭と左右と後ろを固めて、まるで星羅を逃さないようにしている。

 明かりを持っているのは先頭の女性だけだ。

 あまりの暗さに、星羅は耐えきれず、誰でも良いからと声をかけてしまった。


「一体どこへ向かってるんでしょう……?」

「姫さまのお部屋でございます」


 もしかしたら無視されるかも、と一瞬思考を過ったが、案外素直に返答があった。

 だが、その答えにも困惑してしまう。


「は、姫さま……。こんな暗いところにいる……いらっしゃるので?」


 歩くのも憚られるような、真っ暗な場所だ。

 ぴっちりと閉められたカーテンの類は、まるでなにかから隠すために閉め切っているかのようである。

 窓もずっと閉め切っているのだろう。空気も通らず、澱んだ空気がひたひたと足元に重くうずくまっている。


 なぜ、外気を遮断するように閉め切られているのだろう。まるで、視聴覚室の暗幕カーテンを閉めているかのようだ。あるいは、台風の翌日の雨戸を閉め切った室内か。


「もしかしてその姫さまとやらは光がだめとか、光過敏症とかそういう……病をお持ちで?」

「いいえ。姫さまは王妃であるお母上を亡くされて喪に服していらっしゃいますから、当然のことです」


 明かりを持った女性がなにやら不快そうに答える。非常識な、とでも言いたげだった。


 喪に服す。星羅は口の中で繰り返し、それから静かに目を瞠った。

 光を取り入れないことが、喪に服すことになる。そんな文化があっただろうか。――いや、ここが本当に〝ハイデルラント王国〟などという見知らぬ場所だとしたら、そういう文化なのだろうと納得するしかないのだが。


「喪に服すって言っても、こんなに暗くしてしまうものなんですか? なんていうかこう、黒い服を着るとか、喪に服している間はお祝いごとをしないっていうのはわかりますけど……」

「異世界よりお越しのあなたさまにはおわかりいただけないかもしれませんが、親族の死後一年間は外出を控え、特に七歳未満の子供は外界から遮断せねばなりません。子供は大人より生まれてから間がなく、生まれるより以前の世界、つまりここではない世界・・・・・・・・とのつながりが大人よりも強いのです。死者も同じです。旅立った場所はここではない世界・・・・・・・・。ですから、子供はあちら・・・連れ去られないよう、きっちりと外界から遮断して、死者との関わりを避けねばなりません」


 おそらく、宗教的な信仰のもとにそういう考えがあるのだろうが、星羅は内心で首をかしげる。

 喪に服す、その大義名分のために、幼い子供を暗闇の室内に閉じ込めている。そんなことを慣習化している宗教はあっただろうか。


 考えてはみるものの、星羅はすぐに思考を放棄した。別段、民俗学にも宗教学にも詳しいわけではない。まるで想像がつかなかった。

 しかし、と、星羅は改めてあたりを見回す。

 外界から遮断すれば良いだけなら、こんなに暗くする必要はない気もする。


「外から遮るためにカーテンがあるのはわかりましたけど、それなら暗くする必要はないんじゃないですか? この廊下も、手元の明かりだけというのはいろいろと不便なんじゃ……」

「外界と遮断するだけでは足りません。姫さまの場合、お母上を亡くされておいでです。どんな状況でもあちら・・・に連れて行かれることがないよう、なるべく明かりを少なくして、姫さまのお姿を捉えられないようにする必要があります」

「お母さんの幽霊が連れ去ってしまう、みたいなことですか? どちらかというと、暗いほうが霊は入って来やすそうですけど」

「あなたの国ではそうなのですか?」

「はあ……まあ……」


 はっきりとそうだと断言できるかと言われたら、微妙なところだった。


 霊という概念の存在の有無については、一旦「ある」という前提でしか語れないが、感覚として、霊は暗いほうが寄って来やすい気がする。

 昼よりは、夜。明るくカラッとしたところよりは、じめじめとした薄暗い場所。霊が現れやすいのはそういうところだという認識があるし、日本を問わずだいたいの国で同じ認識だろう。


 だが、どうしてそういうイメージなのかと言われたら、はっきりと理由を答えられない。

 星羅が当たり前に認識していたことが、まるで生まれて初めて聞く新感覚の概念のような反応をされて困ってしまった。


「半年前、王妃様がお亡くなりになって以来、姫さまはずっとふさぎ込んでいらっしゃいます。あまりの悲しみように生活もままなりません。朝はお起きにならないと仰り、夜は眠れないとお泣きになって、食事もほとんどとらぬありさま。身支度もさせてはくれず、ベッドの中での粗相も増えております。今のままでは、このハイデルラント王家の由緒正しき跡継ぎとしてふさわしい教育もできない状況です。侍女たちもですが、陛下も大変に案じておられます。どうかあなたさまのお力で姫さまをお救いください」

「や、だいぶな状況で期待されてもものすごく困るんですけど……。その王様にも言いましたけど、わたしは医者でもなんでもないんですって。ただの会社員なので。お医者様ができなかったことをわたしならできるとは思わないんでほしいんですよね……」


 期待される分だけ辛い。なにもできないだろうとわかっているからこそしんどい。

 さっきの王の話もそうだったが、この女性から語られる〝姫さま〟もだいぶ重症だ。身支度ができないとなると、着替えもできない、顔も洗えない、歯も磨けないということだろう。そして粗相をするということは、トイレにも行けていない。


 ――ふさぎ込んでるっていうか、話を聞く限り重度のうつ症状では……?


 専門知識は皆無だが、星羅も令和に生きるふつうの日本人なので、SNSくらいは目にしている。あの人間の深層心理のるつぼみたいな大量の文字情報の中で、やはり注目を集めやすいのがネガティブな感情や情報だ。


 〝うつ〟というのもメジャーなトピックスである。

 うつになるとなにができなくなる、どういう心理状態になるなど、実際にうつを経験した人が赤裸々に語っては注目を集めるのが日常茶飯事だ。


 未遂とはいえ、星羅も新卒のときの上司との関係で気持ちがふさぎ、身体が思うように動かなくなったことがある。だからこそ、彼ら彼女らが発信する〝うつの症状〟には理解できるところがたくさんあった。


 そして、〝姫さま〟とやらの症状を聞く限りでは、どうも巷でよく言われる〝うつ〟状態に多く該当するような気がするのだが。


 ――こんな真っ暗な中で一年も過ごさなきゃいけないってなったら、そりゃ余計に気落ちしそうだしなあ。


 いくら宗教的理由でも、幼い子供は連れ去られやすいという迷信のためにここまでするのは、いささかやりすぎなような気もする。


「――ん?」


 星羅は思わず足を止める。

 ちょうど、周囲を固める女性たちも足を止めたからだが、それよりも思考に引っかかったことがある。


「姫さまのお部屋でございます」

「あの、ちょっと待ってください。子供が連れ去られないように暗くしてるって言ってましたけど、姫さまってのは今おいくつで……?」


 姫というからには、てっきり十代後半くらいの女性を想像していた。

 なにせプリンセスなのである。

 星羅の知っているプリンセスといえば、世界一有名なアニメーションスタジオ――いや、あれは映画製作会社なのか?――とにかく、誰もがよく知るあの会社が描く姫君たちだった。その彼女たちのような姫君を想像していたのである。


「姫さまは御年四歳におなりです」

「よん……っ!?」


 四歳。

 星羅は絶句した。思った以上に幼い。

 そんな子供が母親を亡くし、こんな薄暗く陰気な場所に閉じ込められているのだろうか。――いや、それが十六、七の娘であったとしても不憫に変わりはないが。


 明かりを持った女性が一歩横にずれ、両脇を固めていた女性たちが観音開きの重そうな扉をゆっくりと開く。

 とたんに、大勢の女性たちの甲高い声と、せわしない気配が聞こえてきた。

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