異世界召喚吟遊詩人
天夏マナ
01.召喚即無茶振りされて困惑の極み
「おお……! これが本当の召喚術……」
「さあ、陛下。あなたの望みをその者に託してください」
「うむ。――喚び出された者よ、その特異なる力で我が姫・ヤスミーンを救ってみせよ」
――ハァ?
「ハァ?」
掛け値なしの本音がそのままそっくり口からこぼれ、
――いかんいかん。社会人になって早十年近く、良識のある大人ならば、いついかなるときも乱暴な言葉遣いは控えるのが常識というもの。自分には秀でた能力はなにもないからこそ、せめて人様にご迷惑をかけないラインは守りたい。
星羅は首を振り、必死にあたりを見回した。
しかしその光景のあまりの覚えのなさに、何度視界をはっきりさせようと瞬いても、思考は疑問符で埋め尽くされるのみだった。
――どこだここは。
ずいぶんときらびやかな装飾が目立つ場所のようだ。たとえるなら、結婚式場――その教会のような雰囲気である。いや、それよりも、海外の世界遺産の教会、とでも言われたほうがしっくりくるだろうか。
海外なんて短期留学で行ったきりだし、それもほとんど現地の学校に缶詰で、結局その土地でしか経験できないことなんてなにもできなかったけれど。――ほら、ググったらまず最初に出てくる教会の写真的な。
つまり、イメージの問題である。
あたりを見回して、まず目についたのは窓だ。周りをぐるっと囲むように天井まで続くアーチ状の窓が並び、壁は荘厳な白。それを縁取る、
窓ガラスには、これまたイメージ通りのステンドグラスがはめ込まれていた。ステンドグラスは明確に人の絵を模している。少しずつ特徴の違いはあるが、いずれも杖を持ち、王冠を被った、いかにも高貴な人のような絵が何人も並んでいて――あの絵、なんだか、動いている、ような……?
星羅はそっと視線を外す。なんだか恐ろしいものを見たような気がして、現実を受け入れられなかった。他のところから状況整理をしようとうつむいてみる。
床には毛足の短い深紅の絨毯が敷き詰められている。ちょうど、星羅が尻もちをついている場所だ。冷たい大理石の床などでなくて良かった、と現実逃避がてら考えて、その星羅を取り囲むようにずらりと両脇に並ぶコスプレイヤーおじさんたちに目をやった。
そう、コスプレおじさんたち、なのである。
もしかして、コスプレ大会かなにかの場に間違って紛れ込んでしまったのか? と一瞬考えた。それくらい、星羅は場違いだった。それくらい、この男性陣は華美な装いをしていた。
コスプレイヤーというにはだいぶ高年齢の男性が多いようだ。というより、男しかいない。白髪か
その誰もが身を乗り出してこちらを見ている。まるで路上ライブに群がられるスターになったよう、とでも言えれば良いが、気分は動物園の動物側だった。
――いやいや、一体なんなんだ。
眼前には数段の階段があり、その上は壇上のようになっている。そこに椅子があって、身を乗り出して、というより降りてきて、この空間に響くような張りのある低い声でおじさん――たぶん一番偉い人――が言った。
「どうした。口が聞けないのか? 聞こえていないのか? 我が姫を救ってみせよと申したのだ」
まるで一昔、いや、二昔くらい前のロールプレイングゲームの導入みたいだな、と場違いな感想を抱く。
たぶん、人違いだ。
こんな偉そうな人に〝姫を救え〟とミッションを与えられる人は決まっている。勇者様候補――つまり、ゲームの中の主人公だ。まあ、漁師の息子という線もあるかもしれないが。あとは配管工というパターンもある。
いずれにせよわかるのは、なにも特別な技能を持たない、ただの会社員である星羅にそんなミッションを課せられるはずがない、ということである。
もしかして、後ろに同じように召喚されてきた誰かがいるのではないだろうか。そう振り返ったものの、誰かがいるわけでもない。
そこまで確認して、星羅はようやく、眼前に立つ偉そうな人が自分に向かって言葉を発しているのだ、と認めざるを得なくなった。
「えっ? すみません。もしかしてわたしに言ってます?」
もう、これしか出てくる言葉がなかった。
星羅が言葉を発した途端、「喋ったぞ」だとか、「人間なのか?」だとか、「言葉は通じるらしい」などと周囲がざわめき始める。
――失礼なおっさんたちだなあ。
じろりと見回すと、誰もがわっと身構えるように一歩後退った。本当に失礼な人たちである。扱いが完全に珍獣のそれでしかない。
「そなた以外に誰がいると言うのだ。占者・エルストラに喚ばれし者よ」
「エル……いや、誰?」
一歩進み出てきた人を見やると、見事な金髪ストレートの男性が優雅にお辞儀をした。
顔立ちは大変によろしい。透き通った白い肌に、ペリドットのような若草色の目をしている。目尻は甘く垂れ、さぞ女性にモテそうだな、と思えた。アイドルというよりは、綺麗系路線のヴィジュアル系バンドの人。――しかし、それにしては化粧気がない。
――なるほど、彼がエルなんとかさん。いや、知らんがな。
「そなたは我が姫・ヤスミーンを救うべく喚び出されたのだろう。さあ、その力を早く見せてみよ」
「はっ? 姫? 救う? いやいや、人違いですって」
呆然としている間に話がもとに戻っている。人違いだと納得してもらわなければならないのに、その路線でゴリ押しされると困るのだ。
しかし偉そうな男性もなかなか引かない。凛々しい眉をぐっと寄せ、不快そうに首を振ったのである。
「そんなはずはない。我が願いを聞き届けたからこそ、この魔法陣は我が姫を救う者としてふさわしい者を喚び出したのだろう? のう、エルストラよ」
「左様でございます。この者こそが陛下の願いを叶えるにふさわしい力を持つ者……」
金髪のヴィジュアル系男性が優雅に肯定する。
今のところ、二対一でかなり分が悪い。しかしここで唯々諾々と受け入れるわけにはいかない。そもそも彼らの言っていることが意味不明なのだ。姫を救えと言われても。
星羅は必死に食い下がった。
「いえ、何の力もありませんって。できる……としたら、エクセルと、マクロをちょっといじって、VBAくらいならまあググりながらだったらなんとか……。あとHTML、CSSとJavaScriptくらいです」
――ググりながらやることが前提ですけども!
社内SEのような立ち位置とはいえ、今でもまだまだ日々頭をかきむしりながらソースコードを読み解いているのである。
というか、なんの会話だろう。
なぜ急に、面接で「特技はなんですか」と聞かれたようなことを答えなければならないのか。
「エク……とはなんだ。姫を救う魔法か?」
「いえ、表計算ソフトの名前です」
――だめだこれ。
星羅は眉間を掻く。
どうにもこの人たちは報連相がド下手くそだ。
まるで、かつての上司のような人である。コミュニケーション不全で新卒だった星羅を休職間際まで追い込んだ、あの憎き女上司。
そうだ、あの人に似ている、と思った瞬間、星羅の脳裏にぶわっと嫌な記憶が広がった。
あの上司はとにかく説明をしなかった。「やっといて」の一言で、ぽいっと紙を渡してきておしまい。「何をどうすれば?」と聞いても、「仕様書読めばわかるでしょ」の一言で終わり。――新卒として入社し、研修を終え、自分のデスクに生まれて初めて座った瞬間の星羅に、そう言ったのだ。
それ以上の返答が得られなかったから、星羅は大いに焦りながらも、ひとまず渡された仕様書を読むしかなかった。
だが、まず言葉がわからない。
単語すらわからない。調べても出てこない。
なぜなら、ほとんどが社内だけで通じるローカル言語だったからだ。
周りの先輩に助けを求めてみたら、何やら訳アリ顔で含み笑いをしながら「ああーあの人はね……。まあできる限り助けてあげるから」というようなことしか言わない。できる限りではなくて、なにを差し置いてでも助けてほしかった。
それからは地獄だった。
わけのわからない社内用語を先輩たちに聞きながら読み解いて、初めて触れるプログラミング言語を書いて、うまく行かなくて、その繰り返し。
先輩に質問をするのだって、決してつきっきりで見てくれるわけではなかった。なんなら、誰もがなるべくかの女上司に関わりたくない一心で、直属の部下になってしまった星羅にも関わりたくないという空気すらあったのだ。
そんな地獄の人間関係の中で、ようやく任された最初の案件を完成させた。
そうして上司に報告したら、彼女は怒りもせず、しかし呆れた態度を隠しもしない深い溜め息をついて、こう言ったのだ。
「遅い。遅れるならもっと早くリスケするとか、相談するとかできることあったでしょ。学生時代何してきたの?」
と。
もう心が折れた。そんな上司のもとに配属した人事部を恨んだ。
一時が万事その調子だった。それでも、星羅はなんとか食らいついたほうだと思う。
しかし、一年が過ぎるころにはすっかり病んでしまった。
もう限界だと、辞表を持って人事部に相談したところ、「あーやっぱりね」という反応をされて、すぐに部署異動。
……あーやっぱりね? やっぱり? わかっていたのなら、最初からあんな人の下につけないでほしかった。
速やかに配置換えが行われた感謝より、わかりきった貧乏くじを引かされたことに腹が立った。
だが、それでようやく地獄から解放されたのである。
事務部署に異動させられ、そこで初めて、入社した会社が何をしている会社なのか、実践を踏まえて教えてもらえた。それまで一年の間、自分がなにをやっていたのか、どんな仕事の、どの部分の、なにに関わるなにをしていたのか、ようやく理解したのだ。――あの女上司の下を離れてから。
理解したときの虚無感といったら、もう言葉では表せられない。
――ああ、思考が逸れた。
とにかく、このおじさん――たぶん偉い人――はそういう、当時の上司を彷彿とさせた。
圧倒的に言葉が足りないのだ。
当時の上司は星羅のことを報連相が足りないと叱責したが、報連相どころか基本的なコミュニケーションが圧倒的に足りていないのは彼女のほうだった、と、今の星羅ならはっきりとわかる。
そして、星羅ももう、右も左もわからない新入社員ではない。
ときには、あえてずけずけと物を言い、周囲に嫌われながらも自分に都合の良いように環境を変えられる中堅社員になった。
だから、今はもう、言い返せる。
帰宅後に毎日泣いていた新入社員の自分を思い出す。今の自分はもう、あの頃の若い自分を慰め、擁護して、代弁できる先輩になれる。
星羅はかつての上司を目の前にしたつもりで、眼前の偉そうなその人をぎっと睨みつけた。
「あのですね、してほしいことがあるなら相手にわかるように伝える努力くらいしたらどうですか? ここはどこで貴方がたは誰ですか? わたし、ふつうに家に帰る途中だったはずなんですけど、どうしてこんなよくわかんないコスプレ会場みたいなところにいるんですか? もしかして誘拐しました? だったらあとで警察に連絡しますね。で、さっきからなんかしてほしいことがあるみたいですけど、なにをしてほしいんですか? 依頼はもっと具体的にわかりやすくお願いします」
今度はざわめきではなく、はっきりとどよめいた。不敬だとか、物を知らない小娘が、とまで聞こえてくる。
非常に解せない。だが、星羅も譲るつもりはなかった。
ここで引いたら、新卒の頃の星羅は救えない。そのつもりでぐっと奥歯を噛みしめると、目の前から応えがあった。
「うむ。確かにそうだな」
意外にも、星羅の言葉を一番素直に聞き入れたのは、眼前の一番偉そうな彼、その人だったのだ。
「我が名はドゥーレル・ウィルス・レム・ハイデルラント。このハイデルラント王国の国王だ。そなたを喚んだのはほかでもない、我が娘、ヤスミーン・カリス・レム・ハイデルラントの病を治してほしいからだ」
――この人、自分のこと国王とか言い出した……。
そういう設定か? という懐疑的な気持ちと、やばい人にやばい口を利いてしまった、という焦りが綯い交ぜになって背中に嫌な汗が伝った。
「姫は母である王妃を亡くしてからふさぎ込んでいる。それだけならば一時の悲しみだ。その感情も仕方ないと言えよう。だがもう王妃の死から半年も経っている。にもかかわらず、姫の様子は日に日に悪くなる一方、もはや病とまで診断された。夜も眠らず、食事もとらず、昼となく夜となく癇癪を起こし、医師に診せても良くならぬ。――このままでは姫まで身罷ってしまう。王国中から腕に覚えのある医師を呼び寄せたが、もう打つ手がないのだ。最後の手段でこの占者・エルストラの言葉に従ったところ、召喚術で喚び出された者こそが姫を救うと結果が出た。それがそなたなのだ。そなたこそが最後の望みなのだ。――どうか、姫を救ってほしい」
降り積もった思いもあるのだろう。一息に言い切ったハイデルラント国王を前に、星羅はポカンとアホ面をさらしてしまった。自分ごととは捉えられなかったのだ。誰かを救うだとか、病を治すだとか、そういうことは専門家の仕事で、なんの力もない一般市民である星羅には関係のないことでしかない。
しかしはっと我に返る。
とんでもない。
このまま星羅が救世主であるかのような勘違いをされたら困るのだ。それをよくよく理解してもらい、なんとかしてこの場から帰してもらわなければならない。
「や、待ってください。病って言いました? やまい? 思い切り人違いじゃないですか……。それならせめてこう、その道の第一人者みたいなスーパードクターとか喚ばなきゃだめですよ。なんでただのIT企業勤務の事務職を喚んだんですか。ジャンル違いじゃん!」
顔の前で必死に手を横に振るものの、そんな星羅に盛大なため息をついた者がいる。
占者・エルストラだった。
「人違いであるはずがないでしょう。私の魔法は完璧です。間違えることなどあるはずもない……。――召喚魔法なんて成功するとか思わなかったけど」
「ねえ、その人なんかごにょごにょって言ってない!?」
「そうだ。そなたは選ばれたのだ。――さあ、ゲルダ。この者を姫のもとへ案内してやってくれ」
「かしこまりまして」
いつからそこにいたのか、コスプレおじさんたちの隙間からさっと女性たちが現れる。この女性たちもコスプレイヤーだ。
――なんなんだ、ここは。そういうロールプレイ的な施設だったりするのだろうか。
どこから突っ込んでなにを確認したら良いのやら。
星羅が混乱している間にも、両脇をぐっと引き上げられて立たされる。そうして、姫とやらの部屋へと連れて行かれたのだった。
――――――――――
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