⑧ 渇望状態、目指した善い死、阻止したルーチェ――打ち砕かれた本当の計画

 絶叫が凪いだ。静まり返ったその場で、今も立っていたのは、小山さんの方だった。私は左手を床に突き、なんとか体を支えていた。右腕が激しく痛み、全身から汗が吹き出す。飛びそうな意識を必死に繋ぎ止め、顔を上げる。彼女は呻き、一度、嘔吐した。コアの回復力はやはり凄まじく、大家氏の姿は、全身に火傷を負ったくらいまで速やかに修復した。両腿に手をついて、肩で息をしながら、


「これが最後の一つ」上体を起こして、「自分の方が手負いになってるじゃない」


 そう言って自分の吐瀉物を踏み越え、その靴で私の頭を踏みつけた。屈んで髪を掴み、顔を覗き込む。


「残念だったわね」


 そのままゆっくり立ち上がる。私の体を左右に揺すり、回し蹴りを放った。力無く床を転がり、どうにか体を起こす。彼女が、悠然とこちらに向かってくる。途中で手頃な石を拾った。私の前に立って、それを振り上げる。風切り音が聞こえた。


「参ったな」彼女が動きを止めた。顔を上げ、笑みを作る。「わざとだよ」


 手から石が落ちた。瞬間、その顔が苦悶で潰れ、胸を掻きむしって叫ぶ。よろよろと数歩後退り、


「何をした」

「渇望状態にした」


 私の答えに目を見開く。


「はあっ」息と驚きを同時に吐き出し、「これが」


 渇望状態――コアが必要としている瀝青を宿主から得られなくなった状態。機能不全の一歩手前だ。彼女がのたうち回るのは、外部から瀝青を供給せよとコアが要求しているからだ。それでも瀝青が得られない時、コアはエリミネータ化を選ぶ。


 私の力では、死力を尽くしてもコアをこの状態に陥らせることが精々だった。彼女に残っている選択肢は二つ。一つは瀝青の供給が得られず、エリミネータ化する。この地下空間で暴れ回り、さほど保たずに消えるだろう。もう一つは、目の前の私を瀝青化して吸収する。


 コアは彼女にそうするよう強く求めている。飢えと渇きの苦痛を与え脅す。ふいに癒えた瞬間の感覚を彼女に味わわせる、快感で行動を促す。コアの突き上げは一秒一秒激しくなっている。にもかかわらず、頑なにそれを拒んでいる。理由があった。彼女は私の右腕を指差し、


「それを止めろ」殺気に満ちた声で言い放つ。


 私はまだ相釈化腕を展開し続けている。この技は瀝青化され、吸収されても効力を維持し続ける。彼女が私を殺して瀝青を得れば、自分を破壊する瀝青を生成するようになる。コアは演算能力でこのことを宿主に報せ、報せながら原始的なプログラムに従って彼女を苛んでいる。


「断る」


 当然の答えを返す。彼女が私の頬を張る。


「止めろ」

「断る」


 鳩尾に思い切り蹴りを入れる。


「止めろ」

「断る」


 乱暴に頭を掴み、顔に膝蹴りを入れる。


「止めろ」


 声を張り上げる。私は変わらぬ調子で、


「断る」


 彼女が発狂する。自分の体を引っ掻き回しながら叫び、私の頭を床に力一杯叩きつけた。額の骨が、割れる音を聞いた。はたと音が止んだ。


「もう耐えられない」


 半ば朦朧とした様子で、ぽつりと呟く。彼女は私の体を引き起こし、背後の柱に押し付けた。シャツの襟元を乱暴に引き千切り、首筋に顔を近づける。噛みつこうと開いた口で、瀝青化した犬歯が牙のように伸びた。その時、


「退がれ」声とともに銃声が鳴り響いた。


 ウェールスの撃った弾丸が、大家氏の腕を貫いた。渇望状態のコアには前時代の武器さえ一定の威力を発揮するらしい。振り向き、新たにやって来た三人を睨みつけ、目を見張る。視線の先に、


「大家サン」


 河原寺我聞の姿をした最後の標的がいる。雄叫びを上げた。体から凄まじい規模の瀝青が迸る。意思にコアが反応し、そうでなければできない速度で宿主を瀝青化していく。彼女は、己れの復讐心のみで渇望状態を解消した。


「逃げろ」

「黙れ」

「炯」


 叫ぶ私を、小山さんが蹴飛ばし、ウェールスが悲鳴を上げる。同時にそれは、


「貴様」


 課長の逆鱗に触れた。二人の前に躍り出て、クローバー目掛けて飛来する小山さんの顔面に拳を叩き込んだ。彼女は吹っ飛んでたちまちに姿が消え、向こうで轟音を立てた。二人がそろりと課長を見遣る。


「探偵、開道君をお願い」

「はい」

「アンタは、アイツはアンタを狙ってる。用心なさい」

「わ、分かりました」


 その遣り取りを終えるや否や小山さんが姿を明滅さすように現しながら、課長に向かって駆けてくる。その左手は刀剣になっていた。ところが振るわれたそれに手刀を打ち込んでへし折ると、彼女の首を潰さんばかりに握って腹に蹴りを入れる。瓦礫の山に突っ込んで土埃が舞った。


「何、突っ立ってんの」

「ごめんなさい」


 課長に一喝され、二人が私の傍に駆け寄る。すぐにウェールスが私の右手に気が付いた。さっと彼女が触れると技が解除される。


「私の傑作も、君の手にかかればこんなものか」


 力無く笑うと、彼女が呆れたように、


「こんなの何でもないよ。体は大丈夫」

「大丈夫、と言ったら信じてくれるだろうか」

「信じないよ、君は嘘つきだもんね」


 微笑み、柔らかな声でそう返された。俯き、苦笑いを浮かべながら、


「そうだな」


 その間も向こうで課長と小山さんがやり合っていた。ウェールスが割って入る間を求め、固唾を飲んで見守る。感嘆の声を漏らした。


「すごい。もう二十発以上も打撃を打ち込んでるのに威力が落ちてない」


 すなわち、課長はコアの事象抵抗性二十数段階分の幅で出力を上げられるということだ。それができずに策を弄した者をウェールスがそっと憐れむような目で見る。


「あまり気落ちしないでね」

「お気遣いどうもありがとう」


 そう答えると彼女が笑った。戦闘に視線を戻し、


「君の気持ちの全ては僕には分からないけど、でも、ありがとう」


 一際、大きな音が鳴り、土煙が上がる。課長が後ろ跳びに抜け出し、私たちの前に着地した。半身でこちらを向き、


「それなりに回復した、開道君」

「ええ。おかげさまで」私が立ち上がって答えると、

「それは結構」向こうを顎でしゃくって、「化け物だわ。手応えが馬鹿みたいに悪くなる」


 課長の横に出る。小山さんは今見えている。消耗した証拠だ。その姿を見据えながら、


「かなりやれていた方だそうですよ。探偵殿が言うには」

「そりゃあどうも」笑い飛ばして小声で囁く。「幾らか貰った。正直、すごく痛い。これ以上は私じゃ厳しいわ」


 彼女はこちらを恨めしそうに睨み、じっと瀝青の回復を待っている。


「これ以上は無いはずです」後ろを見遣る。「ウェールス」


 力強く頷いて、私の隣に歩み出る。事ここに至っては万策尽きた。彼女を使しかない。

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